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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【改訳 怪談 乳房榎】 第十講

 

 

 

思いがけなく浪江に心腹を明かされました、正助は歯の根も合いませぬほどで、飲んだ酒もさめまして、体中がゾクゾクして参りましたが、逃げます訳にも行きませんから、ただ恐ろしい人だと浪江の顔を見つめております。
 
 
浪江は、平気で酒を飲み盃を下へ置きまして、
 
 
 
「今、話したわけだから。
 
今日、私はここからまっすぐに帰ったつもりにしておいて、実は隠れておって待ち伏せをしておるから。
 
お前はここから南蔵院へ帰り、この頃は落合の田んぼの蛍が大層良いそうでございますから、見物にいらっしゃってはどうでございます、幸い浪江様からお土産にくだすったお魚もあれば、瓢箪へお酒を入れてブラブラお出かけなさいと、よい塩梅に勧めて連れ出してくれ。
 
そうすれば、私は道に待っておって、出し抜けに斬ってかかるから、手前も後ろから助太刀して、木刀で先生の頭をむやみにぶってくれれば、たちまち落命は知れたことじゃよ。
 
よいか、どうか無いものにしてはくれまいか。どうじゃ」
 
 
 
「浪江様、おめぇ様はおっかない人だ。もらった金返(けぇえ)します」
 
 
「こりゃ、こりゃ。何も一旦遣わした、ナニか、前に上げた物を返すとは、失礼じゃないか」
 
 
「イヤ、おれ、金もらいますまい。。。。。マァ、浪江様。よく物を積ってごらんなせぇ。大恩のある、九年も御奉公した旦那様を殺すなんて、恐ろしいことが、もったいなくて出来べぃか。あぁ、おめぇ様の心意気なら御馳走にならなきゃあよかった。おれ、ここで物を食ったり、酒ェ飲んだりしたのが一生の誤りだぁ。情けねぇ」
 
 
と、メソメソ泣き出しました。
 
 
浪江は、弱みを見せまいと思いますから
 
 
「コレ、正助。手前、おはかり一大事を明かさせて、そんな事は出来ませんなどとは、不埒千万(ふらちせんばん)じゃぞ。ヨィか、一大事を口外致せて、聞き入れんければ、是非がない。そちを刺し殺しておいて、手前その場を去らず切腹致して相果てる。ヨィカ、覚悟を致せ」
 
 
と、刀を引き寄せますから、
 
 
「アア、おめぇ様、待ちなせぇ。べらぼうに気が短い人だ」
 
 
「さようなら、得心致してくれるか」
 
 
「だって、もってぇねぇ。そんな事が」
 
 
「やはり得心致さねば、刺し殺す分のこと。よいな」
 
 
「アア。待ちなせぇ」
 
 
「しからば承知か」
 
 
「だって、みすみす御主人様を。。。。」
 
 
「それでは頼まぬ。か程の一大事を明かしたのは、拙者の見込み違い。ヨィ、外へ出えぃ」
 
 
と、刀の鯉口をくつろげますから
 
 
「待てョ。待てと言ったら。待たっしゃい」
 
 
「さようなら得心するか」
 
 
「アア、嫌だと言えば殺すって言うし、ウンと言えば御主人様を殺さなければならぬぁ。情けねぇえコンダ」
 
 
「その代わり、これをし遂げてくれれば、骨は盗まぬ。沢山礼を遣わすからやってくりゃあれ」
 
 
「仕方がねぇ、やるべぇい。やりますヨ」
 
 
「しからばヨイか」
 
 
「ようございますと言うにぃ。ワシ仕方がねぇ、やるよ。だが、浪江様、先生は素晴らしい剣術の名人だヨ」
 
 
「イヤ、剣道に優れているという事は、おきせ殿から聞いておるからよい。例え名人でもまたこっちには計略がある。コレ、ちょっと耳を貸せ」
 
 
「エ、なんだって。アア、くすぐってぇえ」
 
 
「よいか」
 
 
と、何かしばらくささやきまして、
 
 
「そんなら、ワシ、供として行くのか」
 
 
「私はナ、落合(*1)の田島橋のなだれに小坂がある。その左手は一面のススキで、赤楊(ハンノキ)(*2)が所々にある小高い丘だから、その生い茂ったススキの中に隠れておって、先生をやり過ごして、竹槍でただ一突きに致す。そうしたら、貴様も後ろから真鍮巻きの木刀で、力に任せて頭を殴れ。そうすれば、いくら手利きだといっても、不意を討たれては遅れをとるものじゃ。ヨイカ、その代わりに只今申した通りに褒美として、二十両その方につかわすぞ」
 
