まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談牡丹灯篭 六】 黄泉比良坂(よもつひらさか)を舞う淡い風 之編

 

【前回までのあらすじ】

満ちれば欠ける、諸行無常のこの人間世界。飯島平左衛門の名門にも、この風の勢いが増し始めた。奥方が死んでから家内を取り仕切る妾のお國が、この風にさらされて人でなしの化けの皮をさらけ出す。隣の家の次男源次郎と密通し、平左衛門を亡き者とする策を閨で練る。この囁きをたまたま耳に入れた奉公人考助は、二人を問い質すが、その場では源次郎に言い負かされて、かつ打ちのめされ、屈辱のなかあるおもゐを胸に秘めるに至る。

 

 

萩原新三郎は、独りクヨクヨとして、飯島のお嬢のことばかり思い詰めていますところへ、折しも六月二十三日のことにて、山本志丈が訪ねて参りました。

 

「その後は存外の御無沙汰を致しました。すぐに伺うべきでございましたが、いかにも麻布辺からのことゆえ、おっくうでもありかつ追々暑くなって来たゆえ、藪医でも相応に病人を抱え、何やかんやで以外の御無沙汰。あなたはどうもお顔の色がよくないぇ、なになにお加減が悪いと、それはそれは」

 

「何分にも加減が悪く、四月の中旬ごろから寝て居ります。飯もろくろく食べれない位で困ります。お前さんもあれぎり来ないのはあんまりひどいじゃぁありませんか、私も飯島さんのところへ、ちょっと菓子折りの一つも持ってお礼に行きたいと思っているのに、君が来ないから私は行きそこなっているんですょ」

 

「さて、あの飯島のお嬢も、可愛そうに亡くなりましたよ」

 

「えぇぇ、お嬢が亡くなりましたとぇ」

 

「あの時僕が君を連れて行ったのが誤りで、向こうのお嬢がぞっこん君に惚れ込んだ様子だ。あの時何か小座敷で訳があったに違いないが、深いことでもなかろうが、もしそのことが向こうの親父様にでも知れた日にゃあ、志丈が手引きしただと憎い奴め、斬って仕舞う、坊主首を打ち落とす、といわれては僕も困るから、実はあれぎり参りませんだところ、ふとこの前飯島のお屋敷へ参り、平左衛門様にお目にかかると、娘はみまかり、女中のお米も引き続き亡くなったと申されましたから、段々様子を聞きますと、全く君に焦がれ死にをしたという事です。本当に君は罪つくりですよ。男もあんまり美しく生れると罪だねぇ、死んだものは仕方ありませんからお念仏でも唱えて上げなさい。さいなら」

 

「あれさ丈志さん、あぁ行ってしまった。お嬢さんが死んだなら寺ぐらいは教えてくれればいいに、聞こうと思っているうちに行ってしまった。いけないねぇ、しかしお嬢は全くおれに惚れ込んでおれを思って死んだのか」

 

と思うとカッとのぼせて来て、根が人がよいから猶猶気が鬱々して病気が重くなり、それからはお嬢の俗名を書いて仏壇に供え、毎日毎日念仏三昧で暮らしましたが、今日しも盆の十三日なれば精霊棚の支度などを致してしまい、縁側へちょっと敷物を敷き、蚊遣りをくゆらせて、新三郎は白地の浴衣を着、深草形の団扇を片手に蚊を払いながら、冴えわたる十三日の月を眺めていますと、カランコン、カランコンと珍しく下駄の音をさせて生垣の外を通る者があるから、ふと見れば、先へ行ったのは年頃三十くらいの大丸髷の人柄のよい年増にて、そのころ流行ったちりめん細工の牡丹芍薬などの花のついた灯篭をさげ、その後から十七八とも思われる娘が、髪を文金の高髷に結い、着物は秋草色染の振り袖に、緋ちりめんの長襦袢に繻子の帯をしどけなく締め、上方風の塗柄の団扇を持って、ぱたりぱたりと通る姿を、月影に透かし見るに、どうも飯島のお嬢のようだから、新三郎は伸び上がり、首を差し延べて向こうを見ると、向こうの女も立ち止まり、

 

「まぁ奇遇じゃアございませんか、萩原さま」

 

と言われて新三郎もそれと気づき、

 

「おや、お米さん、まアどうして」

 

「誠に思いがけない、貴方さまはお亡くなり遊ばしたということでしたに」

 

「へぇ、何ですかい、あなたの方こそお亡くなり遊ばしたと承りましたが」

 

「いやですよ、縁起の悪いことばかりおっしゃって。誰が左様なことを申しましたぇ」

 

