まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【改訳 怪談 乳房榎】 第十七講

 

 

新兵衛は夢のお告げに喜びまして、赤塚へ参り、尋ねあぐみましたから、松月院の門前へくたびれて立ち寄り、休みますと、そこにおりましたのは正助でございますから、互いにまた巡り逢いましたのを不思議に思い。
 
 
まぁ、なんでこの辺をお歩きなさると、聞きますと、
 

「じつは女房がこれこれの次第で、その願(がん)かけに榎を尋ねたところ、どこにあるのかいっこう分らず、もう根が尽きてならんから、思いきって帰ろうかと思います」
 

と、話を聞いた正助は、
 

「それは不思議なごんだが、その榎の下に白山様があるっていうのは、大方この門のうちの榎だんべぇ、わしも近頃ここへ来て間もねえから、よくは知らねえが、榎の下にある御札箱のようなちいせぇっぺえ宮が、白山大権現様(*1)だと聞いただ。マァ、あすこへ行って見なせぇ」
 

と言いますから、新兵衛も喜び、これから正助が案内をいたしまして、榎の下へ行って見ますと、いかにも古びたお宮がありまして、額もなければ何も神号を書いた物はありませんが、白山さまにはお約束の房楊枝(ふさようじ)(*2)が五六、煤だらけにまっ黒になってあがっております。
 
 
これは村の者が口中の患いでもして、この神へ願かけをして、治ったから納めたものでございましょう。それに榎を見ますと、なるほど、乳房のような瘤(こぶ)が幾つもあって、その先から垂れるほど脂(やに)が出ておりますから、いよいよこれだと、新兵衛はまず漱(うが)い手水(ちようず)をつかいまして、信心をいたし、この榎の乳から垂れます水を竹筒に受けまして、正助に暇を告げ帰りましたことで。
 
 
正助は、これまでこの白山様にこんなご利益があろうとは知りませんでしたが、新兵衛が霊夢に感じて遠(とお)からわざわざ探して来るのは奇妙だ。
 
 
幸い眞與太郎さんも乳がなくって、時々思い出すと泣いていけないから榎の露を飲ませべぃと、これから眞與太郎にも竹筒にうけては飲ませ、しきりと信心をいたし、毎朝、毎朝、焚(た)きますれば、麦飯だけれども御膳を上げる。または落雁や駄菓子なんどをあげておりました。
 
 
その後、三七日(さんしちにち)(*3)の二十一日目に新兵衛は夫婦連れでお礼参りにやって来まして、願ほどきに、小さな幟(のぼり)と、こう女が坐って乳を絞っておりますとこちらのほうに雲があつて御幣(ごへい)が立っておるという、額を納めまして、正助へもお前がここにおいでたばっかりで、尋ねあぐんだ白山様も知れたのだからと、何か礼にと、二朱包んでくれまして、御利益で乳癌にでもなりそうな腫物(できもの)が治ったから、お礼には百人の者へ広めろという最初のお告げだから、これから人にこちらの榎のことをはなして信心をさせますと、松月院へもお経料を納めまして、その日は帰りましたが、その頃は、只今のような開化の時と違いまして、とかくに変なものを信心をいたしますのが流行りますからたまらない。
 
 
わずか三月ばかりのうちに、赤塚の榎の洞(うろ)から乳が出るが、人間の乳と少しも違わねえで、乳の無え子なんぞには、それを飲ましておけば無病で、ずんずん育つそうだ。
 
 
それに、親の、出ねえ乳まで七日のうちにきっと出て来るのは不思議だ、奇妙だと、噂をいたしますから、いよいよ評判が高くなりまして、赤塚の乳房榎、乳房榎と、誰いうとなく申します。
 
 
幸せなのは正助で、ちらほらと参詣がございますから、しまいには乳を貰って帰ります竹筒ぽうを何本もあつらえて売るようになり、また休んでゆく人もありますから繁昌で、正助は間がな隙がな、この白山権現を祈りまして、なにとぞ主人の悴眞與太郎を成人させまして、父の仇磯貝浪江を首尾よく討たせて下せぇと、一心に願います。
 
 
少々お話が前後いたしたようでございますが、この赤塚という村のことが江戸名所図会に出ておりますから、ちょっと申し上げますが、赤塚と申します地名は昔高位のお人の墓があったところゆえ、あらはかと申しましたとも、また赤塚右近、同じく蔵人(くらんど)などという大名が住んでおりました所ゆえ赤塚と申すとか。
 