 
「何、金いりましねぇえ。五両もらって人を殺せと言うもの。二十両べぇもらおうもんなら何殺せと言うか知んねぇ」
 
 
「たわけた事を申すな。金子を遣わしたって、先生の他に誰を殺すものか」
 
 
「何いいがね。だが、間違えて、おめぇ様、ワシィ竹槍で突いてはいかねぇ。提灯持てばワシィ旦那様より先だから」
 
 
「いやいや、蛍を見物に行くのに、提灯を持って行く者があるものか」
 
 
「ハァ、それじゃあ暗闇かね」
 
 
「今夜は朧月夜であろうと思うから、お誂(あつら)え向きだ」
 
 
「ヨイ、仕方がねぇ。嫌だと言ゃあ殺すと言うから仕方がねぇが。やっつけべぃ」
 
 
「しかし、手前、この場では受け合って寺へ帰ってから裏切りを致して、万一手違いにでもなる時は致し方がないから、最早悪事も露見致せば、本堂へ踏み込んで、貴様を初め、斬って斬って斬り死に致すから、そう思え」
 
 
「エエ、また斬り殺すって。ヨイョ案事ねぇがいい。大丈夫だ。おれも九年も奉公して忠義を尽くしたのもムダにしてやるべぃと受け合うからは、案事ねえがええ」
 
 
「そういう心なら安心じゃ。サァ、もうそれで良いから一杯飲まんか」
 
 
「モウモウ酒も咽喉へは通らねぇ。それじゃあ、この五両はもらっておくよ」
 
 
と、脅された正助は、金子を懐中して、土産の折り詰めをもらいまして、そんならこうこうこういう計略だと示し合わせまして、この花屋を立ち出て、南蔵院へ帰って参りました。
 
 
人間あまり不正直過ぎましてもいけませんが、輪をかけた正直でも困りますもので、悪者浪江に腹の中まで見透かれました下男の正助は、受け合うことは受け合いましたが、心に進みがありません。が、嫌と言ったら斬られようがと、命が惜しいのが先に立ちますから、済まないこととは思いますが、落合へ主人重信を連れだす一件を、こうこうせよと悪知恵を教えられて、土産の折り詰めを提げまして南蔵院へ帰って来ました。
 
 
「先生様、今、帰りました」
 
 
重信は、あまり暑さが厳しいから奈良団扇(*3)を持って縁端(えんばな)で涼んでおりましたが、こっちへ参りまして、
 
 
「チチ、正助か。浪江はいかが致したな」
 
 
「へぃ、あの、浪江様は、アノ、急に御用が出来て帰りますから、この魚を先生へ土産だと言って、あがってくれって、急いで帰られました。嘘じゃあねぇえよ。帰った振りして待ち伏せ」
 
 
「何じゃと」
 
 
「いぇ。よろしくと言ってかえらっしゃいました」
 
 
「チチ、さようであったか。何かこれは御馳走じゃな。これは気の毒千万な。ははぁ、馬場下町の花屋か。貴様も馳走になったと見える」
 
 
「はぁ、ワシィも大そう馳走になりましたダ」
 
 
「それにしてはさっぱり酔わんなぁ」
 
 
「酔いましてって、どうして酔われるものか」
 
 
「いつもは手前は一合も呑むと大分元気が出るのに。何故今日は酔わん」
 
 
「酔うたけど、さめて。イェ、おれ、今日は心持が変痴気(へんちき)で、いつものように酔いましねぇ」
 
 
「それはいかんな。あの浪江くらいな気の付く男はないの。ワシが菓子の好きゆえ、何か口に合うようなものと言って、先刻金玉糖を沢山くれたが、又魚が不自由であろうと思って、何か焼魚に付き合わせ。どうも親切な男だのう、正助」
 
 
「ヘェ、誠に親切でござえます。。。。アノ、先生、浪江様がこう申してましたっけ。あんまり先生が凝って夜なべまでなすっては、かえってお体の毒になります。だから、たまには保養をさせぇって。おれに、何でも先生様ァ連れ出せって申しました」
 