「まアおはいりなさい。そこの折戸のところを開けて」

 

と言うから両人内へ入れば、

 

「誠に御無沙汰を致しました。先日山本志丈が来まして、あなた方御両人ともお亡くなりなすったと申しましたョ」

 

「おやまぁ、あいつが私の方へ来ても、貴方がお亡くなり遊ばしたといいましたが、私の考えでは、貴方様はお人が良いものだから、うまくだまされたのですょ。

お嬢様はお屋敷にいらっしゃっても貴方のことばかり思っているものだから、つい口に出てうっかりと、貴方のことをおっしゃるのが、ちらちらと御親父(ごしんぷ)様のお耳にも入り、また内にはお國という悪い妾がいるものですから邪魔をいれて、志丈に死んだと言わせ、互いに諦めさせようと、國の畜生がした事に違いはありませんよ。

貴方がお亡くなり遊ばしたということをお聞き遊ばして、お嬢様はおいとしいこと、剃髪して尼になってしまうとおっしゃいますゆえ、そんな事を成すっては大変ですから、心でさえ尼に成った気でいらっしゃればよろしいと申し上げておきましたが、それでは志丈にそんなことを言わせて、互いに諦めさせておいて、お嬢様には婿をとれと御親父様からおっしゃるのを、お嬢様は、婿はとりませんからどうかお家には夫婦養子をしてくださいまし、そして他へ縁付くのも嫌だと強情をお張り遊ばしたものですから、お家内が大層にもめて、親御様がそんなら約束でもした男があってそんな事を言うのだろうと、怒っても、一人のお嬢様で斬ることもできませんから、太いやつだ、そういう訳なら柳島にもおくことが出来ない、放逐するというので、ただいまでは私とお嬢様と両人お屋敷を出まして、谷中の三崎へ参り、だいなしの家に入っておりまして、私が手内職などをして、どうかこうか暮らしをつけていますが、お嬢様は毎日毎日お念仏三昧でいらっしゃいますよ。

今日は盆の事ですから、ほうぼうお参りにまいりまして、遅く帰るところでございます」

 

「なんの事です。そうでございましたか。私も嘘でも何でもありません。この通りお嬢様の俗名を書いて毎日念仏しておりますので」

 

「それほどまでに思って下さるは誠にありがとうございます。本当にお嬢様はたとえ勘当になっても、斬られてもいいからおなたのお情けを受けたいとおっしゃっていらっしゃるのですよ。ですからお嬢様は今晩こちらへお泊め申してもよろしゅうございますかぇ」

 

「私の孫店(まごたな)に住んでいる、白翁堂勇斎という人相見が、万事私の世話をしてやかましい奴だから、それに知れないように裏からそっとお入り遊ばせ」

 

という言葉に従い、両人共にその晩泊り、夜の明けぬ内に帰り、これより雨の夜も風の夜も毎晩来ては夜の明けぬ内に帰る事、十三日より十九日まで七日の間重なりましたから、 両人の仲は漆の如く、にかわの如くになりまして、新三郎もうつつを抜かしておりましたが、ここに萩原の孫店に住む伴蔵というものが、聞いていると、毎晩萩原の家にて、夜中女の話し声がするゆえ、伴蔵は変に思いまして、旦那は人が良いものだから悪い女に掛かり、だまされては困ると、そっと抜け出して、萩原の家の戸のそばに行って家の様子を見ると、座敷に蚊帳を吊り、床の上に比翼ゴザを敷き、新三郎とお露と並んで座っているさまは誠の夫婦のようで、今は恥ずかしいのも何も打ち忘れてお互いに馴れ馴れしく、

 

「アノ新三郎さま、私がもし親に勘当されましたらば、米と両人をお家へおいて下さいますかぇ」

 

「ひきとりますとも。あなたが勘当されれば私は仕合せですが、一人娘だから御勘当される気遣いはありませんョ、かえって後で生木を割かれるようなことがなければいいと思って、私は苦労でなりません」

 

「私は貴方よりほかに夫はないと存じておりますから、たといこの事がお父(とと)様に知れて手打ちに成りましても、貴方の事は思い切れません。お見捨てなさるとききませんぞよ」

 

と膝にもたれ掛かりて睦ましく話をするは、よっぽど惚れている様子だから、

 

「これは妙な女だ。あそばせ言葉で、どんな女かよく見てやろうぞ」

 

と差し覗いてハッとばかりに驚き、

 

「化け物だぁ、化け物だ」

 

と言いながら真っ青になって夢中で逃げ出し、白翁堂勇斎のところへ飛び込もうと思って駆け出した。

 

 

 

妖気の中に差す一条の陽気 之編につづく