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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【吉川英治】 静御前の物語(後編)

 

【吉川英治】 静御前の物語(前編) - まどゐ。

 

 

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外出していた郎党や、新宮十郎行家(*1)の兵などが、火の手を見て、駆けつけて来たため、土佐房昌俊(*2)たちの襲撃隊は、かえって挟み撃ちとなってしまった。
 
 
昌俊は、追われて、鞍馬へ逃げ込んだが、鞍馬の山僧に捕らえられて、二十六日、都へ曳かれた。すぐ首斬られて、その首は、六条河原の秋風に黒ずむまで晒されていた。
 
 
十一月、洛内の動揺は、もう制し切れないものになっていた。鎌倉の大軍が上がると聞こえて来たのである。義経も必ず反撃するものと見てか、頼朝自身、黄瀬川のあたりまで、兵馬を進ませて来たともいう。
 
 
「。。。。浅ましや」
 
 
義経は、心で泣いた。
 
 
夜も寝られない様子であった。その良人(おっと)へ、静は、どんな心を込めて傅(かしず)いても、慰めきれないおもゐだった。果ては、共に手を取り合って、
 
 
「天下の兵を敵とするも、怖ろしくはないが、肉親の兄へ引く弓は無い。およそこの身ほど、骨肉に薄命な者があろうか。襁褓(むつき/おむつ)のうちより父兄弟に別れ、七ッの頃、母の手からもぎ去られ、しばらく、兄君とも会って、平家を討ったと思うも束の間、兄たる御方から兵を差し向けらるるとは」
 
 
「そのお心が、どうして、、鎌倉へは通じないものでしょうか。私が兄君様から、弟の妻と、許されているものならば、身を捨てても、鎌倉へ下って、あなた様のお胸のほどを、お訴え致しましょうものを。。。。」
 
 
二人は身も心も一つに悶(もだ)え合って、もう大庇に木の葉の雨も落ち尽くした初冬の夜を泣き明かした。
 
 
風評が風評を生み、今にも大乱と化すように、洛中の貴賎上下の騒ぎが濃くなれば濃くなるほど、義経の心は、誰にも分からなくなっていた。
 
 
頼朝追討の宣旨は、もう朝議で決定していた。義経の手に下るばかりになっている。ここでも、彼の心を少しでも知ってくれる者は一人もいなかった。
 
 
叔父の行家さえ、その策動に、夢中になっていた。義経を押し立てて、一合戦の目論見である。堂上、世上の人々が、全く義経の本心を見失って、ただ血眼に騒いでいるのも無理もなかった。
 
 
「最後の日が近づいた。静、そなただけは、しかと、わしの心を見ておろうな」
 
 
「仰せまでもございません」
 
 
二人は、密かに誓っていた。犬死にする気はないが、そうかと言って、戦う気も飽くまで無かった。その間に処す身支度だった。
 
 
幸いにも、義経の望みは、法皇の御聴許(おんちょうきょ)となった。一先ず九州の地頭として、都を去る事になったのである。
 
 
が、人々は猶、彼のそんな柔順を信じなかった。彼を良く知る九条兼実(*3)さえ、その日の日記に、
 
 
(如何ナル騒乱ニ立チ至ルラン。春日明神ニ祈念シテ、何処ヘモ逃ゲズ、タダ運命ヲマカスノミ」
 
 
と、記している程であるから、京都の市民が、かっての平家が都落ちの時のように、又、木曽義仲が乱暴を働いたように、義経の兵も、存分な狼藉を働いて行くであろうと、怖れおののいていた。
 
 
ところが、十一月の霜の朝、義経は、赤地錦の直垂(ひたたれ)に、萌黄紐の鎧をつけ、今日西国へ下るとその屋敷を出て、妻の静、その老母、その他、足弱な者達を先へ立たせ、わずかの精兵を従えて、御所の門前に、粛として参列した。
 
 
御堵(みかき/土塀)越しに、院の御所を遙拝(ようはい)して、彼は大地へ両手をつかえた。
 
 
義経、不徳のため、鎌倉殿の譴責(けんせき)を蒙り、今日、鎮西に落ちて参りまする。思えば、今日までの御厚恩は海のごとく、微臣の奉公は一粒の粟だにも足りません。今一度、龍顔を拝したくは存じますが、武装の甲冑、恐れ多く存じますれば、これにてお暇乞いを致して立ち去りまする」
 
