まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談牡丹灯篭 八】 哀しき百鬼夜行 之編

 

【前回のあらすじ】

飯島家内を取り仕切る妾のお國と隣の家の次男源次郎は、主人平左衛門から賜る多大の恩を仇で返す、邪鬼のごとく企みを練っていた。只一人この企みを知る草履取の考助は、忠心まっすぐ陽気を光り、平左衛門の命を守ることのみに念を入れていた。そんな折り、考助に養子入りの話が舞い込み、平左衛門はこの話を引き受ける。飯島家に渦巻く陰気の渦が多くの人々を巻き込み、陰気陽気がせめぎ合う。一方、平左衛門がお嬢お露と萩原新三郎の仲睦まじき様子をのぞき見た、孫店(まごたな)の伴蔵は、ギャアッと肝を冷やして家を飛び出した。

 

 

 

 萩原の家で女の声がするから、伴蔵がのぞいてびっくりし、ぞっと足元から総毛立ちまして、物をも云わず勇斎の所へ駆け込もうとしましたが、怖いから先ず自分の家へ帰り、小さくなって寝てしまい、夜の明けるのを待ちかねて白翁堂の宅へやって参り、

 
「先生、先生」
 
「誰だのウ」
 
「伴蔵でごぜえやす」
 
「なんだのウ」
 
「先生ちょっと、ここを開けて下さい」
 
「大層早く起きたのウ、お前には珍らしい早起だ、待て待て今開けてやる」
 
とかきがねを外して開けてやる。
 
「大層真っ暗ですねえ」
 
「まだ夜が明けきらねえからだ、それにおれは行灯を消して寝るからな」
 
「先生、静かにおしなせえ」
 
「手前が慌てているのだ、なんだ何しに来た」
 
「先生、萩原さまが大変ですよ」
 
「どうかしたか」
 
「どうかしたかの何のという騒ぎじゃございやせん、私も先生もこうやって萩原様の地面内に孫店(まごたな)を借りて、お互いに住まっており、その内でも私は尚、萩原様の家来同様に畑をうなったり庭を掃いたり、使いっ走りもして、カカァはすすぎ洗濯をしておるから、店賃もとらずにたまには小遣を貰ったり、衣物の古いのを貰ったりする恩のある其大切な萩原様が大変な訳だ、毎晩女が泊りに来ます」
 
「若くって独身者でいるから、そりゃあ女も泊りに来るだろう、しかしその女は人の悪いようなものではないか」
 
「なに、そんな訳ではありません、私が今日、用があって他へ行って、夜中に帰ってくると、萩原様の家で女の声がするからちょっと覗きました」
 
「わるい事をするな」
 
「するとね、蚊帳がこう吊ってあって、そん中に萩原様と綺麗な女がいて、その女が見捨ててくださるなというと、生涯見捨てはしない、たとえ親に勘当されても引き取って女房にするから決して心配するなと萩原様がいうと、女が私は親に殺されてもお前さんの側は離れませんと、たがいに話しをしていると」
 
「いつまでもそんな所を見ているなよ」
 
「ところがねぇ、その女がただの女じゃアないんでゲス」
 
「悪党か」
 
「なに、そんなんじゃアない、骨と皮ばかりのやせた女で、髪は島田に結って鬢(びん)の毛が顔にさがり、真っ青な顔で、裾がなくって腰から上ばかりで、骨と皮ばかりの手で萩原様の首ったまへかじりつくと、萩原様は嬉しそうな顔をしていると其のそばに丸髷(まるまげ)の女がいて、こいつもやせて骨と皮ばかりで、ズッと立上ってこっちへ来ると、やっぱり裾が見えないで、腰から上ばかり、まるで絵に描いた幽霊の通り、それを私が見たから怖くて歯の根も合わず、家へ逃げ帰って今まで黙っていたんだが、どういう訳で萩原様があんな幽霊に見込まれたんだか、さっぱり訳が分りやせん」
 
