まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談牡丹灯篭 十七】 陰が陰を呼び、邪が邪を呼び、鬼が鬼を呼ぶ 之編 

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 2月 1日友引  四緑木星

         辛未 日/戊辰 月/甲午 年 月相 29.2 朔

         雨水 末候 草木萌動(そうもくめばえいずる)   

 
【今日の気象】 天気 曇り 気温 8.6℃ 湿度 71% (大阪 6:00時点) 
 
 
【前回のあらまし】
邪鬼伴蔵めは、100両の金子(きんす)を元手に別天地で商売を始め、成功す。当初は真面目に精を出していたが、所詮悪銭身につかずで、蛇(邪)が表に出て来て、成金野郎が贅沢三昧で女にうつつを抜かす。この阿魔(あま)が何と非人非(ひとでなし)のあのお國とくりゃあ、同気相求むのか、同類相求むのか、とにかく類が友を呼ぶ。当然のようにカカァにばれての修羅場ん中。さすれば、邪鬼の所業で消(殺)してしまうのが、鬼が鬼であるところ。無念のカカァおみねが魂が伴蔵の使用人に乗り移って、うらめしやぁ。鬼を跋扈させるお天道様が恨めしや。闇を切りさく一条の陽気がとくと望まれる。

 

 
伴藏は女房が死んで七日目に寺参りから帰った其の晩より、下女のおますがおかしなうわ言を言い、幽霊に頼まれて百両の金を貰い、これまでの身代に取り付いたの、萩原新三郎様を殺したの、海音如来のお守を盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋めたなどなど喋り立てるに、奉公人たちは何だか様子の分らぬ事ゆえ、ただ馬鹿なうわ言をいうと思っておりました。
 
伴藏の腹の中では、女房のおみねがおれに取り付く事の出来ない所から、この女に取り付いておれの悪事を喋らせて、お上の耳に聞えさせ、おれを召し捕り、お仕置きにさせて怨みをはらす了簡に違いなし、あの下女さえいなければこの様な事もあるまいから、いっそ宿元へ下げて仕舞おうか、いやいや待てよ、宿へ下げ、あの通りに喋られては大変だ、コリャうっかりした事は出来ないと思案にくれている処へ、先程幸手へ使いに遣りました下男の仲助が、医者同道で帰って来て、
 
「旦那只今帰りやした、江戸からお出でなすったお上手なお医者様だそうだがやっと願いやして御一緒に来てもらいやした」
 
「これはこれは御苦労さま、手前方はこういう商売柄店も散らかっておりますから、先ずこちらへお通り下さいまし」
 
と奥の間へ案内をして上座に請じ、伴藏は慇懃に両手をつかえ、
 
「初めましてお目通りを致します、私は関口屋伴藏と申します者、今日は早速の御入で誠に御苦労様に存じまする」
 
「はいはい初めまして、何か急病人の御様子、ハハアお熱で、変なうわ言などを言うと」
 
と言いながら不図伴藏を見て、
 
「おや、これは誠に暫らく、これはどうも誠にどうも、どうなすって伴藏さん、まず一別以来相変らず御機嫌宜しく、どうもマア図らざるところでお目に懸りました、これは君の御新宅かえ、恐れ入ったねえ、しかし君はかくあるべき事だろうと、君が萩原新三郎様の所にいる時分から、あの伴藏さんおみねさんの夫婦は、どうも機転の利き方、才智の廻る所から、中々只の人ではない、今にあれはえらい人になると言っていたが、十指の指さすところ鑑定は違わず、実に君は大した表店を張り、立派な事におなりなすったなア」
 
「いやこれは山本志丈さん、誠に思い掛けねえ所でお目にかかりやした」
 
  
「実は私も人には言えねえが江戸を喰い詰め、医者もしていられねえから、猫の額のような家だが売って、その金子を路用として日光辺の知己を頼って行く途中、幸手の宿屋で相宿の旅人が熱病で悩むとて療治を頼まれ、その脈を取れば運よく全快したが、実は僕が治したんじゃアねえ、ひとりでに治ったんだが、運にかなってたちまちにあれは名人だ名医だとの評が立ち、あっちこっちから療治を頼まれ、実はいい加減にやってはいるが、相応に薬礼をよこすから、足を留めていたものの実はおれア医者は出来ねえのだ。
 