 
榎の洞(うろ)から乳の出ましたことも昔のことで、この乳をもって孤児を育てたということが出ておりますそうでございますが、榎のございます寺は、万吉山松月院(まんきちざんしょうげついん)と申して、禅宗で、只今もって歴然と残りおりますが、こんなことは申し上げずとよろしいが、名所図会にありますからちょっと申し上げおきますので。
 
 
さて、その年も暮れまして翌年になり、その年は何事なく暮れまして、光陰は矢の如くとか申しまして、今年は眞與太郎も五歳になります。
 
 
いたって健やかに育ちますが、その代わり、まるで田舎の子供になってしまいましたから、色がまっ黒になって、眼ばかり光って、言葉までいなか言葉で、正助をまことの親と心得ておりますから、父(ちゃん)や父(ちゃん)やと慕いますのを聞いては、正助が情けねえと涙を浮かべまして、水っ鼻と一緒にかんでおります。
 
 
頃もちょうど夏の末で、土用がまだ入ったばかりという、恐ろしい暑い日でございましたが、向うからやって来ました男は、四十恰好で、鼠と紺の細かい微塵の越後の洗い晒(ざら)した帷子(かたびら)に、紺博多の帯、素足へ白足袋を履き、麻裏草履で、菅(すげ)の小深い笠を冠って、小さな包みを背負(しょ)いまして、暑いと見えて笠を取りまして腕捲りをして、天地金(てんちぎん)で親骨がとれかかっております扇でしきりにあおぎながら、汗を拭き拭き、
 

「あぁ、暑い。爺さん、水を盥(たらい)へ汲んでおくれ」
 

と入って参りました。
 
 
「へぃ、いま冷てえのをあげます。今日はてぇそう暑い日で、それに原ばっかりで日蔭の無え所だから堪らねぇ」
 

と撥(は)ね釣瓶から盥へ水を汲みまして持って参り、
 

「さぁ、おつかいなせぇ。ずいぶんこの水は冷てえ方では自慢でごす」
 

「そいつはすてきすてき。あぁ冷てぇ。これは手が切れそうだ。堀井戸かぇ」
 

「へぇ、ここらはじき三尺も掘れば、じき出ます」
 

「あぁあ、いい水だ」
 

と手拭を絞りまして、背中など拭うておりました男は、はたと正助と顔を見合せました。
 
 
「ヤヤヤ、おめぇは眞與島さんの正助どんだ。先生のおうちの、、、、、、いや正助さんに違ぇねぇ」
 

「エエ、なんだぇおめぇ。なぁるほど、お前さま竹六さまだな」
 

「どうも不思議なところで。どうも夢だね、夢のようだょ」
 

「おれも夢でぇ」
 

「じつにこんなところでお前に逢おうとは思わなんだ。そうしてどういうわけでここに」
 

と聞かれまして、正助は傷持つ足でございますから、ただ、もじもじしております。
 

「お前が、柳島のお家を眞與太郎さんを抱いてお使いに出たぎりで帰らないということは聞いたよ。浪江様、何さ今の旦那からお聞き申したが、ここはお前の在所とでもいうので、ここへ引っ込んだのかぇ」
 

「いえおめえ様、この訳は話せば長いこんで。一様(よう)や二様(よう)のことじゃあねぇだが。そうしてまぁ、おめぇ様がここへ来さしったのはどういう訳だぇ」
 

「いや、これにはいろいろ訳あり。マァ、ともかくも咽喉が乾くから茶を一ぺい。いえ、砂糖を入れて水を。今の冷たいのなら豪気だ。なに、あいにく砂糖が黒い。なに、いいとも、どうせここらには白いのはない。おっと、こぼれるこぼれる」


と腰を掛けまして、水を飲みなどいたし、
 
 
 
「いや、少しのうちに変わるもので、世の中は三日見ぬ間の桜かなで、もうあしかけ五年前になるね。
 
先生が落合で殺され、浪江さまが跡へお直りなすって、まだお前も知ってだっけ、あれから奥様がお産があったよ。しかも、お生れなすったのは男のお子でね。よいお子だけれど、奥様も、眞與太郎さんを連れてお前が行き方知れずになったということをお聞きなすって、旦那には義理のあるお子のことだから、あらわには気が揉めねえ。自然と心を痛めたもんだから、お乳が少しも、相変らずでさ、出ない。
 
さぁ、旦那が気を揉んで、あるとあらゆるお医者は申すに及ばず、乳揉みにまでかかったがでない。その中に赤さんは乳がないから痩せ衰えて、とうとうお可哀そうさ、亡くなった。そのお前、取り片づけをしてちょうど七日だ。七日目に奥様の乳の上のところへ腫物(おでき)がぽっつりとできたが、その痛むこと恐ろしい。
 
