まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

時代は三遊亭圓朝を求めている

 

三遊亭圓朝 - Wikipediaにはまってしまいました。

今の時代が求めている芸風なんだと思います。

 

圓朝については、このサイトに詳しいですが(787夜『円朝』小島政二郎|松岡正剛の千夜千冊)、ここに面白い記述があったので抜粋しておく。

帝国憲法が発布され、日清戦争も近づいてくると、日本はしだいに帝国調というものが偉そうに足音をたててくる。そうなると何がおこるかというと、官僚や軍人がハバを利かして、本物の文化などわからぬくせに「改良」「改新」などを口にする。


こうすれば経済はよくなる、こうすれば教育がよくなると言う奴がやたらに目立つ。いまの経済改革を叫ぶ奴、教育改革を唸る奴と同じである(と、小島は昭和30年代に書いているのだ)。


こういう輩にかぎって小説も芝居も芸能も味がわからない。だからすぐ化けの皮が剥がれるのだが、ところが意外にもこういう輩にばかりモテるような変な芸人も出てくるのである。


円朝の弟子の円遊がそれだった。円遊は松本順の夫人が亡くなったときの通夜の席で、お悔やみが一番ヘタクソだと言われたほどの芸なしだったのだが、あるとき芝居噺だけの席で燕枝が団十郎などをみごとに噺にとりこんだのに、円遊は何も語れず、ついつい立ち上がって踊ってしまったのである。ところがこれがウケたのだ。

 

当時、どんな芸人も高座で立って踊るということはなかったのである。座布団からちょっと腰を浮かせて、それだけで踊り名人を見せていた。それを思わず立った。よせばいいのに円遊はこれをその後も連発し、大いにウケる。

 

この場違いが風靡するのを見て、立川談志が羽織をうしろ前に着て「この子があっては孝行できない、テケレッツノパア」で、当てた。

 

次に万橘が懐から赤い手拭を出して頬被り、緋縮緬長襦袢をまくって「太鼓が鳴ったら賑やかだ、大根煮えたら風呂吹きだんべえ、ヘラヘラヘッタラ、ヘラヘラヘ」とやって、当てた。

 

松林伯円は講釈だからさすがに高座で踊るわけにはいかなかったが、そのかわりに何の調子もない喋りで時事漫談をして、当てた。

 

ようするに、つまらぬ芸がすべて当たり、本物の芸を理解する者が少数者になったのだ。

 

時代の空気はここ最近変わりつつあります。戦後の化けの皮が音を立てて剥がれ落ちて来ています。この空気はもちろん芸能文化にも及ぶ。ある特定のテレビ局の視聴率が低迷しているのを見てもそれが分かると思います。

 

今まで当たっていたものが急に当たらなくなるということは、国民ひとりひとりが出す空気が以前と変わって来ているということ。

 

思いあがっている者は、これに気付く由もなく凋落し、きちんと今の空気を捉えた者が躍進する。満ちれば欠けるの習いは、盤石の法則です。

 


三遊亭圓生(六代目) 牡丹灯籠(お露と新三郎/御札はがし) - YouTube 

 

 

今回取り上げた「怪談牡丹灯篭」は、読了後に日本人ならばスーッと胸に広がる爽快感を感じることだと思います。

 

【怪談牡丹灯篭 三遊亭圓朝著】

 

【怪談牡丹灯篭 一】   飯島平太郎、孝蔵を斬り捨てる之編

【怪談牡丹灯篭 二】   華の薫りに誘われて舞う二匹のてふてふ 之編

【怪談牡丹灯篭 三】   因縁なる邂逅 之編

【怪談牡丹灯篭 四】   真昼の夢 之編

【怪談牡丹灯篭 五】   邪(よこしま)なる風 之編

【怪談牡丹灯篭 六】   黄泉比良坂(よもつひらさか)を舞う淡い風 之編

【怪談牡丹灯篭 七】   妖気の中に差す一条の陽気 之編

【怪談牡丹灯篭 八】   哀しき百鬼夜行 之編

【怪談牡丹灯篭 九】   ドス黒いはかりごと 之編 

【怪談牡丹灯篭 十】   未練ひらめくひらひら舞う鬼火 之編

【怪談牡丹灯篭十一】   陰陽さかんに鬩(せめ)ぐ 之編

【怪談牡丹灯篭十二】   亡者とひとでなしの取引 之編

【怪談牡丹灯篭十三】 因果応報の雷(いかずち)落つ 之編

【怪談牡丹灯篭十四】 あぁ哀しき地獄絵図 之編

【怪談牡丹灯篭十五】 陰陽まみれて風雲急を告げる 之編 

【怪談牡丹灯篭十六】 三つ子の魂百まで穢れし 之編 

【怪談牡丹灯篭十七】 陰が陰を呼び、邪が邪を呼び、鬼が鬼を呼ぶ 之編

【怪談牡丹灯篭十八】 さ迷える陽気 之編

【怪談牡丹灯篭十九】 陽気ますます盛んに類を呼ぶ 之編

【怪談牡丹灯篭二十】 天網恢恢(かいかい)疎にして漏らさず(前篇) 之編 

【怪談牡丹灯篭二十ノ一】 天網恢恢(かいかい)疎にして漏らさず(後篇) 之編

 

 

三遊亭円朝の作品を今後も取り上げていきたいです。