 
従う人々には、佐藤忠信(*4)、堀太郎伊勢三郎(*5)など二百余騎の家人、みな義経に倣って拝をした。そして、粛然と、塵も散らさず、都を後に去った。
 
 
が、摂津、兵庫のあたりには、早くも頼朝の軍令が回っていた。諸国の地頭は、義経を討って、鎌倉殿の感賞にあずかろうものと争った。
 
 
行路の難はそればかりでなかった。大物の浦から船に乗り込んだ夜、暴風に襲われて、船は難破してしまった。郎党の多くは溺死し、義経は、壊れた船を引っ返したが、陸には又、しつこい敵が猛襲して来た。かくて味方とも散々に別れて後、義経の足跡は、四天王寺までは見た者もあるが、そこを立ち退いた先は、全く踪跡(そうせき)を晦(くら)ましてしまった。
 
 
伊豆左衛門有綱(*6)と、堀太郎という武士二人。
 
 
それと、妻の静に、妻の母の磯の禅師と、わずか四人を連れたきりであったと、四天王寺の僧は、後で、取り調べを受けた鎌倉の武士へ語った。
 
 
彼は、奈良に潜んでいるという噂があるかと思うと、
 
 
(いや、多武の峰で、それらしき落人を見た)
 
 
とも聞こえ、
 
 
(十津川の筋へ逃げた)
 
 
とか。その他、紀州だ、いや京都の中に潜伏して居るのと、彼の足跡を競って、神出鬼没な噂ばかりが乱れ飛んだ。
 
 
鎌倉勢は、その詮議に、手を焼いた。翻弄されているようだった。躍起になって、探し抜いたが、手がかりも無い。
 
 
その前後。北条時政(*8)の手勢は、何事か、確証をつかんだものらしく、雪降る中を、吉野の峰へ駆け上がって、何の前触れもせず、南院藤室の僧房を襲った。
 
 
「九郎判官が、これに潜んでおろう」
 
 
「存ぜぬ」
 
 
白眉の僧が、応答している間に、彼方の蔵王(*9)の方で、
 
 
「居たっ」
 
 
という兵の声がした。
 
 
僧の中で、密告した者が居たとみえる。どやどやとそこへ押し入った武者輩の中に、その僧も立ち交じっていた。
 
 
「ややっ。。。。。女と老母のみではないか」
 
 
「これは、判官殿の愛妾静殿と、その母御の禅師です」
 
 
兵を導き入れた僧は言った。
 
 
「あ。。。。。。静か」
 
 
白拍子の頃から麗名は高い。舞の上手、また無き容色の持ち主と、誰も聞いている。わけて、九郎判官が、天下に身を容れる尺地も無くなった後も、労苦を共にして、連れ歩いていた麗人とは、一体どんな女性かと、武者輩は、眼を研ぎ立てて、周りに立った。
 
 
母子、ひしと抱き合っているので、一つの大きな繭のように見えた。静の懐に戦慄(わなな)いてるのは老母だった。静は、周りの刀や槍を、黒い瞳で、まろまろと見つめながら、母の身体の上へ覆いかぶさっていた。
 
 
「静っ。こら静っ。義経はどこへ落ちた。申さぬと、先ず見せしめに、その老いぼれの首から斬り落とすぞ」
 
 
「知りません。良人(おっと)の行き先は、何も聞いておりません」
 
 
「うぬっ」
 
 
雪まみれの土足を上げて、一人が蹴飛ばそうとすると、
 
 
「まぁ待て、そう怯えさせては、口もきけまい」
 
 
と、他の武者が押し止めて、宥(なだ)めすかしながら尋問した。
 
 
「これ迄は、良人と共に、辛くも巡って参りましたが、深山の雪、母の持病、足手まといと思い召してか、この蔵王堂に四五日居よ、やがて馬を送りて、迎えをよこす迄と、申されまして、良人とここで別れたまま。その先は存じませぬ」
 
 
静の言葉は明晰であった。その落ち着いた様を見据えて、
 
 
「嘘でもないらしい」
 
 
と、武者たちは、麓の北条時政へ、使いを馳せて、処置の命を待った。
 
 
馬の鞍に縛りつけて、すぐ鎌倉へ追い下だせとあった。静は、武者の手に引っ立てられる母へ、自分の上着を脱いで老の肩を包み、その耳許へ、熱い息して囁いた。
 
 
「許してください。不幸をお許し下さいませ。私が、世の常の白拍子のように、判官様へつれなくあれば、年老いたあなたに、こんな艱苦はおかけしないでもよいのに。。。。。私の操の為に、、、、お母様までを、憂き目に追いやって」
 