昼夜奥様は、ころころ転がって、ヒィヒィと言って痛がっておいでなさるので、聞けばこの頃赤塚の乳房榎の下の白山様へ願をかければ乳一切の病いなら、じきに治ると、とうとう竹六めにそのお役が当たって、早く行ってお乳とかを頂いて来てくれと。
 
それ、例の気短かで、それというとそれだから、この炎天をやって来たのだが、お前はまたどうして柳島を出なすったのだね」
 
 

と不審をうたれまして、正助、はや先だちますのは涙で、声を曇らせまして、
 

「竹六さん、これにはだんだん訳のぅあるこんだが、おれ先の旦那にゃあ大恩受けたから、なんでもその恩返しするつもりで、あの時坊ちゃまを連れて走っただよ」
 

「エエ、それでは坊様はあの時一緒で、今でもお達者で」
 

「まぁ、ありがてえこんには、おれ一心届いて、よそで乳い貰ったり、落雁噛んで喰べさせたりして、丹精してようようのこんで成人させただ」
 
 
「え、それではなにかえ。坊様はアノお達者で」
 

「おれ、いろいろ心配して、今年は五つだあ。これ、眞與太郎さん、どこにいるよ。また裏の池へかかってかな。一昨日(おとつい)もお前、はまったじゃぁねえか、危ねぇよ」
 

「なに池へかかりゃあんしねぇ、竹藪の烏瓜(からすうり)ぃ採るだぁ」
 

「烏瓜(からすうり)ぃとるって、駄目だぇ、よせょ。烏瓜ぃは喰われねぇから。ここへ来て、その竹六爺やにおとなしくお辞儀するだぁょ」
 

「おらぁ、お辞儀なんてぇこと知んねぇょ」
 

「知んねぇょじゃァねえ、困ったよ。竹六さん見て下せい。これが坊ちゃまだよ」
 

「え、この色の黒いガキが。いえなに、このお子がかぇ」
 

と胆を潰す筈で。
 
 
田舎で育ったから、日に焼けて色は真っ黒だし、頭はと申すと赤い毛で、もじゃもじゃと散(ざん)ばら髪でございまして、手織縞の単物(ひとえもの)というと、たいそう豪気ですが、方々に色紙が当たってつぎだらけで、膝の下は五分ばかりしか丈がないという、どう踏み倒しの古着屋に見せても、三百にしかは買うまいと思うほど。
 
 
竹六は、しばらく眞與太郎の顔を見詰めておりましたが、
 

「おぉ、坊さまかえ。たいそう立派におなんなすった。どこかお父(とっ)さんに面貌(おもざし)が似ておいでのは、嬉しい」
 

「おいらぁ、父(ちやん)はここにいるのが父(ちやん)だ。ほかにお父(とっ)さんはねぇ」
 
 
見違えるようになったから、竹六も驚きましたが、
 

「へぃ、あなたが坊ちゃんかぇ、まア大きく」
 

「えエィ。坊ちゃんという名じゃあねえょ」
 

「これおとなしくなせぇ」
 

「それでもお坊ちゃんじゃアねぇもの」
 

「ねぇとおっしゃって。あらそわれないよ。口許が先生に似ておいでだからね」
 

「もうへぃ、足かけ三年ばかりというものは、こんな草深えとこで育っただから、まるでいなか者で、あれまたそこらへさ、小便しちゃぁ駄目だぇ、よさっせぇ」
 

「いぇ、あのお前にあまえ。え、お可愛そうだよ。先生が御繁昌ならね、それこそ絹布(けんぷ)ぐるめで、もし坊ちゃま」

 
「また、おれ、ぼっちゃまだって、おれそんな名は知らねぇ。ばかやぃ」
 

と竹っ切りかなんどを持ちまして、田んぼの方へすたすた逃げて行ってしまいました。
 

「どうもさっぱりしておいででいい。だが、正助さん。お前ここにおいでのはどういう訳で」
 

「さぁ、おれが身の上を話せぼやっぱり長ぇだ。じつはこれこれの訳で。。。。。。。。」
 

と虚実を交ぜまして、これまでの家出をいたしたことを話しますから、竹六も気の毒に思いまして、
 

「そうかえ、それでお前が男の手一つで坊さまを養育したというわけ、なかなかそれはできない。お亡くなりなすった旦那が、さぞ草葉の蔭でお喜びだろう。お前は感心だ、恐れ入った。竹六、感服。。。。。。。。」
 

