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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談牡丹灯篭 十六】 三つ子の魂百まで穢れし 之編 

 
【前回のあらまし】 
今、ここに飯島平左衛門、不義者の狼藉により絶命す。因縁背負い、家来考助に討たれるが役目を果たすが如き、この世界から退場す。人間世界に生きる人間は欲にまみれて生きている。そしてフトした折りが重なって欲に絡め取られて地獄に落ちる。地獄の坂は真っ逆さま。ここにこの坂をお國と源次郎が転がり出した。平左衛門がおもゐを引き継ぐ為に考助は、主人が仇お國と源次郎を追う旅に出る。
 
一方、幽霊から100両かすめ取った伴蔵夫婦は中山道の栗橋に越して来た。

 

 
伴藏は悪事の露顕を恐れ、女房おみねと栗橋へ引越し、幽霊から貰った百両あればまずしめたと、懇意の馬方久藏を頼み、この頃は諸式が安いから二十両で立派な家を買い取り、五十両を資本に下し荒物見世を開きまして、関口屋伴藏と呼び、初めの程は夫婦とも一生懸命働いて、安く仕込んで安く売りましたから、たちまち世間の評判を取り、関口屋の代物は値が安くて品がいいと、方々から押し掛けて買いに来るほどゆえ、大いに繁昌を極めました。
 
凡夫盛んに神祟りなし、人盛んなる時は天に勝つ、人定まって天人に勝つとは古人の金言よろしなるかな、素より水泡銭の事なれば身につく道理のあるべき訳はなく、翌年の四月頃から伴藏は以前の事も打ち忘れ少し贅沢がしたくなり、絽(ろ)の小紋の羽織が着たいとか、帯は献上博多を締めたいとか、雪駄が履いて見たいとか言い出して、一日同宿の笹屋という料理屋へ上り込み、一盃やっている側に酌取女に出た別嬪は、年は二十七位だが、どうしても二十三四位としか見えないというすこぶる代物を見るよりも、伴藏は心を動かし、二階を下りてこの家の亭主にその女の身上を聞けば、さる頃夫婦の旅人がこの家へ泊りしが、亭主は元は侍で、いかなる事か足の傷の痛み烈しく立つ事ならず。
 
一日一日との長逗留、遂に旅用をも遣いはたし、そういつ迄も宿屋の飯を食ってもいられぬ事なりとて、夫婦には土手下へ世帯を持たせ、女房はここへ手伝い働き女としておいて、僅かな給金で亭主を見継いでいるとかの話を聞いて、伴藏は金さえ有ればどうにもなると、其の日は幾許か金を与え、綺麗に家に帰りしが、これよりせっせっと足近く笹屋に通い、金びら切って口説きつけ、遂にこの女と怪しい中になりました。
 
一体この女は飯島平左衞門の妾お國にて、宮野邊源次郎と不義を働き、あまつさえ飯島を手に掛け、金銀衣類を奪い取り、江戸を立ち退き、越後の村上へ逃げ出しましたが、親元絶家して寄るべなきまま、段々と奥州路を経て下街道へ出て参りこの栗橋にて患い付き、宿屋の亭主の情を受けて今の始末。
 
素より悪性のお國ゆえたちまち思う様、この人は一代身上俄分限(にわかぶんげん)に相違なし、この人の言う事を聞いたなら悪い事もあるまいと得心したる故、伴藏は四十を越して此のような若い綺麗な別嬪にもたつかれた事なれば、有頂天界に飛び上り、これより毎日ここにばかり通い来て寝泊りを致しておりますと、伴藏の女房おみねは込み上がる悋気の角も奉公人の手前にめんじ我慢はしていましたが、或日のこと馬を引いて店先を通る馬子を見付け、
 
「おや久藏さん、素通りかえ、余りひどいね」
 
「ヤアお内儀さま、大きに無沙汰を致しやした、ちょっくり来るのだアけど今ア荷い積んで幸手まで急いでゆくだから、寄っている訳にはいきましねえが、この間は小遣を下さって有難うごぜえます」
 
「まアいいじゃアないか、お前は宅の親類じゃないか、ちょっとお寄りよ、一ぱい上げたいから」
 
「そうですかえ、それじゃア御免なせい」
 
と馬を店の片端に結い付け、裏口から奥へ通り、
 
「おれアこの家の旦那の身寄りだというので、皆に大きに可愛がられらア、この家の身上は去年から金持になったから、おらも鼻が高い」
 
と話の中におみねは幾許か紙に包み、
 
「なんぞ上げたいが、余まり少しばかりだが小遣にでもして置いておくれよ」
 
「これアどうも、毎度戴いてばかりいて済まねえよ、いつでも厄介になり続けだが、折角の思し召しだから頂戴いたして置きますべい、おや触って見た所じゃアえらく金があるようだから単物でも買うべいか、大きに有難うござります」
 