もっとも傷寒論の一冊位は読んだ事は有るが、一体病人は嫌えだ、あの臭い寝床の側へ寄るのは厭だから、金さえあればツイ一杯呑む気になるようなものだから、江戸を喰い詰めて来たのだが、あの妻君はお達者かえ、イヤサおみねさんには久しく拝顔を得ないがお達者かえ」
 
 
「あれは」
 
と口ごもりしが、
 
「八日あとの晩土手下で盗賊に切り殺されましたよ、それからようやく引き取って葬式を出しました」
 
「ヤレハヤこれはどうも、存外な、さぞお愁傷、お馴染みだけに猶更お察し申します、あの方は誠に御貞節ないいお方であったが、これが仏家でいう因縁とでも申しますのか、さぞまア残念な事でありましたろう、それでは御病人はお家内ではないね」
 
「ええ内の女ですが、なんだか熱にうかされて妙な事を言って困ります」
 
「それじゃアちょっと診て上げて、後で又いろいろ昔の話をしながらゆるりと一杯やろうじゃアないか、知らない土地へ来て馴染みの人に逢うと何だか懐かしいものだ、病人は熱なら造作もないからねえ」
 
「文助や、先生は甘い物は召し上がらねえが、お茶とお菓子と持って来て置け、先生こっちへお出でなせえ、ここが女部屋で」
 
「左様か、マア暑いから羽織を脱ごうよ」
 
「おますや、お医者様が入っしゃったからよく診ていただきな、気を確かりしていろ、変な事をいうな」
 
「どういう御様子、どんな塩梅で」
 
と言いながら側へ近寄ると、病人は重い掻巻(かいまき)を反ね退けて布団の上にちゃんと坐り志丈の顔をジッと見詰めている。
 
「お前どういう塩梅で、大方風邪がこうじて熱となったのだろう、悪寒でもするかえ」
 
「山本志丈さん、誠に久しくお目にかかりませんでした」
 
「これは妙だ、僕の名を呼んだぜ」
 
「こいつは妙なうわ言ばッかり言っていますよ」
 
「だって僕の名を知っているのが妙だ、フウンどういう様子だえ」
 
「私はね、この貝殻骨から乳の所までズブズブと伴藏さんに突かれた時の、、、」
 
「これこれ何をつまらねえ事をいうんだ」
 
「宜しいよ、心配したもうな、それからどうしたえ」
 
「貴方の御存じの通り、私共夫婦は萩原新三郎様の奉公人同様に追い使われ、跣足(はだし)になって駈けずり廻っていましたが、萩原様が幽霊に取り付かれたものだから、幡随院(ばんずいいん)の和尚から魔除けの御札を裏窓へ貼り付けて置いて幽霊の這入れない様にした所から、伴藏さんが幽霊に百両の金を貰って其の御札をはがし、、、、」
 
「何を言うんだなア」
 
「宜しいよ、僕だから、これは妙だ妙だ、へい、そこで」
 
「其の金から取り付いて今はこれだけの身代となり、それのみならず萩原様のお首に掛けてる金無垢の海音如来の御守を盗み出し、根津の清水の花壇に埋め、あまつさえ萩原様を蹴り殺して体よく跡を取り繕い、、、、、」
 
「何を、とんでもない事を言うのだ」
 
「よろしいよ僕だから、妙だ妙だヘイそれから」
 
「そうしてお前、そんなあぶく銭でここまでになったのに、お前は女狂いを始め、私を邪魔にして殺すとは余り酷い、、、、」
 
「どうも仕様がないの、何をいうのだ」
 
 
「よろしいよ、妙だ、心配したもうな、これは早速宿へ下げたまえ、と言うと、宿で又こんなうわ言を言うと思し召しそうが、下げればきっと言わない、この家に居るから言うのだ、僕も壮年の折こういう病人を二度ほど先生の代診で手掛けた事があるが、宿へ下げればきっと言わないから下げべし下げべし」
 
