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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談牡丹灯篭 二十】 天網恢恢(かいかい)疎にして漏らさず(前篇) 之編 

 
考助は図らずも十九年ぶりにて実母おりゑにめぐり逢いまして、馬喰町の下野屋と申す宿屋へ参り、互いに過ごし身の上の物語りを致して見ると、思いがけなき事にて、母方にお國源次郎がかくまわれてある事を知り、誠に不思議の思いをなしました処、母が手引きをして仇を討たせてやろうとの言葉に、考助は飛び立つばかり急ぎ立ち帰り、右の次第を養父相川新五兵衞に話しまして、六日の早天(早朝)水道端を出立し、馬喰町なる下野屋方へ参り様子を見ておりますると。
 
母もかねて約したる事なれば、身支度を整え、下男を供に連れ立ち出でましたれば、考助は見え隠れに跡を尾けて参りましたが、女の足の捗(はか)どらず、幸手、栗橋、古河、真間田、雀の宮を後になし、宇都宮へ着きましたは、丁度九日の日の暮々(くれぐれ)に相成りましたが、宇都宮の杉原町の手前まで参りますと、母おりゑはまず下男を先へ帰し、五郎三郎に我が帰りし事を知らせてくれろと言い付けやり、考助を近く招ぎ寄せまして小声になり、
 
「考助や、私の家は向こうに見える紺の暖簾に越後屋と書き、山形に五の字を印したのが私の家だよ、あの先に板塀があり、付いて曲がると細い新道のような横町があるから、それへ曲がり三四軒行くと左側の板塀に三尺の開きが付いてあるが、それから這入れば庭伝い、右の方の四畳半の小座敷にお國源次郎が隠れいる事ゆえ、今晩私が開きの栓をあけて置くから、九ツの鐘を合図に忍び込めば、袋の中の鼠同様、悟られぬよう致すがよい」
 
「はい誠に有り難うぞんじまする、図らずも母様のお蔭にて本懐を遂げ、江戸へ立ち帰り、主家再興の上私は相川の家を相続致しますれば、お母様をお引き取り申して、必ず孝行を尽くす心得、さすれば忠孝の道も全うする事が出来、誠に嬉しゅう存じます、さようなれば私はどこかへ参って待ち受けていましょう」
 
「そうさ、池上町の角屋は堅いという評判だから、あれへ参り宿を取っておいで、九ツの鐘を忘れまいぞ」
 
「決して忘れません、さようならば」
 
と考助は母に別れて角屋へまいり、九ツの鐘の鳴るのを待ち受けて居ました。母は考助に別れ、越後屋五郎三郎方へ帰りますと、五郎三郎は大きに驚き、
 
「大層お早くお帰りになりました、まだめったにはお帰りにならないと思っていましたのに、存じの外にお早うござりました、それでは迚(とて)も御見物は出来ませんでございましたろう」
 
「はい、私は少し思う事があって、急に国へ帰る事になりましたから、奉公人共への土産物も取っている暇もない位で」
 
「アレサなに左様御心配がいるものでございましょう、お母さまは芝居でも御見物なすってお帰りになる事だろうから、中々一ト月や二タ月は故郷忘じ難しで、あっちこっちをお廻りなさるから、急にはお帰りになるまいと存じましたに」
 
「さアお前に貰った旅用の残りだから、むやみに遣っては済まないが、どうか皆に遣っておくれよ」
 
と奉公人銘々に包んで遣わしまして、その他着古しの小袖半纒(はんてん)などを取り分け。
 
「そんなに遣らなくっても宜しゅうございます」
 
と申すに、
 
「ハテこれは私の少々心あっての事で、詰らん物だが着古しの半纒は、女中にも色々世話に成りますからやっておくれ、シテお國や源次郎さんは矢張奥の四畳半に居りますか」
 
「誠にあれはお母様に対しても置かれた義理ではございません、憎い奴でございますが、しいて縋(すが)り付いて参り、私故にお隣屋敷の源次郎さんが勘当をされたと申しますから、義理でよんどころなく置きましたものの、さぞあなたはお厭でございましょう」
 