 
「ナニ、それではあまり凝って絵を描いては毒だから、チトぶらぶら歩行でも致せと申したのか」
 
 
「さようさ。それだからおれに連れ出せって。なにさ、先生様、今夜あたりは滅法暑くって蒸しますから、どうだろう、落合へ蛍を見物にお出でなすってはどうでございます。おれ、お供しべぃ」
 
 
と、浪江に教わった通りにいいますから、
 
 
 
「いかさま。とんと、失念致しておった。
 
かねがね、落合の蛍狩りが良いと申すことは、朋友からも聞き及んでおるが、それは余程見事だそうじゃ。他の蛍と違って、大粒にして、その飛び交う様は、明星の空を乱れ飛ぶかと思うばかり。また、地に伏すところは、キラキラとして、草葉の露とあやしまれ。おそらく、江戸近在には、このような蛍狩りは無いと申すことじゃ。三つ子に浅瀬を聞いた(*4)と同じことじゃ、貴様に言われたので思い出したョ。
 
もう日暮れに間もないから、幸い浪江からもらった折りを、先へ参って開くとして。宅から持って来ておる瓢(ひさご)へ、少々酒を入れて出かけよう。正助、支度してくりゃあ」
 
 
 
と、重信は、着物などを着替えまして、身支度を致します。
 
 
正助は、腹の中で情けない事だと思いますが、弁当などをこしらえまして、内玄関へ雪駄を回し、自分は折り詰めと弁当箱を振り分け、荷物のように致しまして肩へ掛け、半畳敷ばかりな鍋島段通(*5)を用意して、瓢(ひさご)を持ち、木刀を差しまして、
 
 
「さぁ、先生様。参りましょう」
 
 
重信は、黒紗の紋付の羽織に、玉子色の越後ちぢみの帷子(かたびら)、浅黄献上の帯を締めまして、少し長い脇差一本で、鼠小倉の鼻緒の雪駄をはいて、正助を供に連れて、日暮れより出かけました。
 
 
御案内の通り、落合と申すのは、井の頭の弁財天の池から流れます、神田上水と玉川上水の分水とが、ここにて互いに落ち合い、一つとなりますからの名でございまして、随分広い村でございます。
 
 
ちょうど、宝暦二年六月六日のことでございますから、暗やんだ空は雨気を持っており、昼の内から蒸し暑いから、今にも雨でもかかりそうな空合(そらあい)で雲行きが少しあぶのうございます。
 
 
重信は、話には聞いておりましたが、参ったのは初めてで、なるほど、蛍の大粒なのが、アチラコチラへ飛ぶ交う様は、実に見事で。
 
 
「正助、良い景色じゃあの。大粒な蛍がアレェアレェ飛ぶ交う有様は、絵にも描けぬのぅ」
 
 
「ほんとうにさようでごぜえます。アァ、南無阿彌陀」
 
 
「これ、なぜ念仏を唱えるのだょ」
 
 
「へぇ、ワシィ、蛍が人魂のように見えてなんねぇ」
 
 
「馬鹿を申すな。兎角、そちは浮かんな。余程塩梅が悪いと見えるな」
 
 
「はぁ、塩梅が悪いって。おれよりおめぇ様が」
 
 
「何、手前よりお前様とは。この重信はどこも悪うはない」
 
 
「今悪くなくっても、今に悪くなるベィ」
 
 
「エエ、何を申すか。おかしな奴じゃあ。ここいらへ段通を敷け。ちょうど良い所じゃ」
 
 
と、下戸ではございますが、重信はしきりと瓢(ひさご)の酒を飲んでおります。
 
 
 
 
 
 
 
【脚注】
落合(*1)

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赤楊(ハンノキ)(*2)
ハンノキはカバノキ科ハンノキ属の落葉高木。日本各地の山野に
自生する。湿地に適するので畦などに植えて稲架木として利用し
たりする。二月から三月に開花する。褐色の雄花は尾状にたれさ
がり、褐色で球状の雌花は雄花の花序の下の葉腋に三、四個ほど
つく。
 
 
 
奈良団扇(*3)

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奈良で作られる古雅なうちわ。もと、春日神社神官軍扇の形にならって作ったもので、天平模様や奈良の風物などが透かし彫りしてある。禰宜(ねぎ)うちわ。《 夏》
 
 
 
三つ子に浅瀬を聞いた(*4)
熟達した者であっても、時には自分より経験の浅い者や年下の者に、物事を教わることもあるということ。
 
 
 
鍋島段通(*5)