【井原西鶴 好色五人女 八百屋お七】 その一 宿縁の邂逅
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- ほいど(ほいと) - 祝人(ほぎ人)が転訛したもの。神楽、獅子舞などの縁起者が物乞いも行っていた事から言われるとされる。
- おこも、こもかぶり、おこもさん - かつて、乞食がムシロ(こも)を被っていることが多かったため。
- パイポ - 京都市北部で使用される言葉。ルンペンとほぼ同じように使用される。語源は不明。
- 勧進(かんじん) - 勧進帳を持って社寺仏閣の建立のための資金を集めるため諸国を巡る僧を指す言葉から転じた。下記の、不治の病の病人の行うものも含む場合がある。
- へんど - 遍路または反吐(へど)が転訛したもの。四国各地で使用される言葉。不治の病などを持った人が、世捨て人となって、お遍路さんをしながら巡る姿を指す言葉から転じた。また本来の遍路とは全く別に、信仰心の無い者がその怠惰な生活態度から半ば「職業遍路」化して「お接待を受ける」ことに名を借りた物乞いのみで生計を立てる行為がこう呼ばれる。お接待を行う遍路道沿いの信徒たちから軽蔑を受けた。
乞食にまつわる慣用句乞食の嫁入り
乞食の花嫁は振袖など着られぬところから,「振袖振らぬ」と「降りそうで降らぬ」をかけた洒落(しやれ)。雨が降りそうで降らないたとえ
乞食のお粥
言うばかりで実行いない事。湯(言う)ばかりで実少し。
乞食正月
二十日正月の石川県での別名。正月の終わりとする節日。正月用の年肴を食べ尽くす日とされた。この日に骨だけになっているブリや腐らないように塩で〆ておいた魚の残りを大根などと一緒に煮て食べたことから
乞食が馬をもらう/乞食に朱椀/乞食が赤包み
身分不相応なものをもらって、始末に困るたとえ。
乞食根性
むやみに他人のものをもらいたがる卑しい性質
乞食が米を零(こぼ)したよう
ちょっとしたことに大騒ぎをすることのたとえ。また、困窮している者がいっそう窮することのたとえ。
箸も持たぬ乞食
何一つない、まったくの無一物であることのたとえ
乞食の空笑い
乞食が物欲しさに心にもない笑顔を見せるように、目前の利益を得るために心にもないおせじを言うことを卑しんでいうたとえ
乞食の朝謡い
乞食は暇なので、朝から謡をうたう意。乞食は普通の人よりかえって気楽な生活をしていることのたとえ
乞食に氏無し
人は、生まれながらにして乞食となるのではなく、その人自身の不始末から乞食になるのである
鍬をかたげた乞食は来ない
働く者が貧乏するはずがないこと
乞食に貧乏無し
乞食にまで落ちぶれると、もうそれ以上貧乏になることはない
乞食にも門出
どんなにつまらない者たちでも、門出のときはそれ相応の式作法があることのたとえ
乞食も袋祝い/乞食にも身祝い
乞食でも初めて使う袋には祝いをするように、祝うべきときにはそれ相応の祝いをすべきであるというたとえ
乞食も身繕(づくろ)い
乞食でも,相応に身だしなみに気を配る意。粗末でも,それなりに身だしなみに心がけよというたとえ
乞食の系図話
乞食がおちぶれる以前の自分の系図について自慢話をする意。言ってみたところではじまらない過去のぐち話を言うたとえ
乞食の断食
しかたがなくてすることを,ことさら心がけてしたように殊勝げに言うことのたとえ
乞食も場所
何事をするにも場所選びは大切であることのたとえ
親苦子楽孫乞食
親は苦労して財産を作り、子は遊んで浪費し、孫の代には落ちぶれれこじきになるという、世の中の浮き沈みを言ったもの
三人旅の一人乞食
三人で一つのことをすると、その中の一人は貧乏くじを引いて損をしたり、仲間はずれにされがちであること
往き大名の帰り乞食
旅行などに行ったとき、行きにはまるで大名のように贅沢に使うが、必要な経費まで使ってしまい、帰りには旅費が足りなくなるの意から。無計画に金を使うべきではないという戒めを込めて使う
頼めば乞食が馬に乗らぬ