「私はお國に逢ってゆっくり話がしたいから、用もあるだろうが、いつもより少々店を早くひけにして、寝かしておくれ、私は四畳半へ行って國や源さんに話があるのだが、これでお酒やお肴を」
 
「およし遊ばせ」
 
「いや、そうでない、何も買って来ないから是非上げておくれよ」
 
「はいはい」
 
と気の毒そうに承知して、五郎三郎は母の言い付けなれば酒肴を誂(あつら)え、四畳半の小間へ入れ、店の奉公人も早く寝かしてしまい、母は四畳半の小座敷に来たりて内にはいれば、
 
「おや、お母様、大層早くお帰り遊ばしました、私はまだめったにお帰りにはなりますまいと思い、きっと一ト月位は大丈夫お帰りにはならないとお噂ばかりして居りました、大層お早く、本当にびっくり致しました」
 
「只今はお土産として御酒肴を沢山に有り難うぞんじます」
 
「いえいえ、なんぞ買って来ようと思いましたが、誠に急ぎましたゆえ何も取って居る暇もありませんでした、誰も他に聞いている人もないようだから、打ち解けて話をしなければならない事があるが、お國やお前が江戸のお屋敷を出た時の始末を隠さずに言っておくんなさい」
 
「誠にお恥かしい事でございますが、若気の過り、この源さまと馴染めた所から、源さまは御勘当になりまして、行き所のないようにしたは皆な私ゆえと思い、悪いこととは知りながらお屋敷を逃出し、源さまと手を取り合い、日頃無沙汰を致した兄の所に頼り、今ではこうやって厄介になって居りまする」
 
「不義淫奔(いんぽん)は若い内には随分ありがちの事だが、お國お前は飯島様のお屋敷へ奥様付になって来たが、奥様がおかくれになってから、殿様のお召し使いになっているうちに、お隣の御二男源次郎さまと、隣りずからの心安さに折々お出になる所から、お前はこの源さまと不義密通を働いた末、お前方が申し合せ、殿様を殺し、有金大小衣類を盗み取り、お屋敷を逃げておいでだろうがな」
 
と言われて二人は顔色変え、
 
「おやまアびっくりします、お母様何をおっしゃいます、誰がその様な事を言いましたか、少しも身に覚えのない事を言いかけられ、本当にびっくり致しますわ」
 
「いえいえいくら隠してもいけないよ、私の方にはちゃんと証拠がある事だから、隠さずに言っておしまい」
 
「そんな事を誰が申しましたろうねえ源さま」
 
と言えば、源次郎落着ながら、
 
「誠に怪しからん事です。お母様もし他の事とは違います、手前も宮野邊源次郎、何ゆえお隣の伯父を殺し、有金衣類を盗みしなどと何者がさような事を申しました、毛頭覚えはございません」
 
「いやいやそうおっしゃいますが、私は江戸へ参り、不思議と久し振りで逢いました者が有って、その者から承わりました」
 
「フウ、シテ何者でございますか」
 
「はい、飯島様のお屋敷でお草履取を勤めて居りました、考助と申す者でなア」
 
「ムム考助、あいつは不届至極な奴で」
 
「アラあいつはマア憎い奴で、御主人様のお金を百両盗みました位の者ですから、どんな拵(こしら)え事をしたか知れません、あんな者の言う事をあなた取り上げてはいけません、どうして草履取が奥の事を知っている訳はございません」
 