「伴蔵本当か」
 
「ほんとうか嘘かといって馬鹿バカしい、なんで嘘を言いますものか、嘘だと思うならお前さん今夜行って御覧なせえ」
 
「おれアいやだ、ハテナ昔から幽霊と逢い引きするなぞという事はない事だが、もっとも支那の小説にそういう事があるけれども、そんな事はあるべきものではない、伴蔵嘘ではないかぇ」
 
「だから嘘なら行って御覧なせえ」
 
「もう夜も明けたから幽霊なら居る気遣いはないナ」
 
「そんならなぁ先生、幽霊と一緒に寝れば萩原様は死にましょうぇ」
 
「それは必ず死ぬ、人は生きている内は陽気盛んにして正しく清く、死ねば陰気盛んにして邪に穢れるものだ、それゆえ幽霊と共に偕老同穴(かいろうどうけつ)の契を結べば、たとえ百歳の長寿を保つ命もそのために精血を減らし、必ず死ぬるものだ」
 
「先生、人の死ぬ前には死相が出ると聞いていますが、お前さんちょっと行って萩原様を見たら知れましょう」
 
「手前も萩原は恩人だろう、おれも新三郎の親萩原新左衛門殿の代から懇意にして、親御の死ぬ時に新三郎殿の事をも頼まれたから心配しなければならない、この事は決して世間の人に言うなよ」
 
「えぇえぇ、カカァにも言わないくらいな訳ですから、何で世間へ言いましょうナ」
 
「きっと言うなよ、黙っておれ」
 
その内に夜もすっかり明け放れましたから、親切な白翁堂は藜(あかざ)の杖をついて、伴蔵と一緒にポクポク出かけて、萩原の内へまいり、
 
「萩原氏やい、萩原氏やい」
 
「どなた様でございますかぃ」
 
「隣の白翁堂です」
 
「お早い事で、年寄は早起きだ」
 
なぞと言いながら戸を引き開け
 
「お早ういらっしゃいました、何か御用ですかぃ」
 
「貴方の人相を見ようと思って来ました」
 
「朝っぱらから何でございます、一つ地面内におりますから何時でも見られましょうに
 
「そうでない、お日さまのお上りになろうとする所で見るのがよろしいので、貴方とは親御の時分から別懇にした事だから」
 
と懐より天眼鏡を取出して、萩原を見て。
 
「なんですねえ」
 
「萩原氏、貴方は二十日を待たずして必ず死ぬ相がありますよ」
 
「へぇ私が死にますか」
 
「必ず死ぬ、なかなか不思議な事もあるもので、どうも仕方がない」
 
「へえそれは困った事で、それだが先生、人の死ぬ時はその前に死相の出るという事はかねて承わっており、ことに貴方は人相見の名人と聞いておりますし、又昔から陰徳を施して寿命を全うした話も聞いていますが、先生どうか死なない工夫はありますまいか」
 
「その工夫は別にないが、毎晩貴方の所へ来る女を遠ざけるより、ほかに仕方がありません」
 
「いいえ、女なんぞは来やアしません」
 
「そりゃアいけない、昨夜覗いて見たものがあるのだが、あれは一体何者です」
 
「あなた、あれは御心配をなさいまする者ではございません」
 
「これ程心配になる者はありません」
 
「ナニあれは牛込の飯島という旗本の娘で、訳あってこの節は谷中の三崎村へ、米という女中と二人で暮しているも、皆な私ゆえに苦労するので、死んだと思っていたのにこの間図らず出逢い、その後は度々逢い引きするので、私はあれをゆくゆくは女房にもらうつもりでございます」
 
「飛んでもない事をいう、毎晩来る女は幽霊だがお前知らないのだ、死んだと思ったならなおさら幽霊に違いない、そのマア女が糸のようにやせた骨と皮ばかりの手で、お前さんの首ッたまへかじり付くそうだ、そうしてお前さんはその三崎村にいる女の家へ行った事があるか」

