まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【改訳 怪談 乳房榎】 第八講

 

 

いらっしゃいまし、お二階へと言うので両人は二階へ上がりました。
 
 
「浪江様、ここは煮売酒屋(にうりざかや)(*1)だね」
 
 
「煮売酒屋という者があるものか。ここはこの辺では名代のこれでも料理屋デ」
 
 
「料理屋だって、魚なんかを煮て客へ出して、そうして酒も売るから煮売酒屋ダンベェ」
 
 
「そう言えばそんなものだが、そう理屈詰めにしてはいかん」
 
 
「ダガエエ。二階だ」
 
 
「正助どん。お前をここへ連れて来たのは他でもないが、田舎同様な所にしばらく泊っておいで遊ばすから、定めし魚に御不自由で。殊にお寺ではあり、先生へどうかお魚を上げたいから、何か焼魚か照焼きにして、腐らないように致し折りへ詰めて持って行ってもらおうと思って、それでお前をお借り申して来たが、それにお前も呑める口だから、今日はゆっくり一杯やっておいでよ」
 
 
「エ、先生へお魚ァあげたいって。それはご奇特なことだ。またワシに一杯呑ますって、そいつはありがてぇ」
 
 
「それだから遠慮せずに何でもよいものをそう言ってぇ」
 
 
「え、ありがてぇ。なげえ間ワシも先生も魚ァ食いませぬ。ワシなんぞはそりゃあ食っても構わねぇが、たまさか鰯っ子の五匹も買って食うべいと思うと、坊さま達が羨ましいもんだから、魚ァ焼くなら村の世話人の家へ行って焼いて来てくれろなぞと言うので、久しく魚ァ食えましねえのさ」
 
 
「それはそうであろう、お寺方では内緒はともあれ表向きは精進じゃから。それは当然のことで。定めしお魚をあがるまいと思うから先生へあげたいと申すので。姉さんや。ア、何か吸物に刺身、後は塩焼きか照り焼きなぞがよかろう。それは折りへ詰めて、ちょっと付け合わせもなるたけ腐らぬものがよいが。それはお土産ダヨ」
 
 
「ヘィ、畏まりました」
 
 
「チィチィ、それからここへも後で飯の菜になりそうな物を見立ててよいか。チ、それにちょっと話があるから、用があれば呼ぶから座敷へは来ずにおいでよ。内々の話がありますから来ない様」
 
 
と、女に言いつけます。
 
 
正助はこんなことに全く気付きませんデ、
 
 
「ダガ浪江様。お前様はまだ年ィ若いが、親切なお人ダッテ。浪江様みたいな親切な人はねぇえって毎度先生が言うだ。ワシ、馳走になるから誉めるんじゃあねぇよ」
 
 
「イエ、それはな。お前が世辞を申すとは聞かないナ。ダガ師匠となり弟子となればそれが通例で、何も感心するところはない。当たり前のことじゃ」
 
 
「まだまだ先生が、それに柳島の家へも時々見回ってくれるということだから安心だって。ワシィ柳島のお宅へもちょくちょく行って安否を聞きてえのだが、先生一人置いて行くわけにもなんねぇから遂無沙汰になったが、奥様、坊っちゃまには変わりはねぇか」
 
 
「ないョ。お変りはない。お達者じゃ」
 
 
「ハア、達者だって。それはエエ。だが浪江様、おらが先生の様な妙な人は無(ね)え。絵師という者は、何でも描く物に真心を込めねぇじゃなんねぇから、こっちへ来ている内は何事も忘れていなければなんねぇって。それだから留守にどんな災難があってもそれまでよ。家の事には念慮とかがあってはいかねぇと言って、こっちへ来てから手紙一本も出さねえのさ」
 
