まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【改訳 怪談 乳房榎】 第七講

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 2月 5日 赤口  四緑木星

         乙亥 日/戊辰 月/甲午 年 月相 3.8

         雨水 末候 草木萌動(そうもくめばえいずる)     

 

【今日の気象】 天気 雨 気温 7.8℃ 湿度 83% (大阪 6:00時点)

 

 

重信は喜びまして、
 
 
「これは誠にかたじけない。私は下戸だから菓子を食べたいと思っても、こちらは辺鄙(へんぴ)ゆえ菓子といっても毎朝本堂へ上がった落雁(らくがん)(*1)などのトント甲子(きのえね)の七色菓子(*2)のような物ばかり茶うけに出るので、実に弱っていた所じゃ。そこへ金玉糖とはかたじけない。早速頂戴いたそう」
 
 
「浪江様、お茶をお上がれ。まだ少しぬるいナ。今すぐに熱いのをいれてあげるベィ」
 
 
「イエイエ、もうお構いなさるな」
 
 
「だが、浪江様。誠に先生様ァ長の間だが、今度は御自分が好いた仕事だって、この暑いのに夜なべぇかけて絵を描いて居るで、お家へも縁通不通だから、おれちょっとお家へめえって奥様や坊っちゃんのぅ安否を聞いて来るベィ来るベィと言っても、ナニ打捨(うっちゃ)っておけ。沙汰ぁ無(ね)えのが変わりが無(ね)えのだって。イヤ絵にかかっちゃあ、お可愛い坊っちゃまの事さえ忘れてまする。だが、おめぇ様がお家へ度々見舞って下さるってありがとうごぜぇやす。先生様も浪江が見舞ってくれるべぃから安心だって」
 
 
「イェ、先生。お留守へは、折節伺いまして。。。しかし、あんまりお気をお詰め遊ばして却ってお身の毒にはなりませぬか。チトご精が出すぎでは致しませぬかナ」
 
 
 
「ハハハハ、いやもう私も凝り性でいけんが、かねて生涯に一度は何かと思っておった所ゆえ。
 
この寺などの天井などは、後世に残るものだから真心を入れて描がかなければならぬが、それに杉戸や襖へも、これ、ここにあるような花鳥か又は四季の耕作なぞを描くつもりじゃ。これは皆彩色をしなければならぬから先へと存じて墨書きに取り掛かると、世話人だのなんのと申す百姓衆が来ては、イャ先生それより両国の花火のところがよいの、ヤレ役者の似顔がエエ等とくだらぬことを申すのでうるさくってならぬから、彩色ものは皆後回しに致してまずこれはと思う天井に取り掛かったのじゃ。
 
アチチこれは茶か。ヨイヨイまず浪江殿に」
 
 
 
「イエ、どう致しまして。まずまずお先に」
 
 
「イヤァ、これはなかなか上品。久しぶりで味を覚えました。。。。イヤ、天井の絵は大抵どの絵師が描いても丸龍(がんりゅう)とか、ただし一疋(いっぴき)の龍を認(したた)めるのが通例じゃが、面倒でも私(わし)は雄龍雌龍の二疋の描き分けを致そうと、イヤ拙い腕でとんだ望みを起こして、マァようようの事で雄龍だけは出来致したが、只今は雌龍の右の手を描いている所じゃテ、マァお前見て下さい」
 
 
と、重信も一生懸命に腕を磨いて描きましたから少し自慢げで見せます。
 
 
「イエ、これはなるほど活(い)きております様で。。。。」
 
 
「ところが聞いて下さい。昼の内は世話人どもが見ておってうるさいから、気の散らぬように、夜分暑いが本堂の広い、だだ広いところへ障子や屏風なぞを立て回して夜なべにやっておるのさ。マァ、これを描き上げればすぐに色彩物に取り掛かるつもりだから、お前もちっとその時は来てどうか絵具でも溶いておくれか」
 
 
「イェモウ、修行の為でありますからその時は是非に手伝いに参じますつもりで、しかしどうも大した御精の出ましたことで。。。。。私も先生のお側で拝見を致しても幾らか稽古の多足(たそく)になりますから、遠(とは)より上がりましてお手伝いをと存じておりますが、何がハヤ繁多ゆえ御無沙汰を。。。それに今日は少々よんどころ無い用事もございますればお暇乞いし、また近日お邪魔でもお手伝いに罷り出まするでございますぅ」
 