と言われて、伴藏は小気味が悪いけれども、山本の勧めに任せ早速に宿を呼び寄せ引き渡し、表へ出るやいなや正気にかえった様子なれば、伴藏も安心していると今度は番頭の文助がウンとうなって夜着をかむり、寝たかと思うと起き上り、幽霊に貰った百両の金でこれだけの身代になり上がり、といい出したれば、又宿を呼んで下げてしまうと、今度は小僧がうなり出したれば又宿へ下げてしまい、奉公人残らずを帰し、あとには伴藏と志丈と二人ぎりになりました。
 
 
「伴藏さん、今度うなればおいらの番だが、妙だったね、だが伴藏さん打ち明けて話をしてくんなせえ、萩原さんが幽霊に魅られ、骨と一緒に死んでいたとの評判もあり、又首に掛けた大事の守りがすり替わったっていたというが、その鑑定はどうも分らなかった。
 
もっとも白翁堂という人相見の老爺が少しはけどって新幡随院の和尚に話すと、和尚はとうより悟っていて、盗んだ奴が土中へ埋め隠してあると言ったそうだが、今日初めてこの病人の話によれば、僕の鑑定では確かにお前と見て取ったが、もうこうなったらば隠さず言ってお仕舞い。
 
そうすれば僕もお前と一つになって事を計らおうじゃないか。善悪共に相談をしようから打ち解け給え、それから君はおかみさんが邪魔になるものだから殺しておいて、盗賊が斬り殺したというのだろう、そうでしょうそうでしょうょ」
 
 
といわれて伴藏もはや隠しおおせる事にもいかず、
 
 
「実は幽霊に頼まれたというのも、萩原様のああいう怪しい姿で死んだというのも、いろいろ訳があって皆私がこしらえた事。
 
というのは私が萩原様の肋(あばら)を蹴って殺しておいて、こっそりと新幡随院の墓場へ忍び、新塚を掘り起こし、骸骨を取り出し、持ち帰って萩原の床の中へ並べて置き、怪しい死ざまに見せかけて白翁堂の老爺をば一ぺい欺(はめ)込み、又海音如来の御守もまんまと首尾好く盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋めて置き、それからおれが色々と法螺を吹いて近所の者を怖がらせ、皆あちこちへ引越したをよいしおにして、おれも又おみねを連れ、百両の金を掴んでこの土地へ引っ込んで今の身の上。
 
ところがおれが他の女に掛かり合った所から、カカアが悋気(りんき)をおこし、以前の悪事をガァァァァァと呶鳴(どな)り立てられ仕方なく、旨くだまして土手下へ連れ出して、おれが手に掛け殺しておいて、追い剥ぎに殺されたと空涙で人を騙(だま)かし、弔いをも済して仕舞った訳なんだ」
 
 
「よく言った、誠に感服、大概の者ならそう打ち明けては言えぬものだに、おれが殺したと速(すみやか)に言うなどはこれは悪党ア悪党、お前にそう打ち明けられて見れば、私はお喋りな人間だが、こればッかりは口外はしないよ、その代わり少し好みがあるがどうか叶えておくれ、と言うと何か君の身代でも当てにするようだが、そんな訳ではない」
 
「ああ、あぁそれはいいとも、どんな事でも聞きやしょうから、どうか口外はして下さるな」
 
と言いながら懐中より二十五両包を取り出し、志丈の前に差し置いて、
 
「少ねえが切餅をたった一ツ取って置いてくんねえ」
 
「これは言わない賃かえ薬礼ではないね、宜しい心得た、何だかこう金が入ると浮気になったようだから、一杯飲みながら、ゆるりと昔語りがしてえのだが、ここの家ア陰気だから、これから何処かへ行って一杯やろうじゃアねえか」
 
「そいつはよかろう、そんならおらの馴染じみの笹屋へ行きやしょう」
 
と打ち連れ立って家を立ち出で、笹屋へ上り込み、差し向いにて酒を酌交し、
 
「男ばかりじゃア旨くねえから、女を呼びにやろう」
 
とお國を呼び寄せる。
 
「おや旦那、御無沙汰を、よく入らっしゃって、伺いますればお内儀さんは不慮の事がございましたと、定めて御愁傷な事で、私も旦那にちょいとお目に懸りたいと思っておりましたは、内の人の傷もようやく治り、近々のうち越後へ向けて今一度行きたいと言っておりますから、行った日には貴方にはお目に懸ることが出来ないと思っている所へお使いで、余り嬉しいから飛んで来たんですよ」
 