「いえいえお國や、その考助は私の為には実の忰でございます」
 
と言われて両人は驚き顔して、後へもじもじとさがり、
 
 
「さア、私がこの家へ縁付いて来たのは、今年で丁度十七年前の事、元私の良人(おっと)は小出様の御家来で、お馬廻り役を勤め、百五十石頂戴致した黒川孝藏という者でありましたが、乱酒故に屋敷は追放、本郷丸山の本妙寺長屋へ浪人していました処、私の兄澤田右衞門が物堅い気質で、左様な酒癖あしき者に連れ添うているよりは、離縁を取って国へ帰れと押って迫られ、兄の言うに是非もなく、其の時四つになる忰を後に残し、離縁を取って越後の村上へ引込み、二年程過ぎてこの家に再縁して参りましたが、この度江戸で図らずも十九年ぶりにて忰の孝助に逢いましたが、実の親子でありますゆえ、段々様子を聞いて見ると、お前達は飯島様を殺した上、有金大小衣類まで盗み取り、お屋敷を逐電(ちくでん)したと聞き、私はびっくりしましたよ。
 
それが為飯島様のお家は改易になりましたから、忰の考助が主人の敵のお前方を討たなければ、飯島の家名を興す事が出来ないから、敵を捜す身の上と、涙ながらの物語に、私も十九年ぶりで実の子に逢いました嬉し紛れに、敵のお國源次郎は私の家に匿まってあるから、手引をして敵を打たせてやろうと、サうっかり言ったは私の過り。
 
考助は血を分けた実子なれども、一旦離縁を取ったれば黒川の家の子、この家に再縁する上からは、今はお前は私の為になおさら義理ある大切の娘なりや、縁の切れた忰の情に引かされて、手引きをしてお前達を討たせては、亡くなられたお前の親御樋口屋五兵衞殿の御位牌へ対して、どうも義理が立ちませんから、悪い事を言うた、どうしたら宜かろうかと道々も考えて来ましたが、考助は後になり先になり私に附きてこの地に参り、実は今晩九時の鐘を合図に庭口からこの家に忍んで来る約束。
 
討たせては済まないから、お前達も隠さず実はこれこれと言いさえすれば、五郎三郎から小遣いに貰った三十両の内、少し遣ってまだ二十六七両は残ってありますから、これをお前達に路銀として餞別に上げようから、少しも早く逃げのびなさい。
 
立ち退く道は宇都宮の明神様の後山を越え、慈光寺の門前から付いて曲がり、八幡山を抜けてなだれに下りると日光街道、それより鹿沼道へ一里半行けば、十郎ヶ峰という所、それよりまた一里半あまり行けば鹿沼へ出ます、それより先は田沼道奈良村へ出る間道、人の目つまにかからぬ抜道、少しも早く逃げのびて、何処の果てなりとも身を隠し、悪い事をしたと気がつきましたら、髪を剃って二人とも袈裟と衣に身を窶(やつ)し、殺した御主人飯島様の追善供養致したなら、命の助かる事もあろうが、只不便なのは忰の考助、敵の行方の知れぬ時は一生旅寝の艱難困苦、御主のお家も立ちません、気の毒な事と気がついたら心を入れかえ善人に成っておくれよ、さアさア早く」
 
 
と路銀まで出しまして、義理を立てぬく母の真心、流石の二人も面目なく眼と眼を見合せ、
 
「はいはい誠にどうも、左様とは存じませんでお隠し申したのは済みません」
 
「実に御信実なお言葉、恐れ入りました、拙者も飯島を殺す気ではござらんが、不義が顕(あら)われ平左衞門が手槍にて突いてかかる故、止むを得ずこの如きの仕合いでございます、仰せに従い早々逃げのび、改心致して再びお礼に参りまするでございます、これお國や、お餞別として路銀まで、あだに心得ては済みませんよ」
 