 
明けて、文治二年の一月末には、静も母も、鎌倉幕府の罪人として、安達新三郎清経(*10)の屋敷に預けられていた。
 
 
氷のような吟味の床に、静は、幾度も、座らせられた。
 
 
義経の行方を言え」
 
 
との厳問である。
 
 
清経は、こう責めた。
 
 
「そちのように、情の細やかな者が、途中で義経と別れ去ったとは腑に落ちぬ。どこかに、再会の場所を約しているのであろう」
 
 
静は、余りに責められるので、幾分、しどろになって、
 
 
「いえいえ、一度は私も、お別れするのに耐えかねて、峰の一の鳥居あたりまで、お後を慕って行きましたが、女人の入峰は禁制との事に、泣く泣く戻って参りました」
 
 
吟味の筆記が、やがて頼朝の手許へ上げられて来た。頼朝は、それを見て、
 
 
「先に、吉野の蔵王堂で、時政が調べとった言葉と相違がある。猶々、厳しく折檻して、実を吐かせぃ」
 
 
と、清経に対して、不機嫌を示した。
 
 
清経は、恐縮して、更に、静を辛辣に責めた。余りにも長い時間を冷たい板床に引き据えられていたせいか、静は、急に眉をひそめ、青白くなって苦しげにうっ伏した。
 
 
驚いて薬師を呼び、薬を求めると、薬師は言った。
 
 
「病気ではない。この容体は陣痛じゃ」
 
 
「えっ。陣痛?」
 
 
「ひどく冷え込んだ為、早めた様子はあるが、はや八ヶ月は超えている」
 
 
「さては、妊娠していたのか」
 
 
清経は、息を飲んで、先頃から自分のした折檻が、密かに今は自分を責めた。
 
 
何しても騒ぎとなった。しかし、案外に産室に入ってからは軽くすんだ。生まれた子は男であった。初産だし早目でもあったせいか、普通の嬰児(あかご)より小さかった。
 
 
「お母様、見て下さい。似ておいで遊ばす事を。。。。このお顔、このお口」
 
 
彼女はこの屋敷が、獄舎も同様であるのも忘れて、掻き抱いては喜んだ。お見せしたい、一日でも、かの君にと。
 
 
木々の芽もふく春に向かいて、嬰児(あかご)の手足は、日毎にまろくなっていった。父の血をうけて、この子も意志強い顔立ちをしていた。
 
 
「ああ、お目にかけたい。それにしても、わが良人は何処の野路を。。。。。」
 
 
思うにつけ、胸が痛む。すると怖ろしいほどすぐ乳が止まるのである。嬰児(あかご)は泣く。せめて、この泣き声なと、良人の耳に届く術もないかと、又、涙に溺れてしまう。
 
 
「ちっ。うるさい餓鬼だ」
 
 
昼夜、室の外に、番をしている詰侍が、時々、聞えよがしに、舌打ち鳴らした。
 
 
築地(ついじ)の外の桜並木が、枝もたわむばかり咲き誇ってきた。夜も昼も、そこからチラチラ白いものが母子の室へ散り迷って来た。
 
 
嬰児(あかご)は、瞳をうごかしぬく。もうお目が見えそうなと、老母は、その生命の育ちをむしろ儚げに呟いた。静は、花の散るのを見ると、吉野の雪の日が思い出されてならなかった。。別れた人の後ろ姿に、霏々(ひひ)と雪吹雪の吹いていたその日の別離を。。。幾たびも振り向いては去った彼(か)の君の瞳を。。。遂には、雪の中へ泣き崩れて、雪に埋もれていた自分の姿を。。。
 
 
四月の一日であった。
 
 
もう桜も若葉だった。散り消えた花の影が、何か遠い過去であったような心地のする朝。
 
 
「折り入って、静どのに」
 
 
と、いつになく丁寧に、安達清経が話に来た。
 
 
「他でもないが、この四日、頼朝公には夫人(おくがた)の政子の方と御一緒に、鶴ヶ岡(*11)に御参詣がある」
 
 
そう前置きして、清経は、頼朝の命として、次の様なことを伝えた。かねて頼朝にも、弟の内縁の静が、神泉殿の雨乞いの舞楽に、九十九人の舞姫のうちでも優れた白拍子であったという事は聞き及んでいるところから、
 
 
(四日はちょうど参詣のついで、ぜひ社殿の廊においてなど、隠れなき上手の舞をよそながら見たい)
 