 
と、天井の絵を見まして、悪人の浪江でございますが、よく出来たのは存じておりますから、
 
 
「この雄龍のこうやった活き組は、、、、どうもすごい様で、実に恐れ入りました」
 
 
「これは、まぁ出来んながらも真心を入れて描いたつもりデ」
 
 
と、重信は傍らにございます厨子(ずし)(*3)へ入っております仏像へ指を指しまして、
 
 
 
「浪江さん、この薬師如来の御像をご覧ョ、何かこれは聖徳太子の作だともいい、また役(えん)の小角(しょうかく)(*4)の作だともいうが、生きてお出でなさる様で、実に霊験あらたの薬師仏で。私もこの傍に朝夕(ちょうせき)おるのも何かの因縁と思えば信仰致しておるョ」
 
 
 
「いかさま、ナァル。これは有り難い。実にお顔の様態御柔和で、南無薬師瑠璃光如来南無。。。。。」
 
 
などなどと、この横着者。
 
 
殊勝らしく拝みなど致しておりましたが、急に身支度を致しまして、
 
 
「先生、さようならば。今日は少し早稲田の親族の所へ寄ります約束もございますからこれでお暇を」
 
 
「マァ、まだよいではないか」
 
 
「イエ、遠方でございますからこれでお暇を。イヤ先生へお願いございますが、正助殿へチト上げたいものがございますからちょっとお借り申してもよろしゅうございますか」
 
 
「よい所ではない。連れて行ってよろしいが。まぁ、貴公も一泊致してはどうだな」
 
 
「へぇ、願いたいのは山々でありますが、今日はただ今の訳ゆえちょっとまずお暇を。また出直しまして」
 
 
「ああ、左様か。それでは是非がない御随意に。これ正助や」
 
 
「へぇ、何の御用で」
 
 
「コレ、何か浪江殿がそちに上げたい物があるッテ」
 
 
「これ故只今願ったからどうか一緒に」
 
 
「ヘェ。どこまでも行くベィ」
 
 
「何の事じゃ行くベェなどと。困った親父じゃ」
 
 
「左様ならば。何れまた近日に」
 
 
と、浪江は暇を告げまして正助を連れまして南蔵院を立ち出で馬場下町の花屋という料理屋へ入りました。

 

 

 

【改訳 怪談 乳房榎】 第八講へ続く

 

 

  

【脚注】

落雁(らくがん)(*1)

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堅田落雁|近江藤齋|鮎家グループ

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落雁(らくがん)は、などから作った澱粉質の水飴砂糖を混ぜて着色し、型に押して乾燥させた干菓子である。型に押す際に、餡や小豆、栗などを入れて一緒に押し固めるものもある。名は近江八景の「堅田落雁」にちなんでつけられたという説と、中国の軟落甘の「軟」が欠落したという説とがある。

落雁 - Wikipedia

 

 

 

七色菓子(*2)

庚申(こうしん)に供えた干菓子・砂糖豆・せんべいなど7種類の菓子江戸初期から売り出され、元禄(1688~1704)のころには、天満宮甲子(きのえね)大黒天などの祭りにも供えた。

七色菓子 とは - コトバンク

 

 

 

厨子(ずし)(*3)

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正面に観音開きの扉が付く。塗りのものや、唐木プラスチック製がある。 また手動で開くものに加え、最近では電動で扉が開閉するものが登場しており、主に葬儀式においては創価学会が祭壇に据える。日蓮正宗の葬儀でも祭壇に置かれ、導師本尊が掲げられる。

近年、小型の仏壇として見直されている。

歴史的な作品としては法隆寺玉虫厨子正倉院の赤漆文欟木御厨子が有名。

厨子 - Wikipedia

 

 

 

役(えん)の小角(しょうかく)(*4)

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葛飾北斎北斎漫画』より、前鬼・後鬼を従えた役小角

役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの、舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日701年7月16日)伝)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。は君。 修験道開祖とされている。 実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。天河大弁財天社大峯山龍泉寺など多くの修験道霊場に、役行者開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。

 役小角 - Wikipedia