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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【改訳 怪談 乳房榎】 第二十講

 
 
 
おきせが死んだと聞きまして、扇折りの竹六は飛んで参りまして、
 

「へぃ、竹六でござい。さて、旦那様、申し上げようもない次第で。奥様が御急変でいらっしゃったって。じつに驚き入りました。御愁傷なんぞということは通り越して、本当に夢でございます。昨日、赤塚からもらって参った乳を、私があげた時、竹六や御苦労だったね、さぞ途中が暑かったろうね、とおっしゃったお声がまだ半分ばかり耳に残っております」
 

などと、悔みを申しておりましたが、浪江は悪人でも、首ったけ惚れておりますおきせが死んだので、少し、とりのぼせたと見えまして、かの正助のことを竹六が口走ったのが気になってなりませんから、さっそくおきせの死骸を棺へ納めまして、温気(うんぎ)の時分だからといって、すぐに菩提所へ、その夕方に埋葬をいたしてうちへ帰って参り、その晩はわざと竹六をうちへ泊らせまして、翌朝竹六を自分の居間へ呼びました。
 

 「へぃ、旦那。さぞお疲れでいらっしゃいましょう。しかし、御葬式も御都合よくすみまして御安心さまで」
 

 「大きに。お前、お骨折りで。いや、お前とは、久しい馴染みだが、先生の葬式から引き続いて坊の死んだ時、また今度の不幸にもいろいろ厄介をかけると言うのもこれは何かの縁で、時に一昨日赤塚からお前が帰った時、正助に逢ったと言いかけたが、あれは本当に逢ったのかえ」
 

「へぇ、なに、正助には」
 

「いやいや、隠してくれては、かえってお前の為にはならない。先生の遺子(わすれがたみ)の眞與太郎を攫(さら)って逐電(ちくでん)いたした不忠者。居所が知れてはうち捨ておかれぬ奴。逢ったら逢ったと、有体(ありてい)に言っておくれ。もし隠しだてをするなら、お前も正助と同類ゆえ、よんどころなくこういたすから」
 

と刀を捻くりますから、
 

「いえ、申します。申します」
 

と、竹六も浪江の眼の色が変わっておりますから険呑(けんのん)ゆえ、じつは、これこれしかじかと、赤塚で正助に逢ったことを申しましたから、それでは片時も捨て置かれぬと、自分の悪事のあらわれ小口でございますから、すぐに竹六を案内に連れて、浪江は赤塚へ赴きました。
 

お話は二つに分れまして、赤塚の正助は今日は七月十二日で、お精霊さまのおいでの日だというので、お迎い火というやつを焚いております。
 

「さぁ、坊さま。お前も今年は五つだから、少しは物心もつく時分だが、こうやってお迎い火ィ焚くも、おめえ様のお父(とっ)さまがお精霊様になって来なさるから。さぁ、お念仏を言わっしゃい」
 

と、仏壇から線香の煙(けぶ)って煤(くすぶ)った、白木の位牌を持って来まして、
 

「坊ちゃま。これがおめぇの父(とっ)さまだよ」
 

「なに。おれの父(とっ)さまぁ。お前だぁ」
 

「もってぇねえ。おれは、草履取だぁ」
 

「草履取だ。草履取たぁ、何のことだぁ」
 

「草履取たぁ、履物を取るこったぁ」
 

「それじゃぁ、坊の草履を取るかの」
 
 

「まぁ、そんなものだが、これ、よく聞かっしゃいよ。
 
おめぇ様の父(とっ)さまは浪人こそなすったが、元は二百五十石取った立派なお侍で、絵ぇお好きなばかりで、朋輩(ほうばい)の嫉(そね)みぃ受けて、菱川重信といって、ついに絵描きになられたが。
 