「お國お連れの方に何故御挨拶をしないのだ」
 
「これはあなた御免遊ばせ」
 
と言いながら志丈の顔を見て、
 
「おやおや山本志丈さん、誠に暫く」
 
「これは妙、どうも不思議、お國さんがここにお出でとは計らざる事で、これは妙、内々御様子を聞けば、思うお方と一緒なら深山の奥までと言うようなる意気事筋で、誠に不思議、これは希代だ、妙妙妙」
 
と言われてお國はギックリ驚いたは、志丈はお國の身の上をば詳しく知った者ゆえ、もし伴藏に喋べられてはならぬと思い、
 
「志丈さんちょっと御免あそばせ」
 
と次の間へ立ち。
 
「旦那ちょっと入らっしゃい」
 
「あいよ、志丈さん、ちょいと待ってお呉れよ」
 
「ああ宜しい、ゆっくりと話をして来たまえ、僕はさようなことには慣れて居るから苦しくない、お構いなく、ゆっくりと話をして入らっしゃい」
 
「旦那どういうわけであの志丈さんを連れて来たの」
 
「あれは内に病人があったから呼んだのよ」
 
「旦那あの医者のいう事をなんでも本当にしちゃアいけませんよ、あんな嘘つきの奴はありません、あいつの言う事を本当にするととんでもない間違いが出来ますよ、人の合中を突っつくひどい奴ですから、今夜はあの医者をどこかへやって、貴方独りここに泊っていて下さいな、そうすれば内の人を寝かして置いて、貴方の所へ来て、いろいろお話もしたい事がありますから宜うございますか」
 
「よしよし、それじゃア内の方をいい塩梅にしてきっと来ねえよ」
 
「きっと来ますから待っておいでよ」
 
とお國は伴藏に別れ帰り行く。
 
「やア志丈さん、誠にお待ちどう」
 
「誠にどうも、アハアハあの女はもう四十に近いだろうが若いねえ、君もなかなかお腕前だね、大方君はあの婦人を喰っているのだろうが、これからはもう君と善悪を一ツにしようと約束をした以上は、君のためにならねえ事は僕は言うよ、一体君はあの女の身の上を知って世話をするのか知らないのか」
 
「おらア知らねえが、お前さんは心安いのか」
 
 
「あの婦人には男がついて居る、宮野邊源次郎と云って旗本の次男だが、そいつが悪人で、萩原新三郎さんを恋慕った娘の親御飯島平左衞門という旗本の奥様付きで来た女中で、奥様が亡くなった所から手がついて妾となったが今のお國で、源次郎と不義をはたらき、恩ある主人の飯島を斬り殺し、有金二百六十両に、大小を三腰とか印籠を幾つとかを盗み取り逐電(ちくでん)した人殺しの盗賊だ。
 
すると後から忠義の家来藤助とか考助とかいう男が、主人の敵を討ちたいと追いかけて出たそうだ、私の思うのは、あれは君に惚れたのではなく、源次郎が可愛いからお前の言う事を聞いたなら、亭主のためになるだろうと心得、身を任せ、相対間男ではないかと僕は鑑定するが、今聞けば急に越後へ立つと言い、僕をはいて君独り寝ている処へ源次郎が踏み込んでゆすり掛け、二百両位の手切れは取る目算に違えねえが、君は承知かえ、だから君は今夜ここに泊っていてはいけねえから、僕と一緒に何処かへ女郎買いに行ってしまい、あいつ等二人に素股を喰わせるとはどうだえ」
 