「何だよそんなにお礼を言われては却って迷惑するよ、ちょいとお前に聞きたいのだが、宅の旦那は、四月頃から笹屋へよくお泊りなすって、お前も一緒に行って遊ぶそうだが、お前は何故私に話をおしでない」
 
「おれ知んねえよ」
 
「おとぼけで無いよ、ちゃんと種が上っているよ」
 
「種が上るか下るかおらア知んねえものを」
 
「アレサ笹屋の女のことサ、ゆうべ宅の旦那が残らず白状してしまったよ、私はお婆さんになって嫉妬をやく訳ではないが旦那の為を思うから言うので、あの通りな粋な人だから、たちまち皆と打ち明けて、私に話して、ゆうべは笑ってしまったのだが、お前が余りしらばっくれて、素通りをするから呼んだのさ、言ったッて宜いじゃアないかえ」
 
「旦那どんが言ったけえ、アレマアわれさえ言わなければ知れる気遣えはねえ、われが心配だというもんだから、お前さまの前へ隠していたんだ、夫婦の情合だから、言ったらお前も余り心持も好くあんめえと思っただが、そうけえ旦那どんが言ったけえ、おれ困ったなア」
 
「旦那は私に言って仕舞ったよ、お前と時々一緒に行くんだろう」
 
 
「あの阿魔女(あまっちょ)は屋敷者だとよ、亭主は源次郎さんとか言って、足へ傷が出来て立つ事が出来ねえで、土手下へ世帯を持っていて、女房は笹屋へ働き女をしていて、亭主を過ごしているのを、旦那が聞いて気の毒に思い、可愛相にと思って、一番始め金え三分くれて、二度目の時二両後から三両それから五両、一ぺんに二十両やった事もあった。ありゃお國さんとか言って二十七だとか言うが、お前さんなんぞより余程綺…ナニお前さまとは違え、屋敷もんだから不意気だが、なかなかよい女だよ」
 
「何かえ、あれは旦那が遊びはじめたのは何時だッけねえ、ゆうべ聞いたがちょいと忘れて仕舞った、お前知っているかえ」
 
「四月の二日からかねえ」
 
「呆れるよ本当にマア四月から今まで私に打ち明けて話しもしないで、呆れかえった人だ、どんなに私が鎌を掛けて宅の人に聞いても何だのかれだのとしらばっくれていて、ありがたいわ、それですっかり分った」
 
「それじゃア旦那は言わねえのかえ」
 
「当前サ、旦那が私に改まってそんな馬鹿な事をいう奴があるものかね」
 
「アレヘエそれじゃアおらが困るべいじゃアねえか、旦那どんがおれにわれえ喋るなよと言うたに、困ったなア」
 
「ナニお前の名前は出さないから心配おしでないよ」
 
「それじゃア私の名前を出しちゃアいかねえよ、大きに有難うござりました」
 
と久藏は立ち帰る。おみねは込みあげる悋気を押え、夜延べをして伴藏の帰りを待っていますと、
 
「文助や開けてくれ」
 
「お帰り遊ばせ」
 
「店の者も早く寝てしまいな、奥ももう寝たかえ」
 
といいながら奥へ通る。
 
「おみね、まだ寝ずか、もう夜なべはよしねえ、身体の毒だ、大概にしておきな、今夜は一杯飲んで、そうして寝よう、何か肴は有り合わせでいいや」
 
「何もないわ」
 
「かくや(ぬか漬け)でもこしらえて来てくんな」
 
「およしよ、お酒を宅で飲んだって旨くもない、肴はなし、酌をする者は私のようなお婆さんだから、どうせ気に入る気遣いはない、それよりは笹屋へ行っておあがりよ」
 
「そりゃア笹屋は料理屋だから何んでもあるが、寝酒を飲むんだからちょっと海苔でも焼いて持って来ねえな」
 
「肴はそれでもいいとした所が、お酌が気に入らないだろうから、笹屋へ行ってお國さんにお酌をしてお貰いよ」
 
「気障(きざ)なことを云うな、お國がどうしたんだ」
 
「おまえは何故そう隠すんだえ、隠さなくってもいいじゃアないかえ、私が十九や二十の事ならばお前の隠すも無理ではないが、こうやってお互いにとる年だから、隠しだてをされては私が誠に心持が悪いからお言いな」
 