 
「ハァ、左様か。サァ、こんなまずいものだがお上がりよ。サァ、一つ頂くから」
 
 
と、猪口を指します。
 
 
「イヤ。まずお前様から」
 
 
「マァ、今日はお前が上客だから、まず。。。。それでは乾杯致そう」
 
 
「エ、乾杯とは何だ」
 
 
「なるほど、乾杯なんぞはお知りでなかろう。マァ、そんなことはよいから、一つ重ねて」
 
 
「ヤァ、これは刺身だ」
 
 
「ここらの物は河岸(かし)が遠いから、どう致しても魚が古いからおいしくない」
 
 
「イヤ、おいしくないどころか。。。。。滅法うまいぁ。久しぶりのせいかうまい」
 
 
「これサ、よく久しぶりと言うが、何か魚をよう買えんようで、人に聞かれるとみっともない」
 
 
「ハァ、久しぶりと言って悪いかぇ。へぃ、食います食います」
 
 
と、程良く酔わせて言い出そうと思いますから、浪江お酌を致しましては正助に飲ませる。
 
 
「イヤ、正助どんや。色々お世話になるから、とうよりお前に何かお礼をしたいと思っておったが、これはナあまり少しだが、反物でも買ってくれな」
 
 
と、紙入れの中から金入れを出しまして、額を包みまして出しますから、
 
 
「エエ、とんだこった。エ、どうして。今日は御馳走になったばかりで沢山なのに、この上そんな物を貰ってはバチ当たるだぁ」
 
 
「まぁ、そんな事を言わないでもよし。ほんの少しだよ。たった五両だ」
 
 
「エエ、何五両なんて。ァァタマゲタァ。大概(てぇげぇ)一分も貰うやァ沢山でガンスに、五両ッテ。それにおらが先生様物堅い偏屈だから、人様から故なく物を貰っては済まねえぞナンカと、小言をいはるから、これはよしにさっせいまし」
 
 
「イエ、これはよい。私があげるのだから。そんな事を言わないで納めておき」
 
 
「イェ、いけねぇ。お前様にもらったと言うとすぐに先生に叱られるダ」
 
 
「イエ。それなら私に貰ったと言わなければよい」
 
 
「イイヤ、それは直(じき)に感づくから」
 
 
「これは困った。。。」
 
 
と、少し考えておりましたが、
 
 
「アア、それじゃあこう致そう」
 
 
「どうしべぃ。。。。」
 
 
「このお金をお前に上げたいという訳を話そうからよかろう」
 
 
「そんならくれる訳を」
 
 
「そうそう、その訳を話したらよかろう」
 
 
と、辺りを見回したが、ちょっと一間を隔てまして座敷だから安心しまして、
 
 
「正助どん。実は今日わざわざお前をここに招いたのはチト話がある事サ」
 
 
「エ、私に話があるって。それでこんなに馳走をさっしゃるのだって。おめぇ様よしなさればエエに。今大(たい)めぇの金貰った挙句に刺身に煮魚と。おめぇ様もってぇねぇわな」
 
 
「イエ、折り入って頼みたい事もあるし。マァ良い、遠慮せずにもっと呑みな。どれ、お酌をしよう」
 
 
「チット、アアア、、こぼれます、こぼれますァ、もってぇねぇ。一粒萬倍(*2)だ。こぼれたものは再び元へは返らねぇって。。。。」
 
 
「だがの正助どん。ここへお前を招待したも他じゃあないよ。どうもお前は正直な人で、折々御主人様の先生さえ間違った事だと、ヅケヅケ小言を言う。面白い気前で、どうもあれは出来んョ。お前のような物堅い人とこうやって一杯も快く飲み合うというのも、こりゃあ何かの縁で。それだから私はお前の様な人と縁を組みたいと思って、ここへ呼んで来たが、何とここで私と伯父甥の盃をして親類になってはくれんか。どうだね」
 
 
「何、おめぇさま。ワシが様な百姓とアンタと伯父甥の盃するとね。それは、マァ本当かね」
 
 
「何の、嘘は言わねぇ。決してそんな空言ではない。何を隠そうこの浪江は、谷出羽守の家来で少々は禄を頂いておった者じゃが、生来わがまま者で、どうも窮屈な武家のお勤めが嫌いでならんから暇をもらい浪人致して、お前も知っての通り撞木橋(しゅもくばし)に独身で住まっておるが、それは少々は金子の蓄えもあるし、何もアクセクするには及ばぬから遊んでおるに、ついては画道でもたしなんで世の中を気楽に送りたいつもりでおるが、さて親戚、身寄りの無いのは何かにつけて心細いものでならんから、この後はお前を伯父と頼み、どうか相談相手になって貰いたいのじゃが」
 