 

といわれて行った事はない、逢い引きしたのは今晩で七日目ですが。というものの、白翁堂の話に萩原も少し気味が悪くなったゆえ顔色を変え。
 
「先生、そんならこれから三崎へ行って調べて来ましょう」
 
と家を立ち出で、三崎へ参りて、女暮しでこういう者はないかと段々尋ねましたが、一向に知れませんから、尋ねあぐんで帰りに、新幡随院を通り抜けようとすると、お堂の後に新墓がありまして、それに大きな角塔婆があって、その前に牡丹の花の綺麗な灯籠が雨ざらしに成ってありまして、此の灯籠は毎晩お米がつけて来た灯籠に違いないから、新三郎はいよいよおかしくなり、お寺の台所へまわり、
 
「少々伺いとう存じます、あすこの御堂の後に新しい牡丹の花の灯籠を手向けてあるのは、あれはどなたのお墓でありますか」
 
「あれは牛込の旗本飯島平左衞門様の娘で、先達て亡くなりまして、法住寺へ葬むるはずのところ、当院は末寺じゃから此方へ葬むったので」
 
「あの側に並べてある墓は」
 
「あれはその娘のお附きの女中で、これも引続き看病疲れで死去いたしたから、一緒に葬られたので」
 
「そうですか、それでは全く幽霊です」
 
「なにを」
 
「なんでもよろしゅうございます、左様なら」
 
と云いながらびっくりして家に駈け戻り、この趣を白翁堂に話すと、
 
「それはまア妙な訳で、驚いた事だ、なんたる因果な事か、惚れられるものに事をかえて幽霊に惚れられるとは」
 
「どうもなさけない訳でございます、今晩もまたまいりましょうか」
 
「それは分らねえな、約束でもしたかえ」
 
「へえ、あしたの晩きっと来ると、約束をしましたから、今晩どうか先生泊って下せぇや」
 
「まっぴら御免だ」
 
「占いでどうか来ないようになりますまいか」
 
「占いでは幽霊の所置は出来ないが、あの新幡随院の和尚はなかなかにすごい人で、念仏修業の行者で私も懇意だから手紙をつけるゆえ、和尚の所へ行って頼んでごらん」
 
と手紙を書いて萩原に渡す。萩原はその手紙を持ってやってまいり、
 
「どうぞこの書面を良石和尚様へ上げて下さいまし」
 
と、差出すと、良石和尚は白翁堂とは別ならぬ間柄ゆえ、手紙を見てすぐに萩原を居間へ通せば、和尚は木綿の座蒲団に白衣を着て、その上に茶色の衣を着て、当年五十一歳の名僧、寂寞(じゃくまく)としてちゃんと坐り、なかなかに道徳いや高く、念仏三昧という有様で、新三郎は自然に頭が下る。
 
「はい、お前が萩原新三郎さんかぇ」
 
「へえ粗忽の浪士萩原新三郎と申します、白翁堂の書面の通り、何の因果か死霊に悩まされ難渋を致しますが、貴僧の御法を以て死霊を退散するようにお願い申します」
 
「こっちへ来なさい、お前に死相が出たという書面だが、見てやるからこっちへ来なさい、なるほど死ぬなア近々に死ぬ」
 
「どうかして死なないように願います」
 
「お前さんの因縁は深しい訳のある因縁じゃが、それをいうても本当にはせまいが、何しろ悔しくて祟る幽霊ではなく、ただ恋しい恋しいと思う幽霊で、三世も四世も前から、ある女がお前を思うて生きかわり死にかわり、かたちはいろいろに変えて、付きまとうて居るゆえ、逃れ難い悪因縁があり、どうしても逃れられないが、死霊除けのために海音如来という大切の守りを貸してやる。
 