「何をよう」
 
「お國さんの事をサ、いい女だとね、年は二十七だそうだが、ちょっと見ると二十二三にしか見えない位ないい娘で、私も惚れぼれするくらいだから、ありゃア惚れてもいいよ」
 
「何だかさっぱり分からねえ、今日昼間馬方の久藏が来やアしなかったか」
 
「いいえ来やアしないよ」
 
「おれもこの節はあれやこれやの用で時々宅を開けるものだから、お前がそう疑ぐるのももっともだが、そんな事を言わないでもいいじゃアねえか」
 
「そりゃア男の働きだから何をしたっていいが、お前のためだから言うのだよ、彼の女の亭主は双刀(りゃんこ)さんで、其の亭主の為にああやっているんだそうだから、亭主に知れると大変だから、私も案じられらアね、お前は四月の二日から彼の女に係り合っていながら、これッぱかりも私に言わないのは酷いよ、そいっておしまいなねえ」
 
「そう知っていちゃア本当に困るなア、あれはおれが悪かった、面目ねえ、堪忍してくれ、おれだってお前に何かついでがあったら言おうと思っていたが、改まってさてこういう色が出来たとも言いにくいものだから、つい黙っていた、おれも随分道楽をした人間だから、そう欺されて金を奪られるような心配はねえ大丈夫だ」
 
「そうサ初めての時三分やって、其の次に二両、それから三両と五両二度にやって、二十両一ぺんにやった事があったねえ」
 
「いろんな事を知っていやアがる、昼間久藏が来たんだろう」
 
「来やしないよ、それじゃアお前こうおしな、向の女も亭主があるのにお前にくっつくくらいだから、惚れているに違いないが、亭主が有っちゃア危険(けんのん)だから、貰い切って妾にしてお前の側へお置きよ、そうして私は別になって、私は関口屋の出店でございますと言って、別に家業をやって見たいから、お前はお國さんと二人で一緒に成ってお稼ぎよ」
 
「気障な事を言わねえがいい、別れるも何もねえじゃアねえか、あの女だって双刀(りゃんこ)の妾、主があるものだから、そう何時までも係り合っている気はねえのだが、ありゃア酔った紛れにツイつまみ食いをしたので、おれがわるかったから堪忍してくれろ、もう二度とあそこへ往きさえしなければ宜いだろう」
 
「行っておやりよ、あの女は亭主があってそんな事をする位だから、お前に惚れているんだからお出でよ」
 
「そんな気障な事ばかり云って仕様がねえな………」
 
「いいから私ゃア別になりましょうよ」
 
と、くどくど言われて伴藏はグッと癪にさわり、
 
「なッてえ、なってぇえ、これ四間間口の表店を張っている荒物屋の旦那だア、一人二人の色が有ったってなんでえ、男の働きで当前だ、若えもんじゃあるめえし、嫉妬を焼くなえ」
 
「それは誠に済みません、悪い事を申しました、四間間口の表店を張った旦那様だから、妾狂いをするのは当前だと、大層もない事をお言いでないよ、今では旦那だと言って威張っているが、去年まではお前は何だい、萩原様の奉公人同様に追い使われ小さな孫店を借りていて、萩原様から時々小遣いを戴いたり、単物の古いのを戴いたりして何うやらこうやらやっていたんじゃアないか、今こうなったからと言ってそれを忘れて済むかえ」
 
「そんな大きな声で言わなくってもいいじゃアねえか、店の者に聞えるといけねえやナ」
 
「言ったっていいよ、四間間口の表店を張っている荒物屋の旦那だから、妾狂いが当前だなんぞと言って、先のことを忘れたかい」
 
「喧しいやい、出て行きやアがれ」
 
「はい、出て行きますとも、出て行きますからお金を百両私におくれ、これだけの身代になったのは誰のお蔭だ、お互にここまでやったのじゃアないか」
 
「恵比須講の商いみたように大した事をいうな、静かにしろ」
 
「言ったっていいよ、本当にこれまで互いに跣足(はだし)になって一生懸命に働いて、萩原様の所にいる時も、私は煮炊き掃除や針仕事をし、お前は使いっ走りをして駈けずりまわり、何うやらこうやらやっていたが、旨い酒も飲めないというから、私が内職をして、たまには買って飲ませたりなんどして、八年以来お前のためには大層苦労をしているんだア、それを何だえ、荒物屋の旦那だとえ、御大層らしい、私ゃア今こうなったッても、昔の事を忘れない為に、今でもこうやって木綿物を着て夜延べをしている位なんだ、それにまだ一昨年の暮だっけ、お前が鮭のせんばいでお酒を飲みてえものだというから……」
 