「お母様、どうぞ堪忍してくださいましよ」
 
「さアさア早く行かぬか、かれこれ最早や九ツになります」
 
と言われて二人は支度をしていると、後の障子を開けて這入りましたはお國の兄五郎三郎にて、突然お國の側へより、
 
 
「お母様少しお待ちなすってください、これ國これへ出ろこれへ出ろ、本当にマア呆れはてて物が言われねえ奴だ、内へ尋ねて来た時なんと言った、お隣の次男と不義をしたゆえ、源さんは御勘当になり、身の置き所がないようにしたも私ゆえ、お気の毒でならねえから一緒に連れて来ましたなどと、生嘘を遣って我をだましたな。
 
内にこうやって置く奴じゃアねえぞ、お父様が御死去に成った時、幾度手紙を出しても一通の返事も遣さぬくらいな人でなし、只一人の妹だが死んだと思ってな諦めていたのだ、それにのめのめと尋ねて来やアがって、おいてくれろというから、よもや人を殺し、泥坊をして来たとは思わねえからおいてやれば、今聞けば実に呆れて物が言われねえ奴だ。
 
お母様誠に有り難うございまするが、あなたが親父へ義理を立てて、こやつ等を逃がして下さいましても天命は遁(のが)れられませんから、迚(とて)も助かる気遣いはございません、いっそ黙っておいでなすって、考助様に切られてしまう方がよろしゅうございますのに。
 
やいお國、お母様は義理堅いお方ゆえ、親父の位牌へ対して路銀まで下すって、そのうえ逃路まで教えて下さるというはな実に有り難い事ではないか、何とも申そう様はございません、コレお國、この罰当りめえ、お母様がこの家へ嫁にいらッしゃった時は、手前がな十一の時だが、意地がわるくてお父様とお母様とおれとの合中(あいなか)をつつき、何分家が揉めて困るから、おれがお父さんに勧めて他人の中を見せなければいけませんが、近い所だと駈け出して帰って来ますから、いっそ江戸へ奉公に出した方がよろしかろうと言って、江戸の屋敷奉公に出した所が、善事は覚えねえで、密夫をこしらえてお屋敷を遁(に)げ出すのみならず、御主人様を殺し、金を盗みしというは呆れ果てて物が言われぬ。
 
お母様が並の人ならば、知らぬふりをしておいでなすッたら、今夜考助様に斬り殺されるのも心がら、天罰で手前達は当然だが、坊主が憎けりゃ袈裟までの譬(たとえ)で、もやつも敵の片割とおれまでも殺される事を仕出来(しでか)すというは、不孝不義の犬畜生め。
 
只一人の兄妹なり、殊にゃア女の事だから、この兄の死水も手前が取るのが当前だのに、何の因果で此様(こんな)悪婦(あくとう)が出来たろう、お父様も正直なお方、私もこれまでさのみ悪い事をした覚えはないのに、この様な悪人が出来るとは実になさけない事でございます、この畜生めサッサ、サッサと早く出て行け」
 
 
と言われて、二人とも這々(ほうほう)の体にて荷拵(にごしら)えをなし、暇乞いもそこそこに越後屋方を逃げ出しましたが、宇都宮明神の後道にかかりますと、昼さえ暗き八幡山、まして真夜中の事でございますから、二人は気味わる気味わる路の中ばまで参ると、一叢(むら)茂る杉林の蔭より出てまいる者を透かして見れば、面部を包みたる二人の男、いきなり源次郎の前へ立ち塞がり、
 
「やい、神妙にしろ、身ぐるみ脱いて置いて行け、手前達は大方宇都宮の女郎を連れ出した駈け落ち者だろう」
 
「やい金を出さないか」
 
と言われ源次郎は忍び姿の事なれば、大小を落し差にして居りましたが、この様子にハッと驚き、拇指(おやゆび)にて鯉口を切り、震え声を振り立って、
 
「手前達は何だ、狼藉者」
 
と言いながら、透かして九日の夜の月影に見れば、一人は田中の中間(ちゅうげん)喧嘩の亀藏、見紛(みまご)う方なき面部の古疵、一人は元召し使いの相助なれば、源次郎は二度びっくり、
 