こちらから頼むと、本来好きなことでももったいぶってやってくれないこととのたとえ
慌てる乞食はもらいが少ない
あわてるとかえって失敗することを戒めるたとえ。急がば回れ
乞食も三日すれば忘れられぬ
悪習は染まりやすく,改めるのは困難であることのたとえ
魚は殿様に焼かせよ餅は乞食に焼かせよ(瓜の皮は大名に剥かせよ柿の皮は乞食に剥かせよ)
魚を焼くときは、何度もひっくり返すと身が崩れるため、弱火でじっくりと焼いたほうがよいから、殿様のようにおっとりした人に焼かせるのが良い。餅を焼くときは、たえずひっくり返して焦げないようにしなければならないため、乞食のようにがつがつした人に焼かせるのが良いという意味から仕事には適不適があるものだから、仕事をさせるときには適任者を選べということ。
福沢諭吉の名言
人生は芝居のごとし、千両役者が乞食役となり、大根役者が大名役をやる。それが役なのだ。乞食になっても千両役者は千両役者。世間はどう評価しようと気にするな。ただ、自分の仕事に打ち込めばいいのだ。
車長持(くるまながもち)(*2)
姫始め(ひめはじめ)とは、頒暦(はんれき)の正月に記された暦注の一。正月に軟らかく炊いた飯(=姫飯(ひめいい))を食べ始める日とも、「飛馬始め」で馬の乗り初めの日とも、「姫糊始め」の意で女が洗濯や洗い張りを始める日ともいわれる。
1月2日の行事であるが、由来は諸説あってはっきりしておらず、本来は何をする行事であったのかも判っていない。一般には、その年になって初めて夫妻などがセックスすることと考えられている。
かつての仮名暦の正月の初めに「ひめはじめ」とあったのが、その解釈をめぐって多くの説が生じたものである。真名暦には「火水始」とあった。卜部家の秘説があるといわれた。
最も有力な説は、正月の強飯(こわいい。蒸した固い飯。別名「おこわ」)から、初めて姫飯(ひめいい。柔らかい飯)を食べる日というものである。昔は、祭の間には強飯を食べ、祭が終わると姫飯を食べていた。
節分の日にまいた豆の残りを仏壇にお供えしておき、春雷の初めて鳴る日にこれを出して来て食べると、雷よけになると言い伝えられてきていた。
常香をたくための香炉。香が燃えつきると糸が切れ、鈴が落ちて知らせるようになっている。
僧侶の妻。梵妻(ぼんさい)
山東京伝(さんとうきょうでん1761~1816)は粋な作風で黄表紙・洒落本・読本他を書いた戯作者です。北尾重政門下で北尾政演の画名を持つ浮世絵師でもあったため、浮世絵や多くの絵入文章を書き、好評を博しました。鶴屋、麓屋などの店が名高く、随筆・狂歌にも名物として取り上げられ、店がなくなった後も、文人達に興味をもたれ、その始まりや名前の由来について語られました。鶴屋の娘およねが始めたから米饅頭の名がついたとする説、材料が米であるから従来の小麦粉の饅頭と区別するため米饅頭といった説、よねは女郎の意味であるという説、また娘の名はおよねでなくお千代であるとした説などがありました。京伝は作家として売り出した20歳の時、鶴屋のおよね説を脚色して『米饅頭始』(1780)という本を書きました。町人の幸吉が腰元およねと仲良くなり、駆け落ちし、二人で苦労をしますが最後には父親に貰ったお金で、待乳山のふもとに鶴屋の屋号で店を出し、饅頭を売り出す話です。
作中のおよねは、その頃京伝が通い知った吉原の遊女をモデルにしたことも想像されます。自らの姿を幸吉に重ね、将来を夢見たのかもしれません。十年後、京伝は遊女菊園(前述の遊女とは別人か)と結婚し、その三年後に煙草入を売る店を開いています。
晩年の京伝は戯作から離れて事物の考証に没頭したようですが、その成果『骨董集(こっとうしゅう)』(1813~1815)でも米饅頭について言及しています。ここでは、延宝六年(1678)版の絵本の辻売りの図を引き合いに出し、世に広まっている鶴屋のおよね説に疑問を呈しています。
京伝は浅草並木町に短期間、落雁の店を出したこともあり、菓子好きとも思われますが、噂に聞いたことしかない米饅頭のどこに一番惹かれていたのでしょうか。