「静かにしろ、外聞がわりいや、奉公人に聞えてもいけねえ」
 
「いいよ私ゃア言うよ、言いますよ、それから貧乏世帯を張っていた事だから、私も一生懸命に三晩寝ないで夜延べをして、お酒を三合買って、鮭のせんばいで飲ませてやった時お前は嬉しがって、其の時何と言ったい、持つべきものは女房だと言って喜んだ事を忘れたかい」
 
「大きな声をするな、それだからおれはもうあそこへ行かないというに」
 
「大きな声をしたっていいよ、お前はお國さんの処へお出でよ、行ってもいいよ、お前の方で余り大きな事を言うじゃアないか」
 
と尚々大きな声を出すから、伴藏は
 
「オヤこの阿魔」
 
といいながら拳を上げて頭を打つ、打たれておみねは哮(たけ)り立ち、泣き声を振り立て、
 
「何を打ちやアがるんだ、さア百両の金をおくれ、私ゃア出て参りましょう、お前はこの栗橋から出た人だから身寄りもあるだろうが、私は江戸生れで、こんな所へ引っ張られて来て、身寄り親戚がないと思っていい気になって、私が年を取ったもんだから女狂いなんぞはじめ、今になって見放されては喰方に困るから、これだけ金をおくれ、出て往きますから」
 
「出て往くなら出て往くがいいが、何も貴様に百両の金を遣るという因縁がねいやア」
 
「大層なことをお言いでないよ、私が考え付いた事で、幽霊から百両の金を貰ったのじゃないか」
 
「こらこら静かにしねえ」
 
「言ったっていいよ、それから其の金で取りついてこう成ったのじゃアないかそればかりじゃアねえ、萩原様を殺して海音如来のお像を盗み取って、清水の花壇の中へ埋めて置いたじゃアないか」
 
「静かにしねえ、本当に気違えだなア、人の耳へでも入ったらどうする」
 
「私ゃア縛られて首を切られてもいいよ、そうするとお前も其の儘じゃアおかないよ、百両おくれ、私ゃア別に成りましょう」
 
「仕様が無えな、おれが悪かった、堪忍してくれ、そんならこれ迄お前と一緒になってはいたが、おれに愛想が尽きたならこの宅はすっかりとお前にやってしまわア、と言うと、なにかおれがあの女でも一緒に連れて何処かへ逃げでもすると思うだろうが、段々様子を聞けば、あの女は何か筋の悪い女だそうだから、もういい加減に切りあげる積り、それともここの家を二百両にでも三百両にでもたたき売って仕舞って、お前を一緒に連れて越後の新潟あたりへ身を隠し、もう一と花咲かせでっかくやりてえと思うんだが、お前もう一度跣足(はだし)になって苦労をしてくれる気はねえか」
 
「私だって無理に別れたいと言う訳でもなんでもありませんが、今に成ってお前が私を邪慳(じゃけん)にするものだから、そうは言ったものの、八年以来連添っていたものだから、お前が見捨てないと言う事なら、何処までも一緒に行こうじゃアないか」
 
「そんなら何も腹を立てる事はねえのだ、これから中直りに一杯飲んで、両人で一緒に寝よう」
 
と言いながらおみねの手首を取って引寄せる。
 
「およしよ、いやだよウ」
 
川柳に「女房の角をチョメチョメでたたき折り」で忽ち中も直りました。それから翌日は伴藏がおみねに好きな衣類を買って遣るからというので、幸手へまいり、呉服屋で反物を買い、ここの料理屋でも一杯やって両人連れ立ち、もう帰ろうと幸手を出て土手へさしかかると、伴藏が土手の下へ降りに掛るから、
 
「旦那、どこへ行くの」
 
「実は江戸へ仕入に行った時に、あの海音如来の金無垢のお守を持って来て、此処へ埋めて置いたのだから、掘り出そうと思って来たんだ」
 
「あらまアお前はそれまで隠して私に言わないのだよ、そんなら早く人の目つまにかからないうちに掘ってお仕舞いよ」
 
「これは掘り出して明日古河の旦那に売るんだ、何だか雨がポツポツ降って来たようだな、向こうの渡し口の所からなんだか人が二人ばかり段々こっちの方へ来るような塩梅だから、見ていてくんねえ」
 