「おめぇ様、今、話したこと包まずに言うのだから、もし浪江さまが聞くと癇癪持ちだから、あの爺めぇふてぇ奴だぁ、と斬りかねねえから、どうか今日逢ったことは黙っていて。。。。。。。。それも、おれが命なんぞ一つや二ついらねえけれど、せっかく成人さしたあのお子を不憫だと思わば、のう竹六さん。おめぇ様も先の旦那には恩になっただ。それを忘れずば、どうかここでわしに逢ったことは、一切他言してくれるな。浪江さんへは言ってくれるな」
 

と頼みましたことで。
 
 
竹六も眞與太郎が今の姿を見まして、可哀そうだ、お気の毒だということが、肝に感じましたところでございますから、
 

「なに、そんなことは案じねえが好いぃ、けっして言わない。竹六、受け合った上は、石を抱いても他言をしないから不思議だよ、それは。あぁ、べらぼうに暑い日だ。あぁ、着物の汗でびっしょり。こいつは気昧がわるい。御免なせぇ、ついでにちょっと帯を締めなおして、なに足は汚れたが足袋をはいているから汚れないのはまた不思議だね」
 

と、着物を着直しますつもりで、紙入れの中の金入れにはいっておりました金を残らず鼻紙の上へあけまして、こちらへまわしまして、
 

「正助どん」
 

「あんだ、水でももう一杯上げようかぇ」
 

「なに水はよいが。これはね、失礼だよ、失礼だが、ここにたった二分二朱ある。これだけが今日の持ち合せと言うと、いつもはもっと沢山あるようだが、ないのも不思議さ、はなはだすくない、恥かしいが私の志。ああして何御不自由もない菱川先生の坊さまがあんな形(なり)。いえそんなことをいっては失礼だが、まことにおいたわしい。そこで、これは私が坊さまのことを思い出して涙をこぼしたからその涙賃。いえ、どうかこれで、七月も近いから単物(ひとえもの)の一枚も買って上げて下せぇ」
 

「いや、それはおめぇ様よしなさい」
 

「いえ、そうものがたく出られると困るよ。まことに少し、たった二分二朱。竹六、先の旦那さまへ御恩返し、またお前の忠義はじつに不思議、それだから納めておいておくれ」
 

「いや、おめぇ様、金なんぞ貰ってはすまねぇ」
 

「まぁまぁ、取っておきなさい。それでは人の親切を無にするものだ」
 

と辞退をいたしますから、二分二朱無理におっつけました。
 

「もう片陰がだいぶできたから、それでは肝心の榎のお乳をおもらい申すのだ」
 

と、うがいなどをつかいまして、榎の下へいって見ますと、流行るとは申しますが、かかるへんぴのことでございますから、お宮といったって小さな物で、杉かなどで拵えたお札箱のようなお宮で、扉のうちに何か御札のような物があって、前に御幣が一本立っております。これ御神体で。。。。。。
 
 
竹六は柏手を打ちまして、
 

「南無白山大権現、はらいたまえ清め、いやここは寺の境内だから、神道じゃああるめぇ。正助どんこのお寺は何宗旨だぇ、え、なに、浄土宗。そんなら、オンガボキャアベエロシヤナア、南無白山大権現様、南無白山大権現様、南無白山大権現様、眞與島の奥様の腫物(できもの)、たちどころに平癒いたしますように、天下泰平、国土安穏、商売繁昌、息災延命、家内安全、災難をのがれ福をなにとぞ授かりますように、オンガボキャア。。。。。。。。。」

 
なんどと一心に拝みまして、例の竹の筒へ榎の乳を受けまして、正助に暇を告げ、赤塚を出ましたのは八ツ頃でもござりましょうが、急いでやって来ましたから、ちょうど灯ともし頃に、柳島へ帰って参りました。
 
 
「へい、竹六。只今帰りました。」
 
 
 
 
 
 
白山大権現様(*1)

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白山権現(はくさんごんげん)は白山山岳信仰修験道が融合した神仏習合の神であり、十一面観音菩薩本地仏とする。白山大権現白山妙理権現とも呼ばれた。神仏分離廃仏毀釈が行われる以前は、全国の白山権現社で祀られた。

白山権現 - Wikipedia

 
 
 
房楊枝(ふさようじ)(*2)

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三七日(さんしちにち)(*3)
 21日間。「―の参籠(さんろう)
 人の死後、21日目。また、その日に営む法要。みなぬか。
 出産後、21日目の祝い。

 三七日 とは - コトバンク

 

 

 

*怪談 乳房榎の物語の舞台を歩く*

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