まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【改訳 怪談 乳房榎】 第十一講

 

 

「浪江がくれた魚は中々新しいな。どうじゃ、正助。貴様は、いつも呑める口じゃあないか。ひとつ相手を致してくれ」
 
 
と出しますが、正助は、今にも浪江が出て殺すだろうと思いますと、中々酒を呑むところではございませんから、
 
 
 
「ありがとうごぜぇますが、何だか今夜は胸が苦しゅうごぜぇますから、よしにしべぇえ。
 
あんた、モウ沢山あがれ。もうあがり仕舞いだから。
 
なにさ、先生様、ワシィ長い間あんたの所へ奉公ぶって今年で九年になるだぁ。誠にこれまで御恩になって。やれ正助、それ正助と、やれこれ言って下すった事を考えると、ワシィ涙がこぼれてなんねぇ」
 
 
 
「これこれ、何を感じてさようなことを申すのじゃか知らんが、そんなことは申さずともよいわ」
 
 
「それでも、おめぇ様が息のある内にぃ、、、ナニサ。行きますべぇ寺へ」
 
 
「チチ、帰れと申すのか。なるほど、今日は昼間からムシムシ致して暑かったのは、空が雨をもっておるからであろう。。。。。」
 
 
と、空を見上げまして、
 
 
「チチ、だいぶ空合いが悪くなって参った。降らぬ内に帰宅致そうかな」
 
 
「帰(け)ぇらっしゃるがぇ。エエ、雨が降るとここらは滑って歩けねぇから、早く行きましょう。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
 
 
「エィ、また念仏を唱えるョ、変な奴じゃな」
 
 
と、支度致します。
 
 
正助は食い散らかしました折りなどのふたを致して、持って行くつもりと見えますから、
 
 
「こりゃ、こりゃ。折りなどはそこへ捨てて参ってもい。もう中には何もありはしない。段通をはたいて、泥が付いてはいまいか。アア、月が顔を出したな。これは降らんかも知れぬ」
 
 
重信は、あまり普段は酒を呑まぬお人でございますが、正助が相手をしませんから、手酌でやって、思いのほか酔いましたから、一歩は高く、一歩は低く、ひょろひょろしながら、
 
 
「アア、良い心持じゃェ」
 
 
と、田島橋(*1)を渡りましてなだれに参ると、小坂があります。
 
 
この傍らは一面の藪で、ススキが所々に交わっておりますが、まだ時期が早いから穂は出ませんで、赤楊(ハンノキ)林が片側で夏草が茂っており、いろいろな虫が鳴き連れて、ものすごうございます。
 
 
正助は、かの浪江がここらに隠れていると思うと、足が進みません。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と口の中で念仏を唱えましております。
 
 
「コレ、正助、早く来んかぇぇぃ。とかくそちは遅れるの」
 
 
「へぃ、足が痛ぇから歩きましねぇ。旦那様あんたは先だ。正助は供だから後だ。間違えちゃなんねぇいよ」
 
 
「何つまらんことを申す」
 
 
「先生は先で、正助は後だょ」
 
 
「あれ、またさようなことを、変な奴じゃ。今夜はどうかしておる様子じゃ」
 
 
と行き進みます。
 
 
 
とと、かねて藪の茂みに忍んでおった磯貝浪江は、やり過ごした重信を目がけ、竹槍を持って突きかけました。
 
 
重信は、太ももを突かれましたが、さすがは神影流の名人でございますから、ウンと言いさま、尻持ちをつきながら、腰の脇差をスラリと抜きまして、
 
 
「おのれ、狼藉者。何者じゃ。姓名も名乗らずに卑怯な奴じゃあ」
 
 
と、正顔(正面)にピタリとつけました。
 
 
こちらは手早く竹槍を捨てまして、一刀を引き、抜き振り上げは振り上げましたが、正顔に付けられたので、打ち込むべき隙がございませんから、あっと、ウロウロウロウロ致し、ためらっております。
 
