まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【改訳 怪談 乳房榎】 第十五講

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 2月 11日 赤口  四緑木星

         辛巳 日/戊辰 月/甲午 年 月相 9.8  

         啓蟄 初候 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)    

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 0.9℃ 湿度 52% (大阪 6:00時点)

 

 

 

驚きました正助は、怖々ながら重信の顔を見ますと、去年6月6日の夜、落合の田島橋で殺された時のままで、浅黄ちぢみの五ッ所紋帷子(かたびら)に献上博多の帯で、こう、、、、、、肩先から乳の下へかけて生々とした血がついて、総髪をふり乱し、眞與太郎を抱きまして、忽然と霧と共に形を現わし、正助の方を白眼(にらみ)まして、憤怒の相は身の毛のよだつばかりで、正助は、

 
「アアアッ」
 
 
と言って、頭を両袖で隠し、突っ伏してしまいました。
 
 
重信は大喝して、
 
 
 
「正助。正助、おのれは、生来正路潔白なるが故に、悪人磯貝浪江に脅迫せられ、去年六月落合にてよくも大恩あるこの重信の頭上を打って、重悪人の助けをしたな。
 
また、妻おきせことも犬畜生に劣った奴。今にこ奴らは、わが怨根、その身に付きまとい、苦痛をさせた上、身は八つ裂きにしてくれようが、汝とてもその通り、かりそめにも主を殺せし大悪人、骨を砕いても飽き足らん奴。この場所で殺すのは安けれど、今、汝を殺しては、この眞與太郎を養育して、我が仇を討って鬱憤を晴らすものなければ、命を取ることは許して遣わす。その代わり、汝、今より悪心を翻(ひるがえ)し、この倅をいずくの地へなり連れ参り、成人さした上で、仇浪江を討たして、我が修羅の妄執を晴らせてくれよ。
 
だが、汝、浪江に謀(たばか)られたとはいいながら、大恩ある主人を殺害致す助力をなして、頭上を打ったとなと思えば、思えば憎き奴じゃあ」
 
 
 
と、眼(まなこ)地走り、髪を逆立てて、いきなり正助の髪を掴んで、こう、、、、、草原へ引き摺り、頭をこすりつけますから、正助は、ただ、
 
 
「ごめんなさい。ごめんなさい」
 
 
「良いか。今、申した事を忘れるな。我れ即座に汝の一命を取ろうぞよ」
 
 
「アアァ、許してくだせぇえ。許してくだせぇえ」
 
 
と、正助は総身へ油汗を流し、言い訳をして謝ろうと思いましても、口が利けませんから、唯、口の中で、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱えております。
 
 
「よいか、改心致したか。改心致したなら眞與太郎の力となり、仇を討たせ、我が無念を晴らせよ、良いか」
 
 
「ハァ、、、、、良うございます。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
 
 
と、一心不乱に念仏を唱えるそのうち、不思議や、必ず必ず忘れるなと、重信が大きな声で言った一声が耳に残ったばかりで、ササァっと吹き来る風もろ共に、重信の姿は何れへか消えました。
 
 
正助は汗でびっしょりになり、
 
 
「旦那様、ごめんなせぇ。南無あみだ。。。。。。」
 
 
と、怖々頭を上げてみますと、いつか滝壺へ打ち込んだ思った眞與太郎がわが膝の上におりますから、またびっくり致し、
 
 
「ヤヤ、ぶっ込んだ坊ちゃまがここにおいでだァ。それでは、旦那様の幽、、、、、、、ァワワ。。。。。。。」
 
 
ぞっと致して、
 
 
「アア、情けねえ、マァ、旦那さまが我が子の眞與太郎さんに引かれてかぁ、ああ、御免なせぇ。」
 

と夢かうつつかわかりませんから、茫然と辺りを眺めておりましたが、耳へ残りましたのは、必ず必ず忘れるなという重信が声と、どうどうという滝の音のみ。
 
 
頃しも九月の二十日の月はいったん雲に隠れましたが、また出まして樹の間を洩れてぼんやりと辺りは明るい。。。。。。
 
 
正助は、スヤスヤ眞與太郎が寝ておる様子ですから、塵を払って立ち上り、

 
 
「ァア、悪いことはできねえもんだ、去年浪江さんに欺されて、金を五両貰ったが一生のおれの過りで、いやだといえば、おれぇ斬って切腹するというから、余儀なくすまねえと知りながら、大恩受けた方の頭をくらわし、もってえねえ旦那を殺した手伝いをして、それからまた坊ちゃまをこの滝壷へぶっ込めって、ァア、そう思っても身の毛がよだつだ、ァア、旦那様よく意見してくらしった。
 
