【老子道徳経 第五十一章】 玄徳なるはたらき
【今日のこよみ】 旧暦2014年 3月17日 先勝 四緑木星
丁巳 日/己巳 月/甲午 年 月相 16.3
清明 末候 虹始見(にじはじめてあらわる)
【今日の気象】 天気 晴れ 気温 11.8℃ 湿度 57% (大阪 6:00時点)
道生之、徳畜之、物形之、器成之。
是以萬物、莫不尊道而貴徳。
道之尊徳之貴、夫莫之命而常自然。
故道生之、徳畜之、長之育之、亭之毒之、養之覆之。
生而不有、爲而不恃、長而不宰。
是謂玄徳。
【書き下し文】
道これを生じ、徳これを蓄(やしな)い、物これを形づくり、器これを成す。
ここを以(も)って万物、道を尊(たっと)びて徳を貴(たっと)ばざるはなし。
道の尊きと徳の貴きは、それこれを命ずるなくして常に自(おのずか)ら然(しか)り。
故に道これを生じ、徳これを蓄い、これを長じこれを育て、これを亭(かた)めこれを毒(あつく)し、これを養いこれを覆(おお)う。
生ずるも而(しか)も有せず、為して而も恃(たの)まず、長たるも而も宰(さい)せず。
これを玄徳(げんとく)と謂う。
【私的解釈】
道がこの世の万物を産み、徳がこれを育み、形となって、世の中での役割を持つに至る。
だからこそ、万物は道を敬い徳を大切に思うのだ。
道を敬い、徳を大切にするおもゐは、誰彼に命令されるわけではなく、自然に発露する。
この秩序があるからこそ、道は万物を生み出し、徳がこれを育み、成長させ、醸成させ、成熟させ、養って、その死を看取るをスパイラルさせる。
道は、自らが産み落としても所有せず、偉大なチカラを有してもそれに頼らず、成長しても支配下に置くことはない。
この道の働きを玄徳と名付ける。
【雑感】
あらゆる可能性は、己の掌の中で準備を整えている。
菜根譚 第五十八条
人心有一部真文章、都被残編断簡封錮了。
有一部真鼓吹、都被妖歌艷舞湮没了。
学者須掃除外物、直覓本来、纔有個真受用。
【書き下し文】
人心に一部の真文章あれども、都(すべ)て残編断簡に封錮(こ)し了(おわ)る。
一部の真鼓(こ)吹(すい)あれども、都て妖(よう)歌(か)艷(えん)舞(ぶ)に湮(いん)没(ぼつ)し了(おわ)る。
学ぶ者は外物を掃除して、直ちに本来を覓(もと)むるを須(しゅ)ちて、纔(はじ)めて個の真受用あり。
【私的解釈】
人間のおもゐは、真の文章を連ねるのに、不完全な書物の文章に、全く閉じ込められている。
人間のおもゐは、真の音楽を奏でるのに、あやしげな歌や踊りに、全く絡め取られている。
学ぶ者は、邪道を払いのけて、ひたむきに本来のおもゐを顧みてこそ、初めて真のたしなみが得られるのだ。