その内にせっかく施餓鬼(せがき)をしてやろうが、そのお守は金無垢じゃによって、人に見せると盗まれるよ、丈は四寸二分で目方も余程あるから、欲の深い奴は潰しにしても余程の値だから盗むかも知れない、厨子(ずし)ごと貸すにより胴巻に入れて置くか、身体に背負うておきな、それから又ここにある雨宝陀羅尼経(うほうだらにぎょう)というお経をやるから読誦しなさい、此の経は宝を雨ふらすと云うお経で、これを読誦すれば宝が雨のように降るので、欲張ったようだが決してそうじゃない。
 
これを信心すれば海の音という如来さまが降って来るというのじゃ、この経は妙月長者(みょうげつちょうじゃ)という人が、貧乏人に金を施して悪い病の流行る時に救ってやりたいと思ったが、宝がないから仏の力を以て金を貸してくれろと言ったところが、釋迦(しゃか)がそれは誠に心がけの尊い事じゃと言って貸したのがすなわちこのお経じゃ。
 
又御札をやるから方々へ貼って置いて、幽霊の入り所のないようにして、そしてこのお経を読みなさい」
 
と親切の言葉に萩原はありがたく礼を述べて立ち帰り、白翁堂に其の事を話し、それから白翁堂も手伝って其の御札を家の四方八方へ貼り、萩原は蚊帳を吊って其の中へ入り、彼の陀羅尼経を読もうとしたが中々読めない。
 
曩謨婆誐嚩帝嚩囉駄囉、婆誐囉捏具灑耶、怛陀孽多野、怛儞也陀唵素噌閉、跋捺囉嚩底。
(のうぼばぎゃばていばざらだら、さぎゃらにりぐしゃや、たたぎゃ、たやたにやたおんそろべい、ばんだらばち。)
 
何だか外国人のうわ言の様で訳がわからない。
 
そのうち上野の夜の八ツの鐘がボーンと忍ヶ岡の池に響き、向ヶ岡の清水の流れる音がそよそよと聞え、山に当たる秋風の音ばかりで、陰々寂寞(いんいんせきばく)世間がしんとすると、いつもに変わらず根津の清水の下から駒下駄の音高くカランコロン、カランコロンとするから、新三郎は心のうちで、ソラ来たと小さくかたまり、額からあごへかけてあぶら汗を流し、一生懸命一心不乱に雨宝陀羅尼経を読誦していると、駒下駄の音が生垣の元でぱったり止みましたから、新三郎はよせばいいに念仏を唱えながら蚊帳を出て、そっと戸の節穴から覗いて見ると、いつもの通り牡丹の花の灯籠を下げて米が先へ立ち、後には髪を文金の高髷に結い上げ、秋草色染の振袖に燃えるような緋ぢりめんの長襦袢、其の綺麗なこというばかりもなく、綺麗ほどなお怖く、これが幽霊かと思えば、萩原はこの世からなる焦熱地獄に落ちたる苦しみです。
 

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萩原の家は四方八方にお札が貼ってあるので、二人の幽霊が憶して後へ下がり、
 
「嬢さまとても入れません、萩原さんはお心変りが遊ばしまして、昨晩のお言葉と違い、貴方を入れないように戸締りがつきましたから、とても入ることは出来ませんからお諦め遊ばしませ、心の変った男はとてもいれる気遣いはありません、心の腐った男はお諦めあそばせ」
 
と慰むれば、
 
「あれほど迄にお約束をしたのに、今夜に限り戸締りをするのは、男の心と秋の空、変わり果てたる萩原様のお心が情ない、米や、どうぞ萩原様に逢わせておくれ、逢わせてくれなければ私は帰らないよ」
 
と振袖を顔に当て、さめざめと泣く様子は、美しくもあり又ものすごくもなるから、新三郎は何も云わず、ただ南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
 
「お嬢様、あなたがこれほどまでに慕うのに、萩原様にゃアあんまりなお方ではございませんか、もしや裏口から入れないものでもありますまい、いらっしゃいまし」
 
と手を取って裏口へ回ったが、やはり入られません。
 
 
 

 

ドス黒いはかりごと 之編につづく