おのれ今日の今日という気ぃついたよ、けっしてお前様がいったことは忘れねえよ。これから坊さまを育てて助太力をして、悪党の浪江を殺してお前様の欝墳はらさせます。坊さまをすんでのことに、この滝壷へ、ァア、この谷から覗いてもぞっとする、アァア……寒くなったダ。まだおれいいことにゃア、浪江から貰った二十両ここにあるから、これから練馬在の赤塚がおれの故郷ゆえ、そこへ坊ちゃまをお連れ申して行って、ともかくもしておれが成人させて、仇ぃ討たせ、旦那の幽霊さまへ詫びするが専一だ」
 

と根が正直一図の正助でございますから、眞與太郎を懐ろへ入れまして十二社(そう)を立ち出で、後へ戻りまして追分から新宿(*1)へ出ました頃は、まだちょうど九つ過ぎで、盛り場のことですから往来は賑やかだ。
 
 
ここのうちが立派だからここへ泊まろうと、扇屋と申します宿屋へ入ります。

 
「いらっしゃい、お一人様で」
 
 
「いえ独りじゃアねえ、坊ちゃまと二人連れだ」

 
「おぉ、お子様をお連れなすって、奥の六畳へお連れ申しな」

 
と遅うござりますから、六畳へ連れて参りましたが、正助は、眞與太郎が昼っから乳を呑みませんから、さぞ、ひもじかろうと我が膳に着きませんうちに、

 
「この子に乳を一杯貰いてぇが」

 
と頼みましたが、亭主が出て参って、あいにく宿には乳飲みがないのでよそから貰いますのですから、なにぶん今夜は遅いゆえ明日にして下さい、というので、正助は余儀なく、また落雁を噛み砕いて食べさせまして、床につきましたのは九つ半か八つ頃でこざいました。
 
 
 
「これさ泣いたってだめだょ、ソレ落雁の粉(こ)だ、黙らっせえ、えぇ子だ、えぇ坊ちゃ。まだあょ、ソラ、行燈に灯々(ふうふう)がついているよ、泣かずに寝んねなせぇ。
 
ゆうべまでおっかさまの乳ぃしゃぶって寝たものか、にわかにこの正助爺と寝るのだからもっともだあょ、これもお前様は頑是(がんぜ)ねぇけれども因果だと諦めていなせぇ、おとなになさると明日ぁ沢山乳ぃ飲ませます」


 
と欺しつすかしついたしますが、いたわしや眞與太郎はただビィビィと泣くばかりで、少しも眠りません。
 
 
正助を泊めました扇屋では、夜っぴいて赤児が泣きますから、耳について寝られません。女房は堪らなくなったから起きまして、正助の寝ております座敷へやって来ました。

 
「御免下さいまし」

 
「なんだぇ、用でもあるかね」
 

「いえべつだん用事ではございませんが、たいそうお子さまがおむずかりなさいますが、どうかなすったのでございますか、お虫のせいで」
 

「いや虫でもねえのさ、宵に泊った時に、乳の出る女ァねえかえと聞いたはここのことだ。坊様がおめぇ、乳ねぇもんだから、それでむずかるのだ、おれいくら欺しても泣きが止まらねえで、じつに困ってしまったが」
 

「それはまァ、お困りでいらっしゃいましょう。あいにく私は乳が出ませんでいけません」
 

「じつに困っただよ。泣く子と地頭にゃ勝たれねえとって、当惑しただが、おかみさんどうかして、たった一杯乳い飲ませろ工夫がつくまいかぃ」
 

「もう私もどうかと存じて、いろいろ考えておりますのでございますが、何を申すのも夜中でございますから困ります、さァ少し私が、どれどれ、おお、坊ちゃん、よいお子で」
 

などと、女房も騒々しいと思いますから、抱いてやります。
 
 
ところへ廊下を通りましたのは四十前後の商人風のおかみさんで、この家へ泊まり合せました客で、そこは子持ちというものは人情の深いものでござりまして、今、眞與太郎がビィビィと泣いておりますのを見て、正助の座敷へ入って参りました。
 

「おやまぁ、どうなさいましたの。私がただいま下へ手水(ちようず)に参ったら、たいそうお小さいのがお泣きなさるから、こちらのお子さんかと下でお尋ね申したら、まぁ、お客さまのだって、おやおやお可哀そうに。さぁ、ちょっとおよこしなさい。ちょうど張っておりますから一杯飲ましてあげましょう」
 