 
という熱望だというのである。
 
 
捕らわれて、鎌倉へ送られて来たその当座にも、早速のように、舞を見せろという頼朝の下命はあったのである。が、静はどうしても、かぶりを振って頷(うなず)かなかった。
 
 
手を焼いた前例があるし、こんどは、頼朝の言いつけも、厳重であったから、清経は、この下話には、充分周到な用意を胸に持って、彼女を説いた。
 
 
「一度お目にかかっておけば、お怒りの度もよほど和もう。舞だに終わったなれば、老母を連れて、京都へ帰るも差し支えないとまで仰せられてある。御老母のためにも、、、ここは忍べき所ではないかな」
 
 
母のために。
 
 
そう言われると、否む言葉もなかった。また良人(おっと)の義経に対する鎌倉殿の感情が、少しでも解けてくれたらと、静は、そうした頼みも抱いて、
 
 
「まだ、良人(おっと)の生死も聞こえず、別離の涙も乾かぬ今、恥ずかしい身を、鎌倉殿の御前にさらすは耐えられぬ心地がしますが、あわれわが夫(つま)への、故なきお怒りが少しでも解かれたなら、どんなに嬉しゅうございましょう。恥を忍んで舞に上がりましょう」
 
 
恥、怨、無念、、、あらゆる胸揺(むなゆ)らを飲んで、きっと、決意した唇から、静は、遂にそう答えた。
 
 
その日、清経に伴われて、静は、頼朝夫妻の前に出た。初めて、実に初めて、わが良人と血を分けている兄なる人と、兄嫁の君とを見たのであった。
 
 
舞殿の東側の一段高い席に、頼朝と政子は居並んで彼女を見た。夫妻は、物珍しいものでも見るように、静のしとやかな礼儀を見守っていた。
 
 
「思ったよりは、やつれてもいない。中々気丈そうな女子ですこと。何か、お言葉をかけておやりなさい」
 
 
政子に囁かれて、頼朝は初めて言った。
 
 
「静というか」
 
 
「。。。。はい」
 
 
「幾歳になった」
 
 
「二十歳(はたち)になりました」
 
 
「二十歳。。。。ほう」
 
 
夫妻は、顔を見合わせた。何の品定めをしているのか、静には、その心が酌(く)めなかった。
 
 
「愚かよのう。まだ年ばへも二十歳を超えず、世に隠れない舞の手も持ちながら、何で、九郎冠者のような、埒もない男を恋慕うぞ。ははは、酔狂なおなごよ」
 
 
静は、水のように、冷ややかな感情になった。この良人の肉親は、又その妻である人も、自分を、弟の妻とは全く見ていない事がよく分かった。あくまで白拍子あがりの遊び女(め)と遇しているのである。
 
 
(なんで、こんな人に憐れをすがろうぞ)
 
 
彼女は、唇をかんだ。哀れを乞う者と誤られるも無念である。涙もこぼすまい。頭も下げまい。
 
 
きっと、彼女は胸を上げた。そして、むしろ哀れむべき二個の人形よ!、と頼朝夫妻を、その情熱のたぎりを持つ黒い瞳で、じいっと、眼も逸らさず見つめていた。
 
 
「舞へ。立て」
 
 
頼朝は、急いた。
 
 
「はい」
 
 
静は、きりっと答えた。水色の水干、真紅の袴。立って、頼朝の夫妻を、高くから見て微笑んだ。
 
 
「わたくしの、好きな歌舞でよろしゅうございますか」
 
 
「何なりと」
 
 
夫妻は共にうなずいた。
 
 
鼓の上手、銅拍子、気を合わせて、舞のきっかけを促した。と、空行く雲のそれのように、静の水干の袖が悠々と動いた。美しい線を描いて舞い始めたのである。
 
 
 
 
 
よしの山 峰のしらゆき
 
ふみわけて
 
入りにし人の
 
あとぞ恋しき
 
   あとぞ恋しき
 
 
 
 
 
目には一杯な紅涙があった。けれど又、その目には頼朝もない鎌倉幕府の権力もない。
 
 
元より上手に舞おうなどとは、みじん思ってもいなかった。ただ祈るのは、この舞が、良人の恥辱にならない事であった。義経の妻として世の物笑いとなるまいとする懸命だけであった。
 
 
 
 
 
しづやしづ
 
賤(しづ)のをだまき  くり返し
 
むかしを今に
 
なすよしもがな
 
   なすよしもがな
 
 
 
 
 