 
「むむ成程、そうか、それじゃアそうしよう」
 
と連れ立ってここを立ち出で、鶴屋という女郎屋へ上り込む。
 
後へお國と源次郎が笹屋へ来て様子を聞けば、先刻帰ったということに二人は萎(しお)れて立ち帰り、
 
「お國もうこうなれば仕方がないから、明日は己が関口屋へ掛け合いに行き、もし向こうでしらをきった其の時は」
 
「私が行って喋りつけ口を明かさずたんまりとゆすってやろう」
 
と其の晩は寝てしまいました。
 
 
翌朝になり伴藏は志丈を連れて我家へ帰り、いろいろ昨夜の惚気(のろけ)など言っている店前へ、
 
「お頼ん申す、お頼ん申す
 
「商人の店先へお頼ん申すというのはあやしいが、誰だろう」
 
「大方ゆうべ話した源次郎が来たのかも知れねえ」
 
「そんならお前そっちへ隠れていてくれ」
 
「いよいよ難かしくなったら飛び出そうか」
 
「いいから引っ込んでいなよ……へいへい、少々宅に取り込みが有りまして店を閉めておりますが、何か御用ならば店を開けてから願いとうございます」
 
「いや買物ではござらん、御亭主に少々御面談いたしたく参ったのだ、ちょっと開けてください」
 
「左様でございますか、まずお上がり」
 
「早朝より罷り出でまして御迷惑、貴方が御主人か」
 
「へい、関口屋伴藏は私でございます、ここは店先どうぞ奥へお通りくださいまし」
 
「然らば御免を蒙むる」
 
と蝋色鞘茶柄(ろいろざやちゃつか)の刀を右の手に下げたままに、亭主に構わずずっと通り上座に座す。
 
「どなた様でござりますか」
 
「これは初めてお目に懸りました、手前は土手下に世帯を持っている宮野邊源次郎と申す粗忽の浪人、家内國事、笹屋方にて働女をなし、僅な給金にてようよう其の日を送りいる処、旦那より深く御贔屓を戴くよし、毎度國より承わりおりますれど、何分足痛にて歩行も成り兼ねますれば、存じながら御無沙汰、重々御無礼をいたした」
 
「これはお初にお目通りをいたしました、伴藏と申す不調法もの幾久しく御懇意を願います、お前様の塩梅の悪いという事は聞いていましたが、よくマア御全快、私もお國さんを贔屓にするというものの、贔屓の引き倒しで何の役にも立ちません、旦那の御新造がねえ、どうも恐れ入った、勿体ねえ、馬士や私のようなものの機嫌気づまを取りなさるかと思えば気の毒だ、それがために失礼も度々致しやした」
 
「どう致しまして、伴藏さんにちと折り入って願いたい事がありますが、私共夫婦は最早旅費を遣いなくし、殊には病中の入費薬礼や何やかやで全く財布の底を払き、ようやく全快しましたれば、越後路へ出立したくも如何にも旅費が乏しく、どうしたら宜かろうと思案の側から、女房が関口屋の旦那は御親切のお方ゆえ、泣きついてお話をしたらお見継ぎくださる事もあろうとの勧めに任せ参りましたが、どうか路金を少々拝借が出来ますれば有り難う存じます」
 
「これはどうも、そう貴方のように手を下げて頼まれては面目がありませんが」
 
と中は幾許(いくら)かしら紙に包んで源次郎の前にさし置き、
 
「ほんの草鞋銭(わらじせん)でございますが、お請け取り下せえ」
 
と言われて源次郎は取り上げて見れば金千疋(きんせんびき)。
 
「これは二両二分、イヤサ御主人、二両二分で越後まで足弱を連れて行かれると思いなさるか、御親切ついでにもそっとお恵みが願いたい」
 
「千疋では少ないと仰しゃるなら、幾許(いくら)上げたら宜いのでございます」
 
「どうか百金お恵みを願いたい」
 
 
「一本え、冗談言っちゃアいけねえ、薪かなんぞじゃアあるめえし、一本の二本のと転がっちゃアいねえよ。
 
旦那え、こういう事ア一体こちらで上げる心持ち次第のもので、幾許(いくばく)かくらと限られるものじゃアねえと思いやす、百両くれろといわれちゃア上げられねえ。
 
又道中もしようで限(きり)のないもの、千両も持って出て足りずに内へ取りによこす者もあり、四百の銭で伊勢参宮をする者もあり、二分の金を持って金毘羅参りをしたという話もあるから、旅はどうとも仕様によるものだから、そんな事を言ったって出来はしません。
 