と宿屋の女房の抱いておりました眞與太郎を受け取りまして、自分の乳を飲ませてくれますから、正助、大喜びで、

 
「マァ、御親切さまに、ありがてぇってこんな嬉しいことはねえ。もう泣き出しては止まらねえから手こずったところだ、これはありがてぇ」
 

「いえ、さぞあなたお困りでしょう。え、このお子はあなたのではない。え、御主人の、そうでございますか」
 
 
「まことに子供を持ちますと御同然に」

 
と世辞を言いながら乳を飲ませますと、子供は罪のないもので、しばらく乳をしゃぶっておりましたが、腹がくちくなったからすやすや眠ります。
 

「はぁ、まことに坊さまが。あれぇ……腹ァくちくなったと見えて現金だよ、そら眠っただ」
 

「ほんとうに、まぁ、呆れたものですね。あれ御覧なさい、すやすやといびきをかいてさ」
 

「子供衆はお乳が何よりか一番でございます。寝んねなさいましたから御免なさい」
 

と泊まり合せました女房はわが座敷へ帰ってゆきましたが、正助は人に人鬼はないと喜んで、眞與太郎を抱きましてその夜は眠りに就きました。
 
 
その翌朝のことで、正助は自分も手水に行き、また眞與太郎にも小便をさせようと下へ降りてまいりますと、便所の傍の流しに、お定(さだま)りの塩笊(しおざる)が片っぽにありまして、もう九月でございますから、銅壷(どうこ)(*2)のある風呂へ湯が湧いてあるという、小さな金盥(かねたらい)が三つばかりありまして。
 
 
顔を洗っておりました五十近い男が、正助がいま眞與太郎に小便(ちようず)をやりながら、しぃ……そら出たぁ、たいそうしょぐりなすったなどと言っております、顔を見まして、
 

「もし、そこにおいでのは眞與島さんの正助さんじゃぁないかぇ」
 
 
と名を呼ばれましたから、きず持つ足の正助びっくりいたしました。

 
「誰だぇ、名を呼ばるのは」
 

「わしだよ」

 
「誰だぇ」
 

「正助さん、まア変なところで逢ったね。高田の南蔵院でお心易くした原町の新兵衛、万屋新兵衛だよ」

 
「エェ、新兵衛さまだぇ」
 

「あい、新兵衛だが、見れば乳飲み子を連れて。ゆうべここへ泊まんなすったのかぇ」
 

「あぁ、新兵衛様か、おれ誰だと思ってびっくりしただぁ」
 

「まぁ、ここで互いに逢おうとは思わなんだ。そうしてお前どこへ行きなすって」
 

「わしぃ十二社(そう)へ、いえ滝へ、なにぃ滝浴びに行っただ」
 

「なに、滝を浴びにおいでだって。。。。。」

 
「なにそうじゃアねぇ、十二、十三」
 

「相変わらず面白い人だ、ともかくもちょっと私の座敷ヘおいで、そのお子は。。。。。。ああ、ゆうべうちのが夜中に乳を飲まして上げたといったお子はお前のお連れのそのお子だろう。どうも不思議な」
 

「はァ、それでは夜中に乳ぃ飲ましてくらしゃったおかみさんはあなたのとこだって。それは不思議。大方、旦那様の幽霊がぁ。。。。。。」
 

「なんだとぇ」
 

「イヤ、なにぃ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
 

と念仏を唱え、両人はわが座敷へ参りました。
 
 
はからずも正助は小石川原町(*3)の万屋新兵衛に逢いましたから、
 

「去年じゅうは、いろいろ主人重信が御厄介になりありがとうござりました」
 

と礼を述べますと、新兵衛も
 

「まことにあの節は毎日失礼ばかりいいましたが、さて先生もとんだ御災難でああいう訳になり、その後うけたまわればお弟子の浪江さまとやら、あの先生が落合でああいうことのあった昼おいでなすった方で、色の浅黒い苦味ばしった、あのお方が後へおなおりなすったって、奥様がお美しいから浪江さまはお幸せだ。。。。。。。そうしてお前どこへおいでで」
 

「へぇ、わしい今言った通り、十二社へ滝を浴びにぃ」
 

「滝を浴びには少し変だが、私も滝に縁のある高尾山(*4)へ参詣に、これか、なにわしのうちのやつで、ゆうべお前のお連れのお子へ乳を上げた、お秀といいます。どうぞお心安く。へぃ、なに私もゆうべ無理をすれば帰られますが、やっぱり子供があるのでここへ遅く泊まったので」
 

「はァ、おかみさんでございますか。いやや、お前さまのお蔭で坊ちゃまが泣き止んだだぁ」
 

「なにかえ、それではそのお子は」
 

「へいこのお子は、御主人のお子で」
 

「重信先生の、なるほどどこか争われないもので似ておいでなさるよ。。。。。このお子さんとたった二人はおかしいね、奥様や何かはお先かぇ」
 

「いいや。たった二人で」
 

とあらわには言えぬことでございますから、もじもじいたし、
 

「新兵衛様、こうして坊さまをお連れ申してお家を出たのは、いろいろこみいった訳のあることで、いずれ後で分りますが、今は言われねぇ大事な一件で、お前様。ここでわしぃに逢ったことは人に言わねぇようにして下せぇ」
 