「誰も来やアしないよ、どこへさ」
 
「向こうの方へ気を付けろ」
 
という。向こうは往来が三叉になっておりまして、側(かた)えは新利根大利根の流にて、折しも空はどんよりと雨もよう、幽かに見ゆる田舎家の盆灯籠の火もはや消えなんとし、往来も途絶えて物凄く、おみねは何心なく向こうの方へ目をつけている油断を窺い、伴藏は腰に差したる胴金造りの脇差を音のせぬように引っこ抜き、物をも言わず背後から一生懸命力を入れて、おみねの肩先目がけて切り込めば、ギャッとおみねは倒れながら伴藏の裾にしがみ付き、
 
「それじゃアお前は私を殺して、お國を女房に持つ気だね」
 
「知れた事よ、惚れた女を女房に持つのだ、観念しろ」
 
と言いさま、刀を逆手に持ち直し、貝殻骨のあたりから乳の下へかけ、したたかに突き込んだれば、おみねは七顛八倒の苦しみをなし、おのれ其の儘にして置こうかと、又も裾へしがみつく。伴藏は乗し掛かってとどめを刺したから、おみねは息が絶えましたが、どうしてもしがみついた手を放しませんから、脇差にて一本一本指を切り落し、ようやく刀をぬぐい、鞘に納め、跡をも見ず飛ぶが如くに我家に立ち帰り、あわただしく拳をあげて門の戸を打ち叩き、
 
「文助、ちょっとここを開けてくれ」
 
「旦那でございますか、へいお帰り遊ばせ」
 
と表の戸を開く。伴藏ズッと中に入り、
 
「文助や、大変だ、今土手で五人の追い剥ぎが出ておれの胸ぐらを掴まえたのを、払ってようやく逃げて来たが、おみねは土手下へ降りたから、悪くすると怪我をしたかも知れない、どうも案じられる、どうか皆一緒に行って見てくれ」
 
というので奉公人一同大いに驚き、手に手に半棒つっかえ棒なぞ携え、伴藏を先に立て土手下へ来て見れば、無慙(むざん)やおみねは目も当てられぬように切り殺されていたから、伴藏は空涙を流しながら、
 
「ああ可愛相な事をした、今一ト足早かったら、こんな非業な死はとらせまいものを」
 
と嘘を遣い、人を走せて其の筋へ届け、御検屍もすんで家に引き取り、何事もなく村方へ野辺の送りをしてしまいましたが、伴藏が殺したと気が付くものは有りません。段々日数も立って七日目の事ゆえ、伴藏は寺参りをして帰って来ると、召使のおますという三十一歳になる女中が俄にがたがたと震えはじめて、ウンとうなって倒れ、何かうわ言を言って困ると番頭がいうから、伴藏が女の寝ている所へ来て、
 
「お前どんな塩梅だ」
 
「伴藏さん貝殻骨から乳の下へ掛けてズブズブと突きとおされた時の痛かったこと」
 
「旦那様変な事を言いやす」
 
「おます、気をたしかにしろ、風でも引いて熱でも出たのだろうから、蒲団を沢山かけて寝かしてしまえ」
 
と夜着を掛けるとおますは重い夜着や掻巻(かいまき)を一度にはね退けて、蒲団の上にちょんと坐り、じいッと伴藏の顔を睨むから、
 
「変な塩梅ですな」
 
「おます、しっかりしろ、狐にでも憑かれたのじゃアないか」
 
「伴藏さん、こんな苦しい事はありません、貝殻骨のところから乳のところまで脇差の先が出るほどまで、ズブズブと突かれた時の苦しさは、何ともかんともいいようがありません」
 
と言われて伴藏も薄気味悪くなり、
 
「何を言うのだ、気でも違いはしないか」
 
「お互いにこうして八年以来貧乏世帯を張り、やッとの思いで今はこれ迄になったのを、お前は私を殺してお國を女房にしようとは、マア余り酷いじゃアないか」
 
「これは変な塩梅だ」
 
と言うものの、腹の内では大いに驚き、早く療治をして治したいと思う所へ、この節幸手に江戸から来ている名人の医者があるというから、それを呼ぼうと、人を走せて呼びに遣りました。