 
「エ、ワシ、おめぇ様の親類になれって。そりゃあおめぇ様、なぶっちゃあいけません」
 
 
「何そんな、なぶるなどと言うことは申さね」
 
 
「イエ、いけねぇよ。正助爺に今日馳走して酒ぇ呑ませ、伯父になれって言ったら、爺はほんまに受けて、なるべぇと言ったなんぞと、おめぇ様笑おうと思ってか」
 
 
「イエ、それはお前の当て推量というもので。決して左様なわけではない」
 
 
「それだって、おめぇ様。土百姓(どひゃくしょう)ののおれなどを、浪人なすったって立派だ、やっぱり武士だ。その武家様が伯父にしたって何にもならねぇから嘘だ」
 
 
「なるほど、かりそめにも武士の片端(かたはし)の私が、百姓のお前を親類にしても話が合わぬというところへ気が付いたなどは感心だよ。ただ藪から棒になっておくれと申したのは私が悪い。届かなかったよ」
 
 
「エ、それじゃあそれにも訳があるのかね」
 
 
「サァ、訳と言うのは今申した通り。少々金子もあるから座して食らえど山をも空し(*3)て、今年はいい、来年はいいとドンドン遊んで使い無くしてはつまらんから、今の内その蓄えの金子で田地(でんち)を買ってその利得でこう、気楽に致したいと思うのだが、弓馬槍剣(きゅうばそうけん)の道と違って田地の事は知らんゆえ。それでお前を伯父に頼み相談相手になってもらいたいのじゃ」
 
 
「フム。。。。。それじゃあ蓄えの金で、田舎へ田地を買って、引っ込みてぇと言わっしゃるかな」
 
 
「そうさ、田地をお前に任しておいてもよいが、そこは親戚にならんければ互いに心に隔てがあってはいけんもので、それ故伯父となり甥となり、ゆくゆく私に悪い事があったら腹蔵(ふくぞう)なく意見をしてもらいたいからさ。また、只今お頼み申した事を叶えて下されば、お前の死に水は私が取ってあげるつもりだ。何と私の様な届かん者でも良いと思うならどうぞ縁を組んでもらいたいと、それで先生へ暫時のお暇を願ってここまでお出でを願ったのだ。どうか正助どん、伯父甥の義を結んで下さいな」
 
 
と和やかに言いますから、正助は感心しまして、
 
 
 
「イヤエレェ、おめぇ様エレェ、タマゲタナ。今のわけぇ者はえれえ所へ。。。。田舎へ田地を買うという所へ気付くとはエレェよ。おめぇ様の言う事が本当ならエエ。ワシィ骨折ってやるべい。憚(はばか)りながら剣術だの柔術だのといっては知らねぇが、田地田畑の事ならそりゃあ目利きだ。
 
草深けぇ所でオギャアと生れて五十一になるまで鋤(すき)鍬(くわ)かついで泥ボケになって功積んだおれだ。そりゃあここらの田地は、ハァ、年貢は安いが洪水の時はこの川からこう水が来てぶん流すから、ここは地位(じぐらい)(*4)は高いがその割にゆかねぇ。またここの田地は早稲が良いとか晩稲(おくて)が良いとか中手が良いとか、そんな見分けなら雑作ねぇ。人には負けねぇつもりだ。
 
やるべぃ本当ならワシィ引き受けてきっとやるべぃ。ようござえます」
 
 
 
「なるほど、田地の目利きなら人に負けまい。そこを思うから伯父になってくれと頼んだのじゃ」
 
 
「エエヨ、おれもおめぇ様の様な気が付く甥を持てば安心だよ。エエやるべぇ、やるべぇ」
 
 
 
 
 
 
 
煮売酒屋(にうりざかや)(*1)

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煮売り兼業した居酒屋。一膳飯(いちぜんめし)と酒を供する店。
 
 
 
 
一粒萬倍(*2)

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「一粒万倍」とは、一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味である。
 
 
 

座して食らえど山をも空し(*3)

働かないでいると,どんなに財産があっても使い果たしてしまう。

座して食らえば山も空し とは - コトバンク

 

 

 

地位(じぐらい)(*4)

地位という言葉があるのはご存知ですか。「ちい」ではなく、「じぐらい」と読み、その土地の位(くらい)のこと、すなわち土地の品格のようなものと捉えれば良いでしょうか。その高低を計るものとしては、たとえば古くからの歴史や文化があるかどうかとか、著名人の邸宅があるとか、有名校や有名病院があるといったものが挙げられますが、おわかりのように、これらを数値化するのはとても難しいことです。

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