誠に商人なぞは遊んだ金は無いもので、表店を立派に張って居ても内々は一両の銭に困る事もあるものだ、百両くれろといっても、そんなに私はお前さんにお恵みをする縁がねえ」
 
 
「國が別段御贔屓になっているから、とやかく面倒言わず、餞別として百金貰おうじゃアねえか、何も言わずにサ」
 
「お前さんはおつうおかしな事を言わっしゃる、何かお國さんと私と姦通(くっつ)いてでもいるというのか」
 
「おおサ姦夫(まおとこ)のかどで手切れの百両を取りに来たんだ」
 
「ムム私(わっち)が不義をしたがどうした」
 
「黙れ、やい不義をしたとはなんだ、捨て置き難い奴だ」 
 
と言いながら刀を側へ引寄せ、親指にて鯉口をプツリと切り、
 
「この間から何かと胡散(うさん)の事もあったれど、堪え堪えてこれ迄穏便沙汰に致し置き、昨晩それとなく國を責めた所、國の申すには、実は済まない事だが貧に迫ってやむを得ずあの人に身を任せたと申したから、その場において手打ちにしようとは思ったれども、こういう身の上だから勘弁いたし、事穏(おだや)かに話をしたに、手前の口から不義したと口外されては捨て置きがてえ、表向きに致さん」
 
と哮(たけ)り立って怒鳴ると、
 
 
「静かにおしなせえ、隣はないが名主のない村じゃアないよ。
 
お前さんがそう哮(たけ)り立って鯉口を切り、私(わっち)の鬢(びん)たを打ち切る剣幕を恐れて、ハイさようならとお金を出すような人間と思うのは間違えだ。
 
私なんぞは首が三ツあっても足りねえ身体だ、十一の時から狂い出して、脱(ぬ)け参(めえ)りから江戸へ流れ、悪いという悪い事は二三の水出し、遣らずの最中、野天丁半(のでんちょうはん)の鼻ッ張り、ヤアの賭場まで逐(お)って来たのだ、今は胼皹(ひびあかぎれ)を白足袋で隠し、なまぞらを遣っているものの、悪い事はお前より上だよ。
 
それに又姦夫姦夫(まおとこまおとこ)というが、あの女は飯島平左衞門様の妾で、それとお前がくッついて殿様を殺し、大小や有金を引っさらい高飛びをしたのだから、いわばお前も盗みもの、それにお國もおれなんぞに惚れたはれたのじゃなく、お前が可愛いばッかりで、病気の薬代にでもする積もでこっちに持ち掛けたのを幸いに、おれもそうとは知りながら、ツイ男のいじきたな、手を出したのはこちらの過りだから、何も言わずに千疋(せんぴき)を出し、別段餞別にしようと思い、これこの通り二両をやろうと思っている処、一本よこせと云われちゃア、どうせ細った首だから、素首が飛んでも一文もやれねえ。
 
それにお前よく聞きねえ、江戸近のこんな所にまごまごしていると危ねえぜ、考助とかが主人の敵だといってお前を狙っているから、お前の首が先へ飛ぶよ、冗談じゃアねえ」
 
 
と言われて源次郎は途胸(とむね)を突いて大いに驚き、
 
「さような御苦労人とも知らず、只の堅気の旦那と心得、おどして金を取ろうとしたのは誠に恐縮の至り、然らば相済みませんが、これを拝借願います」
 
「早く行きなせえ、危険だよ」
 
「さようならお暇申します」
 
「跡をしめて行ってくんな」
 
志丈は戸棚より潜り出し、
 
「うまかったなア、感服だ、実に感服、君の二三の水出し、やらずの最中とは感服、ああどうもそこが悪党、ああ悪党」
 
これより伴藏は志丈と二人連れ立って江戸へ参り、根津の清水の花壇より海音如来の像を掘り出す処から、悪事露顕(ろけん)の一埓(らつ)はこの次までお預りに致しましょう。
 
 
 

さ迷える陽気 之編に続く