歌い終わるのと一緒であった。彼方の頼朝夫妻の席で、斬って落としたように、ばらりっと、簾が落ちた。その簾中から漏れる怒りの声だった。
 
 
「八幡の御宝前、しかも、頼朝が前なるも憚らず、謀反人の義経を、あからさまに、恋慕って舞歌うとは。許せぬ女、余を、余を、小馬鹿にした舞ではある!」
 
 
「あなたの御不興は、お身勝手というものです」
 
 
そうたしなめているのは夫人であった。
 
 
「何が身勝手か」
 
 
「流人として、伊豆の配所においで遊ばした頃のことを考えてごらんなされませ。私は、静の歌を聞いて、女子はやはり女子よと、思わず目がうるんで来ました。私が、配所にある貴方様をお慕いして、闇の夜、雨嵐の夜も、通った頃の心を思い比べると、かの女子の今はさこそと察しやられます。このようなことに、席を蹴って、ご不興のままお帰りなどされたら、坂東武者に、あなたの鼎(かなえ)の軽重を問われましょうが」
 
 
政子は、かえって、機嫌よかった。静を指し招いて、卯の花重ねの御衣を、今日の贐(はなむけ)ぞと言って与えた。
 
 
静は舞が終わるとすぐ、脇見もせず、清経の屋敷へ帰った。そして、駆け込むように、乳を待つ我が子の部屋へ入ったが、我が子は見えなかった。
 
 
「。。。。和子よ。和子よ」
 
 
老母の答えもない。いや、灯火もない一室の隅に、磯の禅師は、喪心したようにすすり泣いていた。
 
 
「和子は、どうなさいましたか。お母様、わたしの和子は」
 
 
「。。。。。。。」
 
 
老母はただ泣いて、遠い海鳴りのする夜空を指すばかりだった。
 
 
「。。。。げっ。では、では、、、、、和子さまを」
 
 
「武者たちが、海の方へ、引っさらって行った。。。。。鎌倉殿のお言いつけじゃと」
 
 
水と空の境だけが、ぼっと夜明けのように明るいだけだった。夜の海は、真っ暗に吠えすさんでいる。常でも波の激しい由比ヶ浜に、今宵は風がある。
 
 
「和子ようっ。。。。和子ようっ。。。。」
 
 
痛む乳を抱き締めた水干の舞姫は、沖へ向かって声を枯らしていた。波に漂う木片や芥を見ては駆けて行った。しぶきを浴びて、走り狂った。
 
 
松明を振って追って来た人々の中に、安達清経もいた。我が子の後を追って死のうとする静を抑えて、遮二無二連れ帰った。一夜に痩せ衰えた舞姫は、その夜からうわ言に、子と良人のことばかり言い続けて、夏の中も病の床から起きて来なかった。
 
 
静が、気がついてみると、初秋八月の風が萩叢(はぎむら)に吹いていた。笠と杖とが手にあった。老母と共に鎌倉を立つ日であった。
 
 
 
「良人はどこに」
 
 
生きる限り、彼女は思い続けたであろう。又、果て無き道を歩いたことであろう。
 
私達が旅にふと見る、名知らず路傍の草の花叢(はなむら)は、そこが彼女の足が止まった最後の地であった墓標(しるし)かも知れない。
 
彼女が咲かせた情操の姿は、野の花に見るあんな風に、又なく純情で飾り気もない愛だったから。。。。。
 
 
 
 
 
 
【完】
 

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新宮十郎行家(*1)

源行家 - Wikipedia

新宮市観光協会 - 丹鶴姫と新宮行家

 

土佐房昌俊(*2)

土佐坊昌俊 - Wikipedia

 

 

九条兼実(*3)

九条兼実 - Wikipedia

 

 

佐藤忠信(*4)

佐藤忠信 - Wikipedia

忠勝装備品7

 

 

伊勢三郎(*5)

伊勢義盛 - Wikipedia

 

 

伊豆左衛門有綱(*6)

源有綱 - Wikipedia

 

 

北条時政(*7)

北条時政 - Wikipedia

 

 

蔵王(*8)

金峯山寺 - Wikipedia

 

 

安達新三郎清経(*9)

安達清常 - Wikipedia

 

 

鶴ヶ岡(*10)

鶴岡八幡宮 - Wikipedia

鶴岡八幡宮

 

 

 

静御前の伝説の地※

山口市阿東の静御前伝説| あとう観光協会-あとう路ナビ-

境土地管内紹介〜古河・栗橋の静御前伝説〜

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