と、真実面(おもて)に現われまして頼む様子に、新兵衛も承知しまして、
 

「それでは何か訳のあることゆえ、お前に逢ったことは他人に言ってくれるな、、、良いよ、お案じでない、けっして他言をせぬから」
 

「あんたが他言して下さると一件が出るよ」
 

「なに一件とは」
 

「怖え顔をして」
 

「なんだか変だね。。。。。」

 
と、新兵衛は変な正助の素振りでございますから、これには何か訳のあることと思いまして、
 

「けっして、人に出逢ったことは言わぬから安心しなさい。お秀、お別れにもう一杯このお子へあげて、それでお別れをしよう」


「さぁ、こっちへおいでなさい」
 

と、眞與太郎にお秀は乳を呑ましてくれます。
 
 
そのうちに新兵衛も正助も勘定をすませまして、それではくれぐれもわしに逢ったことはいわねえで。と、互いにここで別れましたのは、その翌朝のことで、これから正助は眞與太郎をおぶいまして、わが生れ故郷だからと、練馬在の赤塚というところへ参りましたが、ここには一人の姪がござりまして、亭主はやはり百姓で文吉と申して、ごく堅い人でございますから、まずここを頼りわが身の上を話しまして、ともかくも主人の遺子(わすれがたみ)を養育しなければならん、とこの赤塚に落着きましたが、相変らず乳に困りますから、姪が抱きましては隣村辺りを貰って歩きますことで。
 
 
正助はもしや浪江がおれを探してはいぬかと思いますから、一月二月ばかりは外へとては少しも出ませんでうちにばかり引っこんでおります。
 

悪才にたけております磯貝浪江でございますから、さては正助めは眞與太郎をつれて駈け落ちをいたしたなぁ、なんでもあいつは眞與太郎に成人させて、おれを仇だと言って討たせるつもりであろうと、すぐにも気がつきそうなものでござりますが、それは世に亡き重信が導きますところか、天命とでも申しましょうか。
 
 
浪江は正助がまったく二十両金をつかわしたところから、後難を恐れ、この上またも難題を言われては困ると、あいつ滝壷へ眞與太郎をぶち込んだままどこへか逃げてしまったのだろう、師匠を殺す時にも手伝わした正助、あんな馬鹿正直なやつだからよいけれど、あれでもおれが悪事を知っておるかと思うと、どうも寝覚めが悪かったが、先から身を引いたのは願ってもないことだ。
 
 
あいつが訴人でもすれば罪は逃れぬ同罪だから訴える気遣いはない。なにしろ正助が、急にうちにいなくなったのはもっけの幸いだと、浪江はかえって喜びまして、おきせには正助が善くないやつだと、いろいろな作り事をいいまして、なにもかも罪をおわせ、これで枕が高く寝られると、いなくなりましたのを苦にいたさないのが、後で考えますとまったく浪江が大悪無道を天の許さぬところでござりましょうか。
 
 
これから貧苦のうちに眞與太郎を育てまして、ついに親の敵を討たせますという、赤塚村乳房榎(ちぶさえのき)の由来のお話になりますが、ちょっと一息つきまして。
 
 
 
 
 
 
 
新宿(*1)

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銅壷(どうこ)(*2)

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銅壷(どうこ)とは、火鉢の中に置き、湯を沸かし燗酒をつくる民具である。から熱を受ける部分と湯を貯め徳利を浸ける部分に分かれ、2本のパイプで繋がれており、その構造はバランス釜浴槽に似る。素材は、熱伝導性が高い純銅を使用する。古来より「銅壷の水は腐らない」と言われるが、これは銅イオンの殺菌作用によるものである。

熱を受ける部分の形状は、炭を覆うものと炭直下のに埋め込むものに大別される。炭を覆うものの外観は天井が空いたドーム状をしており、上部に五徳を造り付けたものが多い。二重構造になっており、内部に満たされた水が炭の熱を受け湯になる。炭直下の灰に埋め込むものの構造はU字型に曲げられたパイプであり、炭を覆うものに比して火箸で炭の世話をしやすい利点がある。パイプと貯湯部分の結合部は上下にずらされており、熱せられた水が循環する仕組みとなっている。

湯を貯め徳利湯煎する部分の形状は概ね直方体で、上部に給水口を兼ね徳利を挿し入れる丸い穴が開けられている。湯を保温するためや灰の混入を防ぐ目的で、この穴を塞ぐ蓋が付属するものもある。

銅壷 - Wikipedia

 

 

 
小石川原町(*3)

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高尾山(*4)

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【怪談 乳房榎】物語の舞台を歩く