 
重信は、手負いながら、
 
 
「正助、正助はどこにおる。助太刀を致さぬか」
 
 
一方、浪江は、
 
 
「こりゃあ、正助手伝え、手伝わんか」
 
 
と、息を切らしております。
 
 
困ったのは正助で、
 
 
「へぃ、、、、、、、、」
 
 
「狼藉者じゃ。正助助太刀致せ」
 
 
「正助、約束じゃ。手伝え」
 
 
と困りましたが、浪江は手拭いを持って面体を隠しておりますが、正助の方に顔を向けておりますから、睨みつけておりました。
 
 
重信は、後ろ向きでございますから見えません。
 
 
正助は、浪江が睨んでおりますから、もし手伝わなかったら、後でどんな目に合うかも知れないと思いますから、正直もの故、大恩を受けた御主人で済まないが、仕方がないと観念致しまして、目をふさいで木刀を振り上げ、後ろから重信の頭を一生懸命に、
 
 
「ごめんなせぇ。許してくだせぇえ」
 
 
と、無闇打ちというように打ちましたから、重信は、後ろは敵がないと思ったところを、不意に打たれました故、
 
 
「おのれは正助か。ウニャア、おのれはぁあ」
 
 
と、振り向くところを、浪江は重信の足を払いました。
 
 
アッと、よろめく重信にのっかかって、横手殴りにアバラから腰のつがいを掛けまして、深く斬り込みましたので、ウンと、うつ伏せに倒れ、虚空をつかんで、ウムゥ。。。。。。
 
 
「貴様は、早く逃げて帰れ。かねて申し含めた通りに致せ」
 
 
「浪江様、やらっしたなぁ」
 
 
と、ブルブル震えております。
 
 
「もう、これでよい。早く、早く、はょ」
 
 
と、せき立てられました正助は、これで年が明けたと思いますから、弁当箱も瓢箪も、そこらへ落としまして、足に任して逃げたの逃げないのではございます。
 
 
うんとうんと、南蔵院の一町半ばかり先まで逃げて行きましたが、心付いたから、また後へ返り、閉っております門を破るほどに、、、、、、、叩きました。
 
 
壊れるかと門をたたきますから、何事かと思いまして、所化(しょげ)(*2)と小坊主が、目をこすりこすり、閂(かんぬき)を外しまして、潜りの所の扉を開けて、
 
 
「誰だェ」
 
 
「ワシィだょ。正助でごぜぇます」
 
 
「何、正助さんか」
 
 
と、正助は飛びこむように内へ入りまして、息を切って、
 
 
「随連様かぁ。大変だょ、大変だぁ」
 
 
「これ、正助どん。大変とは何事だぇ」
 
 
横の小坊主が、
 
 
「正助どん、お前、草履を手に持って。それ、方々が泥だらけだ」
 
 
「イヤ、泥だらけなんぞは構いましねぇ。大変、、、、、、、だぁ。大変、先生様が道で、狼藉にであってぉうお。。。。。。。。」
 
 
と口がきけませんほど、息を切りました。
 
 
「モシ、水を一杯くだせぇえ」
 
 
「今、あげるが。何だ先生が道で狼藉者に出合ったって」
 
 
「サァ、水をおあがり」
 
 
「エエ、ありがてぇえ。狼藉者が道に出合って殺された、先生を」
 
 
「何をそんなに急き込んで、、、、、冗談を言うのだょ」
 
 
「冗談どころか、先生様が殺された」
 
 
 
「それが、冗談だぁあ。気を落ち着けていなさい。
 
普段、先生がよくおっしゃったっけが、正助は正直者で影日向なく働いて良いが、あいつ、その代わりにお酒を呑むと、主人も家来も見境の無くなるのは困ると、おっしゃったが、お前大そう今夜は酔っておるね」
 
 
 