器量良しの奥様持ったのが身をほろぼす瑞相で、五年前の六月六日の晩に落合で磯貝浪江という悪人のために殺されただ。その時ぁ、おれ、余儀なく悪人に荷担してすまねえから、おめぇ様を殺せと言いつかったのをさいわいに、この赤塚へ隠れて、お前さま成人させ、どうかして親の仇ぃ討たせてぇと、お前が背丈のびるのを待っていただ。
 
ええか、今にもその浪江という奴に出会(でっくわ)したら、この刀で、横腹えぐって、父(とっ)さまの仇ィ討たんければなんねぇ。
 
ええか、この刀ぁ、お前様を角筈の十二社の滝壷へぶち込めっていった時、犬威(いぬおど)しに差して来た生くらで、こんなに錆びているだが、こっちが一生懸命なら、これだって怨みは返(けぇ)せる。おれが助太刀するから、親の仇ぃをえぇか。
 
 
 

と、おがらをくべて今、念仏を唱えております。
 
 
こなたの窓から覗きました磯貝浪江は、ずかずかと入って参ったから、正助はびっくりいたしたが、一方口のことゆえ逃げるところがない。
 
 
浪江は、上り框(がまち)に片足踏みかけ、刀の柄へ手をかけまして、
 
 
「珍らしゃぁ、正助ぃ。おのれが悪事を隠さんために、この浪江を仇と狙うなどとは片腹痛し。出で。ガキもろともまっ二つにしたしくれん」
 

と、居合腰に体を縮めて、刀をすらりと抜き、
 
 
「おのれっ」
 
 
と、真向に振り上げましたが、葺下(ふきおろ)しの茅葺(かやぶき)屋根ゆえ、内法(うちのり)が低いから、切先を、鴨居へ一寸ばかり切り込んでがちり。
 
 
正介は逃端を失いましたから、一生懸命、
 
 
「坊ちゃま。そら、かたきぃだっ」
 

と、仏壇にあった瀬戸物の香炉を取って、浪江へぶっつけましたから、灰は左右へ散乱して、浪江の両眼へ入ったゆえ、あっといって思わず眼を塞ぐ。
 
 
刀は、鴨居へ切り込んであるから、体を屈めて取ろうといたせど、あたりは灰神楽(はいかぐら)で、少しも見えませんから、さすがの浪江も少し慌てて、脇差を抜こうというところへは気がつきません。
 
 
こなたの正助は、ここぞぉっと思いまして、ありあわした樫の木の心張棒(しんばりぼう)で、めった打ちに腰の番(つがい)のところを三ツ四ツ喰わした。
 
 
不思議やこの時。まだ、五歳の、眞與太郎でございますが、さながら後ろで誰かが手を持ち添えてくれますように、例の錆刀(さびがたな)を持ちまして、
 
 
「お父(とっ)さんの仇ィ。思い知れぇっ」
 

と、高らかに呼ばわりまして、浪江が横腹へ突き込み、一抉(ひとえぐ)り抉(えぐ)ったから、何かはもって堪るべき。
 
 
浪江は、アアッと、苦しみ立ちすくみというやつで、ああっと、それへばったり倒れたから、正助は南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏を唱えながら、めった打ちにのしかかってぶちましたから、ついに浪江の死骸は顔も何も分らぬようになったとやら申します。
 

ちょうどこれは宝暦の六年七月十二日の暮れ合いのことで、さっそくこの辺はお代官支配でございますから、手付衆の御検視が参って、浪江の死骸を改め、一通りお尋ねがあって、正助、眞與太郎は、名主預けになり、法のごとくお咎めを受けました。
 
 
正助は、後に髪を刺りまして回国に出て亡き人々の回向をいたし、眞與太郎は五歳で親の仇を討ったのは珍しいと、旧主秋元家へ十五歳になったら帰参させようと御奉書を賜わり、遠縁の者が引き取りまして世話をいたすことになりました。
 
 
このお話はまず今日で千秋楽と相成りました。永らくの間お耳を拝借いたしてお退屈でございましたろう。
 
 
 
【完】
 
 
 
 
*怪談 乳房榎の物語の舞台を歩く*