【改訳 怪談 乳房榎】 第三講
【今日のこよみ】 旧暦2014年 2月 3日仏滅 四緑木星
癸酉 日/戊辰 月/甲午 年 月相 1.8
雨水 末候 草木萌動(そうもくめばえいずる)
【今日の気象】 天気 晴れ 気温 5.9℃ 湿度 64% (大阪 6:00時点)
どぅれ、、、、、と、下女のお花が取り次ぎに出まして、式台のところへ手をつきまして、
「どちらからお出でなさいました」
と、丁寧に申します。
お花は、
「へぃ新兵衛様とおっしゃいますか。しばらくお持ちくださいませ」
と、奥へ入りて重信の前へ参ってこれこれだと申します。重信はまだ聞いたことのない名前だが、大方絵の事で来た人と思いますから、
「こちらへお通し申せ、一緒に綺麗な煙草盆を持って来いよ」
「はい」
と、玄関へ参りまして、この由を二人へ申しますから、
「左様ならご免下さい」
と、式台のところで雪駄を脱ぎ、埃など払いまして、花の案内につきまして重信の居る部屋へ通りました。
重信は敷いておりましたアンベラと唐更紗と片々(かたがた)継接(つなぎ)ぎ合わせた座布団を取り除けながら
「イョ、これはお出で。只今チト急ぎ物を認(したた)めておるので取り散らしてご免なさい。あぁ危ない。絵具皿をこちらへ片付けて。はい、これでよい。アンベラの敷物を上げろ。むさい所で、サァここへお出でなさい。それではご挨拶ができません」
「いえ、もうそのままで。決してお構い下さいますな」
「いえ、何もお構い申さぬ。さて、これはお初に。はい、私が重信で、小石川からだって。ご遠方からお出では、ご途中がお暑かったろう」
「へぇ。私は茂左衛門(もざえもん)と申しまする者で」
「左様でござるか。私が重信で、、、、何ぞ御用でお出でなすったか」
「へー。早速ながら申し上げますが、先生様のご高名を慕い申しまして願いたいと申しまするは、手前が檀那寺で高田砂利場村の大鏡山南蔵院(だいきょうざんなんぞういん)といいます真言宗の寺がござりますが、今度本堂から庫裏(くり)は申すに及びませんが薬師堂まで改修が完了になりましたが、手前どもは皆世話人でござりまして。
いぇお構い下さいますな。へぃこれは結構なお茶で、へぃこれは。。。。
その天井や又は杉戸襖(ふすま)などへ絵を描いていただきたいと。それをお願いに両人の者が揃って願いに出ましてございます。
モシ、茂左衛門さん。よくお前さんからも先生へお願い申したらよかろう」
「アアエエ、わしからも願うだぁ。
へぃ、これは先生様。今度改修がタマゲて立派に完了したものですから、何でもハァ杉戸や襖へ絵描いておもらい申して、なるたけ絵は賑やかなものがエエッテ。
私(わ)しィ思うには、桜が一面に咲いているところへ虎が威勢よく跳んでいるところを、彩色でこう立派に描いて下せぇな」
重信はこれを聞きまして、変な事を言う人だと思いますから、
「桜が花盛りの所へ虎が跳んでいるとは面白い取り合わせデ。桜なら駒とか、イヤ、それはまぁよいが。
お頼みの事は承知しました。寺の合わせ天井などへは、手前以前から描いてみたいと、常から心がけておいたものもあるが、大抵の絵師は墨絵で飛龍だとか又は一疋(いっぴき)の龍とか認(したた)むるもんじゃが、拙者は雌龍雄龍と二疋を墨絵で描いてみたいと思っているところじゃから、その雌雄の龍を描いてみたいものである」
「なるほど、よくお堂やお宮の天井には八方白眼(はっぽうにらみ)(*1)とかいいます龍がお定まりで描いてございますが、先生のは雌龍雄龍を二疋描いてくださるとは、それはお珍しい」
「何ぃ描くッテ」
「なにさ、雌龍雄龍を墨絵で描いてやろうと仰るのさ」
「タマゲタダァ。そりゃあお相撲取りの名ケェ」
「分からない奴だナァ。相撲の事じゃない。龍のことだょ」
「何龍のことじゃって。
ワシの考えじゃ襖(ふすま)などへは墨絵じゃぁ淋しいから、何でも彩色して、こっちへ両国橋を描いてそっちへは船がたいそう出て、それで花火がポンポンと上がっているところの絵がよかろんべぇ」
と、又うるさいことを言いますから、
「ハハハハハ、まさか寺方ナンゾの襖へ左様なものは描かれんがマァよろしい。また、何か趣向もござろうからお受け合いございましょう。早速明後日あたりから取りかかると致そう」
「それでは早速お取りかかり下さいますか。。。。。イェ、それにつきまして先生へお願いが、、、、エッソレ高田からこの柳島まで、襖や杉戸などは兎も角も、天井を持って参るという訳にもいきませんから、甚だ恐れ入りますが、どうか出来上がりますまで、本堂も至って広うござりますから、お泊まりがけでいらっしゃってお認(したた)め下さいますかいなぁ」
「なるほどごもっともじゃ。イェよろしうござる、かえって宅より気が散らんでヨイ。それでは、下男を一人連れて泊っていて描いて進ぜましょうかナ」
「そりゃあ、お聞き済みをありがとうございます」
と、新兵衛は懐中の胴巻より紙に包んである二十両を出しまして、
「これはお手付きというわけではござりますぬが、ほんの世話人から預かりました二十金どうかお預かり下さいまし」
「イヤこれは金子で。ナニ二十金とへ。何こんなご心配には及ばん。後でよろしいに。しかし、折角だからお預かり申しておきましょう」
「さようならば、明後日はお待ち受け申しておりまする」
「先生様、またあさって出逢いますベィ」
「まぁ、よいではないか。只今何か冷麦を、そう申し付けたと申すから、マァよいでは。ちょっと泡盛でも。到来致した物があるから」
「イエ、道が遠うございますからお暇を」
と、新兵衛と茂左衛門は暇を告げて高田へ帰りました。
重信先生は、かねて寺などの天井か杉戸へ、丹精を込めて絵を描いて後世へ残したいという了見ゆえ、内心喜びまして、翌日より支度を致しまして、正助という家来に絵具箱と着替えの衣類などを包みに致し、これを背負(しょわ)せまして、五月七日の朝柳島の宅を立ち出で、高田の南蔵院へ赴きました。
この留守中に大変が出来(しゅつらい)致すという小口になりますお話で、ちょっと一息つきまして又申し上げましょう。
【改訳 怪談 乳房榎】 第四講へ続く
【脚注】
八方白眼(はっぽうにらみ)(*1)
参考サイト
『江戸東京紀行(的は八方白眼(はっぽうにらみ)!こども流鏑馬(1)、六郷神社の巻)』 [羽田・大森・蒲田]のブログ・旅行記 by 一歩人さん - フォートラベル
雲龍図参考サイト