まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【改訳 怪談 乳房榎】 第六講

 

 

サァどうだと、我が子の胸へ刃を差し突けられたおきせは、しばし言葉もありませんでしたが、男と違いまして女は胸の狭いもんで、心に変な考えをつけたのか、

 
「それじゃあ、たった一度ですよ」
 
 
「エ、それでは得心なさるか。それは不思議。イエそれはよい御分別じゃ」
 
 
と、色よい返事を聞きました浪江はぞっこんに惚れているおきせが得心したから、すぐに首っ玉へでもかじつきたく思いましたから側へ寄りますのを
 
 
「マァ、あなたお待ちなさい。きっとあなたたった一度で」
 
 
「よろしい。得心さえして下されば、拙者も武士の端くれ二度とは申さぬ」
 
 
「それでは花でも聞くと悪うございますからお待ち遊ばせ」
 
 
と、前を掻(か)き合わせまして、おきせは立ち上がりまして、有明の行燈の灯を暗くいたしまして、そっと葦戸(よしど)を開けて廊下へ出ますから、逃げられてはならぬと思いまして裾の所をしっかり押えております。。。。。
 
 
「花はよく寝ておりますから、これで私も安心いたしました。あなた、きっと一度で」
 
 
「よろしいと申したら」
 
 
「ほんとうにもう一度であきらめて下さいまして。嫌ではございますが、可愛い我が子供の為」
 
 
と、遂に枕を交わしましたは浅ましい事で、誠にこれが生涯を誤ります初めで。
 
 
サァこういう仲になりますと深くなるのがこの道で、浪江はなおなおおきせが恋しいから、先生のお見舞い、またはつい御近所に参ったからお訪ねしましたナンカと、用にかこつけましては参りまして、色々誤魔化して一泊願うなどして泊り込みましては口説きます。
 
 
おきせは又嫌だと言ったら、この間のように眞與太郎を刺し殺すなどと言いはせぬかと思いますから、一度が二度、二度が三度と度重なります。
 
 
さて、こうなりますとおかしなもので、初めての内は嫌で嫌でならなかった浪江が少し可愛くなって参るのが所謂悪縁で、この頃ではきせも満更浪江が憎くなくなりました。
 
 
なるほど浪江だってまんざらな男振りではございません。色こそ少し浅黒いが鼻筋の通った目のぱっちりした苦み走った、只今の役者ならトント左団次(*1)のようで。
 
 
しまいには、
 
 
「あなた、明晩はきっといらっしゃいよ。そのつもりでお花をよそへ使いに遣わしますから」
 
 
などと、おきせの方から言うようになる。
 
 
浪江は、心中に思いますには、おきせとこういう訳になったものの、師匠が高田から絵を描き上げて帰ってくれば、それっきり逢うことが出来ぬ。どうかして帰って来ぬようにしたいものだと考えましたが、元より大胆の浪江でありますから、フト悪心が起こりまして、これはいっそ重信を亡き者にして、おきせと天下晴れて楽しもうというので。
 
 
五月も過ぎまして六月になりましたある日のことでございましたが、浪江は黒の紗の五所紋の羽織に何かちぢみの帷子(からびら)を着まして、細身の大小、菓子折りを風呂敷に包んで提げまして、暑い中高田の砂利場村の大鏡山南蔵院へやって参りました。
 
 
コノ寺は御案内の通り八門寺(やつもんでら)と申しまして、上様がお鷹野におなりのございました時、お拳(こぶし)の鷹が逸れてこの寺に入ったという名高い旧幕様の頃にはやかましい寺でございましたが、浪江は折りを提げて、玄関へ参りまして
 
 
「お頼み申します。たのもーぅ」
 
 
と、案内を致しますと、奥から十二三になります小坊主が取り次ぎまして、
 
 
「へぃ。どちらからお出でで」
 
 
「手前は先だってより御当山へお出でになっておる、菱川重信の門人磯貝浪江と申しますもので、師匠の見舞いに参ったので、どうかお取り次ぎを願いたい」
 
 
と、慇懃に述べます。
 
 
小坊主は「はい」と言って奥へ入りましたが、引き違えて出て参ったのは、重信の所の下男で正助と申す当年51歳になる正直者で
 
 
 
「ヤァ、こりゃあ誰かと思ったら浪江様。マァよく訪ねてござらしゃった。サァ、こちらへ」
 
 
「イヤ、正助殿か。誠に御無沙汰を。とうにも伺わなければならぬのじゃが、つい何やかや繁多(はんた)で存外ご疎遠を致した。先生は変わりはないかナ。誠に今日も暑いな」
 
 
「イヤ途中はさぞお暑かったろう。この寺なんぞはダダッ広いから、風はエラク入るが、それでさえ暑ッ苦しい。マァよく訪ねてお出でなすった。ササァこちらへ。今しがたも先生様がお前様の噂さァしておいでだった」
 
 
「それではご免」
 
 
と、玄関の脇の方から上がりました浪江。天地金の平骨の扇へ何か書いて
あるのを取り出しまして、暑いからあおいでいる。
 
 
「サァ、ずっとこちらへ。奥の方が涼しい。あちらへお出でなさい」
 
 
「それではご免蒙って奥へ」
 
 
と、件の包みを持ちまして座敷へ通ります。
 
 
「旦那様、浪江様がお出でなさいました」
 
 
と、立ち出ました重信。
 
 
「ヨーゥ、これは珍しいョ。よくまぁこの暑さに、歩行でお出で。。。。それはよくお訪ね下された」
 
 
「これは先生、誠にはや御無沙汰を。とくにも伺わなければ相成りませんが、ツィこの暑さでィェ、暑いと申しては済みませんが、誠にはや」
 
 
と、菓子の折りを包みました包みを出しまして、
 
 
「正助どん、これは誠に軽少だが先生へ」
 
 
「へぇ、これは何でございますか」
 
 
と解きまして、中から折りを出します。
 
 
「イェ、召し上がるような品ではございませんが、先生は下戸でいらっしゃるから金玉糖(*2)を詰めて腐らんように致して持って参りました。どうか召し上がって」
 
 
と折りを出しました。
 
 
 
 
 
 
 
【脚注】

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市川左團次(いちかわ さだんじ)は、歌舞伎役者の名跡。初代と二代目は明治座座元もつとめた。屋号は高島屋定紋は三升に左(みますに ひだり)、替紋は松皮菱に鬼鳶(まつかわびしに おにづた)。ただし代々の左團次は通常替紋の「松川菱に鬼蔦」を使用している。
 
 
金玉糖(*2)

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和菓子一種。煮溶かした寒天砂糖あるいは水あめを加えて煮つめ,冷やし固めて作る。透明涼感があり夏季菓子として喜ばれ,口取にもする。道明寺粉(糯米(もちごめ)を蒸して乾燥粉末にしたもの)を入れたみぞれ羹(かん),卵白を入れた泡雪(あわゆき)羹などがある。

金玉糖 とは - コトバンク