「酔っ払っていると見えて、正助どん、お顔が青くなっているょ」
 
 
「お前、喧嘩でもして来たのかぇ」
 
 
「いや、おれじゃねぇえ。先生と狼藉者と、、、、、斬り合って、落合の田島橋のなだれで」
 
 
「それがさっぱり分からない。先生は、もう遠(とお)にお帰りになって、本堂で夜なべをしておいでだ」
 
 
「エエェ、、、、、、、、、、、先生様が帰ったって。そんな嘘をいっちゃあいかねぇ」
 
 
「何、嘘を言うものか。それだからお前の言うことが変なのだ」
 
 
「エエ、たまげた。なんで、、、先生が本当に」
 
 
「疑ぐるなら、本堂へ行って見てみなさい」
 
 
「エ。それじゃあ本当に。早えぇなぁ。もう化けて来たかぁ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
 
 
と、手を合わせて念仏を唱えております。所化(しょげ)も変な塩梅でございますから、正助を伴いまして、
 
 
「マァ、ここから見なさい」
 
 
と、言われました。
 
 
正助は、ゾッと致しましたが、もしやおれが目をねぶって先生の後ろから夢中で打ったから、間違えて浪江さんを打って、あの場でぶち殺しでもしたか知らん、そうならばありがたいが、どうか先生が助かってござれば良いが。
 
 
しかし、浪江さんがワシへコレコレ頼みましたと、訳をお話し申したら、お暇になるだろう。
 
 
どっちにしても、飛んだ事をやらかした。。。。
 
 
と、所化(しょげ)の随連が見ろと申すから、怖々ながら、入る側の所から、本堂の方を覗きますと、重信はいつもの様に、障子屏風を立て回しまして、ろうそくをカンカンと照らし、中腰になって筆を持ち、何か描いております影が、映りますから。
 
 
エェェ、正助は驚いた。歯の根も合わずびっくり致したから声も出ません。
 
 
 
「アレ見ぃ、屏風に影が映るではないか。
 
先生はいつもの様に昼は気が散っていかん。真心を込めるには夜が良いとおっしゃって、ホレあの通り。
 
それを道で狼藉者に出合って殺されたなんかと、、、、、つまらない事を言ってはいかんぞょ。人を馬鹿にして」
 
 
 
正助は、あまりにも不思議でなりませんから、ブルブル震えながら、怖いもの見たさで、障子屏風へ指の先へ唾をつけて、、、、穴を開けまして、中を覗いてみますと。
 
 
今、菱川重信という烙印(らくいん)を書き終わりまして、筆を傍らに置き、印をウント力を込めて押した様子。
 
 
正助は、重信の姿を見ますと、どことなくやせ枯れてものすごいから、ガタガタ震えて。。。。。。。。。。。。
 
 
 
重信は、印を右の手に持ちながら、こっちを振り向きまして、
 
 
「コラァァア、正助。なにぃいい覗くぅううう」
 
 
と、言った時の一声が、何となく響き渡って、正助の腸(はらわた)へ染みわたりますから、
 
 
「アアッ」
 
 
と言って、そこへドサリ。
 
 
倒れましたこの刹那、カンカンいたしておった蝋燭の灯りは、一陣の風に連れましてツツッと消え、真っ暗がりになり、正助が倒れましたから、所化の随連も小坊主もびっくりしまして、我知らず大声を上げましたので、何事が始まったかと、和尚様も寺男も飛んで参って見ますと、正助はぶっ倒れている様子で、所化も小坊主もあっけにとられておりますから。
 
 
まず、正助を抱きおこして介抱し、どうしたのだと聞きますので、正助は、重信が落合の田島橋で狼藉者ものの為に非業の最期を遂げた事を言葉短く告げましたから、和尚様を始め聞きおった人たちはびっくり致しましたが。
 
 
重信は、本堂に先刻(さっき)帰って来て夜なべをしていると、聞いておりますから、何しろ早く本堂へ行ってみるが良いと、手燭、ぼんぼりなどを持って行ってみますと。
 
 
今までありあり姿の見えてました重信の姿は消えておるが、昨日まで描き残して出来ずにおった雌龍の右の手が、見事に描き上がって、しかも、烙印まで添えて、まだまだ生々と致して、印の朱肉も乾かず、龍の絵も、隈取りの墨が手につく様に濡れておりますのは、正に、まさしく今描いたのに違いありませんから、お住持(じゅうじ)をはじめ一同驚きまして、言葉も途切れますほどで、皆皆、ただため息をついでおりました。
 
 
 
 
田島橋(*1)

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所化(しょげ)(*2)

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 師の教えを受けている、修行中の僧。弟子。また広く、寺に勤める役僧。 

所化 とは - コトバンク