まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第三十二章】 モトへのおもゐ

 

道常無名樸。雖小、天下莫能臣也。

 

侯王若能守之、萬物將自賓。天地相合、以降甘露、民莫之令、而自均。

 

始制有名。名亦既有、夫亦將知止。知止所以不殆。

 

譬道之在天下、猶川谷之於江海。

 

 

 

 

【書き下し文】

 

道は常に無名の樸(ぼく)なり。小なりと雖(いえど)も、天下に能(よ)く臣とするもの莫(な)きなり。

 

侯王(こうおう)若(も)し能くこれを守らば、万物は将(まさ)に自ら賓(ひん)せんとす。天地は相い合して、以(も)って甘露(かんろ)を降し、民はこれに令する莫くして、自ら均(ひと)し。

 

始めて制して名有り。名亦た既に有れば、それ亦た将に止まることを知らんとす。止まることを知るは殆(あや)うからざる所以(ゆえん)なり。

 

道の天下に在(お)けるを譬(たと)うれば、猶(な)お川谷(せんこく)の江海(こうかい)に於(お)けるがごとし。

 

 

 

 

【私的解釈】

 

道というものは、切り出された単なる原木であり、変わることがない。この片鱗を理解した上でこの道に添う者さえ、今の世の中には居ない。

 

君主がこのことを充分にわきまえていたら、それだけであらゆるモノが自ずと献身される。天と地は交響して恵みをもたらし、民衆は強制されなくても自然と従う。

 

もともとの原木を加工すると、名を持つ道具に変化する。名を持つ道具に変化すれば、もともとの原木の姿かたちは忘れ去られる。だからこそ、この原木の姿かたちを忘れないことこそが肝心なのだ。

 

道が世の中に沿っているのを例えて言うならば、整備された運河や港を眺めていてもその源流をたどれば、人の手にかからない勢いよく流れる峡谷に行き着くようなものなのだ。

 

 

 

 

【雑感】

 

結果には必ず原因がある。この世の中では、ある状況がポンと出現するわけではなく、見えない事象が積み重なってやっとのことで形を現しているのである。この見えない事象の源を遡れば人が抱く「おもゐ」に行き着く。

 

 

このニュースは、色々考えさせられます。

まず、この事件で犠牲になられた女子中学生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。また、御遺族の方々の御心中お察し申し上げます。

 

三重の女子中学生殺害 18歳少年を逮捕へ

去年8月、三重県朝日町の空き地で、中学3年生の女子生徒が殺害されているのが見つかった事件で、警察は現場の近くに住む18歳の少年が事件に関わったとして、強盗殺人などの疑いで逮捕状を取りました。

少年を取り調べていて、容疑が固まりしだい、逮捕する方針です。

去年8月29日、三重県朝日町の空き地で、四日市市の中学3年生の女子生徒が殺害されているのが見つかり、財布に現金が残されていなかったことなどから、警察は強盗殺人事件として捜査しています。

これまでの調べで、女子生徒は発見される4日前の夜、四日市市で行われた花火大会から帰宅する途中、JR朝日駅近くのスーパーマーケットの前で「歩いて帰る」と言って友人と別れ、別の友人と携帯電話でメッセージのやり取りをしたのを最後に、連絡が取れなくなっていました。

警察は女子生徒の当日の行動を詳しく調べるとともに、周辺で不審な人物を目撃した人がいないか調べを進めてきました。

その結果警察は、遺体が見つかった現場の近くに住む18歳の少年が女子生徒を殺害し、現金を奪うなどした疑いが強まったとして、強盗殺人などの疑いで逮捕状を取りました。

少年は1日に三重県内の高校を卒業したばかりだったということです。警察は少年を取り調べていて、容疑が固まりしだい、逮捕する方針です。

三重の女子中学生殺害 18歳少年を逮捕へ NHKニュース

 

 

まだ容疑の段階ですが、この少年は少女を殺し六千円を奪ったそうです。たった、六千円の為に人を殺める。そして、殺した後も恐らく心中では良心との葛藤があったと信じたいですが、表面上はのうのうと日常生活を送っていた。この闇は深い。

 

この少年は、祖父、両親、妹二人と同居していたそうで、今後の家族の苦悩はものすごいことと察します。

 

どうしたら、自分の身近でこのような出来事が起こるのを防げるだろうか。一時の感情でこの出来事を消費するのではなく、「他山の石を以て玉を攻むべし」で考えてみる。

 

思春期の高校生には色々な欲望が渦巻く。昔とは違って今は、スマホ一つで色々な情報に簡単にアクセス出来、この情報によりこの欲望が増幅される。

 

例えば、ツイッターで友達が「コレ買ったった!!」とか写真付きでツィートすると、これを見た方は自分も欲しいと購買欲が掻き立てられる。でも自分にはお金がない。さぁ、どうするか。。。。

 

知らなければ購買意欲など湧かないのに、知ってしまったからには、この欲望が渦巻き出し、己でこの欲望を制御しなければならない。げにスマホは本当に恐ろしい道具にもなる。

 

では、スマホを子供から取り上げればいいのか。そんなことをしても対処療法に過ぎないでしょう。

 

今の子供ほど修身がことに必要だと思う。どのようにして自分の中に渦巻く欲望と対峙するか。学校ではこんな事教えてくれないです。そして、学校なんてこんな事件が起これば自己保身に走って当事者を切り捨てるのが常。

 

きちんと、家庭でこの問題に正面から向き合わないといけないのです。

 

そして、親自身が本気にならないといけないです。この事件を遠い世界の出来事としてシャットアウトしてしまえば、忌まわしいモノを逆に身近に呼び寄せることとなるでしょう。

 

親自身が自分の周囲でも起こりうることとして、自分自身の修身をきちんと律するべきなのです。家庭で修身の雰囲気が満ちれば、忌まわしいモノは寄りつかない。

 

今回の少年の動機を私たちが理解することは不可能でしょう。人間が理解することの出来ない刹那の感情により人間が殺されてしまうのがこの世の中。

 

私たちは、人間の感情という目に見ることの出来ないモノにより、人生や家庭や家族を滅茶苦茶にされてしまう危機に常に瀕しているのです。

 

だから、私たちも目に見ることの出来ないモノに頼るべきなのです。家族の絆、親族の絆、先祖との絆を育むことによる強大だ力に頼るべきなのです。

 

ふと、今回の事件で思ったことをここに記録しておきます。