「これ、相助ではないか」
 
「これは御次男様、誠に暫く」
 
「まア安心した、本当にびっくりした」
 
「私もびっくりして腰が抜けた様だったが、相助どんかえ」
 
「誠にヘイ面目ありません」
 
「手前はまだかような悪い事をしているか」
 
「実はお屋敷をお暇になって、藤田の時藏と田中の亀藏と私と三人揃って出やしたが、何処へも行く所はなし、どうしたら宜かろうかと考えながら、ぶらぶらと宇都宮へ参りやして、雲助になり、どうやらこうやらやっているうち、時藏は傷寒を患って死んでしまい、金はなくなって来た処から、ついふらふらと出来心で泥坊をやったが病みつきとなり、この間道はよく宇都宮の女郎を連れて、鹿沼の方へ駈け落ちするものが時々あるので、ここに待ち伏せして、サア出せと一言いえば、私は剣術を知らねえでも、怖がってじきに置いて行くような弱い奴ばっかりですから、今日もうっかり源様と知らず掛かりましたが、貴方に抜かれりゃアおッ切られてしまう処、誠になんともはや」
 
「これ亀藏、手前も泥坊をするのか」
 
「へい雲助をしていやしたが、ろくな酒も飲めねえから太く短くやッつけろと、今ではかな事をしておりやす」
 
と言われ、源次郎はしばし小首を傾げて居りましたが、
 
「好い所で手前達に逢うた、手前達も飯島の考助には遺恨があろうな」
 
「ええ、ある所じゃアありやせん、川の中へ放り込まれ、石で頭を打裂(ぶっさ)き、相助と二人ながら大曲りでは酷い目に逢い、這々(ほうほう)の体で逃げ返った処が、こっちはお暇、考助はぬくぬくと奉公しているというのだ、今でも口惜しくって堪まりませんが、あいつはどうしました」
 
「誰も他に聞いている者はなかろうな」
 
「へい誰がいるものですか」
 
「この國の兄の宅は杉原町の越後屋五郎三郎だから、暫くここに匿まわれていたところ、母というのは義理ある後妻だが、不思議な事でそれが考助の実母であるとよ、この間母が江戸見物に行った時考助にめぐり逢い、くわしい様子を考助から残らず母が聞き取り、手引きをして我を打たせんと宇都宮へ連れては来たが、義理堅い女だから、亡父五兵衞の位牌へ対してお國を討たしては済まないという所で、路銀まで貰い、こうやって立たせてはくれたものの、そこは血肉を分けた親子の間、事によると後から追い掛けさせ、やって来まいものでもないが、どうしてか手前らが加勢して考助を殺してくれれば、多分の礼は出来ないが、二十金やろうじゃないか」
 
「よろしゅうございやす、随分やッつけましょう」
 
「亀藏安受け合いするなよ、あいつと大曲で喧嘩した時、大溝の中へ放り込まれ、水を喰ってようよう逃げ帰ったくらい、あいつア途方もなく剣術が旨いから、迂濶(うっか)り打(たた)き合うとかないやアしない」
 
「それは又工夫がある、鉄砲じゃア仕様があるめえ、十郎ヶ峰あたりへ待ち受け、源さまは清水流れの石橋の下へ隠れて居て、おれ達ゃア林の間に身を隠している所へ、考助がやって来りゃア、橋を渡り切った所で、おれが鉄砲を鼻ッ先へ突っ付けるのだ、考助が驚いて後へさがれば、源さまが飛び出して斬り付けりゃア挟み打ち、わきアねえ、遁(に)げるも引くも出来アしねえ」
 
「じゃアどうか工夫してくれろ、何分頼む」
 
とここから亀藏はどこからか三挺の鉄砲を持ってまいり、皆々連れ立ち十郎ヶ峰に考助の来るを待受けました。
 
 
 

天網恢恢(かいかい)疎にして漏らさず(後篇) 之編続く