まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談牡丹灯篭 五】 邪(よこしま)なる風 之編

【前回のあらすじ】

飯島平左衛門はひょんなことから、奉公人考助が昔自分が斬り捨てた浪人の息子であること、その息子が親父の仇を討つことを胸に秘めていることを知るが、考助の人柄に引かれて目にかけていた。一方、娘のお露は、浪人萩原新三郎を見初め 、お互いが思い詰めていた。そんな折り、新三郎がお露逢いたさに、家の近くの川に釣りに行き、その舟の上で不可解な夢を見る。陰気の風が吹き始めるとこれが渦を巻き、人を地獄の最中へと誘うがごとし。あぁ人間世界は、あな恐ろしや。

 

 

話替って、飯島平左衛門は凛々しい知恵者にて諸芸に達し、とりわけ剣術は真影流の極意を極めました名人にて、お年四十くらい、人並みに優れたお方なれども、妾の國というが心得違いの奴にて、内々隣の家の次男源次郎を引き込み楽しんで居りました。

 

お國は人目をはばかり、庭口の開き戸を開け置き、ここより源次郎を忍ばせる趣向で、殿様のお泊り番の時にはここから奴が忍んで来るのだが、奥向きの切り盛りは万事お國がする故、誰もこの様子を知る者はありません。今日しも、七月二十一日殿様はお泊り番の事ゆえ、源次郎を忍ばせようとの下心で、庭下駄をかの開き戸の側に並べ置き、

 

「今日は暑くってたまらないから、風を入れないでは寝られない。雨戸を少しすかして置いておくんなさい」

 

と言いつけて置きました。さて、源次郎は皆寝静まったる様子をうかがい、そっと裸足で庭石をつたわり、雨戸の開いたところから這い上がり、お国の寝間に忍びよれば、

 

「源次郎さま、大層に遅いじゃアありませんか。私はどうなすったかと思いましたョ、あんまりですねぇ」

 

「私も早く来たいのだけれども、兄上もお姉さまもお母様もお休みにならず、奉公人までが皆暑い暑いと渋団扇を持って、あおぎ立てて涼んでいるから仕方ない。今まで我慢して、ようようの思いで忍びこんで来たのだが、人に知られやしないかねぇ」

 

「大丈夫知れっこありませんョ、殿様があなたを御贔屓に遊ばすから知れアしませんよ。あなたの御勘当が許されてからこの家へ度々お出でになれるように致しましたのも、皆私がそばで殿様へよく取りなし、あなたをよく思わせたのですよ。殿様はなかなか凛々しいお方ですから、あなたと私との間が少しでも変な様子があれば気取られますのだが、ちっとも知られやしません」

 

「ほんに伯父様は一通りならざる知恵者だから、私は本当に怖いよ。私も放蕩を働き、大塚の親類へ預けられていたのを、こちらの伯父さんのお蔭で家へ帰れるようになった。その恩人の寵愛なさるお前とこうやっているのが知れては実に済まないよ」

 

「すぐそういうことをおっしゃる。あなたは本当に情がありませんよ。私はあなたの為なら死んでも決して厭いませんよ、何ですねェ、そんな事ばかり仰って、私のそばに来ない算段ばかり遊ばすのですものを。アノ源さま、こちらの家ではこの間お嬢様がお隠れになって、今は他に御家督がありませんから、是非ともご夫婦養子をせねばなりません。これについてはお隣の源次郎様をと内々に殿様にお勧め申したら、殿様が源次郎はまだ若くッて了見が定まらんからいかんと仰いましたよ」

 

「そうだろう、恩人の愛妾の所へ忍び来るような訳だから、どうせ了見が定まりゃあしないワ」

 

「私は殿様の側にいつでも附いていて、殿様が長生きなすって、あなたは他へ御養子にでもいらっしやれば、お目にかかれる事は出来ません。その上綺麗な奥様でもお持ちになろうものなら、國のくの字もおっしゃる気遣いはありませんよ、それですから、貴方が本当に信実がおあり遊ばすならば、私の願いを叶えて、うちの殿様を殺して下さいましな」

 

「情があるから出来ないよ。私には恩人の伯父さんですもの、どうしてそんな事が出来るもんかね」

 

「こうなった上からは、もう恩も義理もありはしませんやね」

 

「それでも伯父さんは牛込名代の真影流の達人だから、手前如きものが二十人ぐらいかかっても敵う訳のものではないよ、その上私は剣術が極下手だもの」

 

「そりゃアあなたはお剣術はお下手さね」

 

「そんなにオヘータと力を入れて言うには及ばない、それだからどうもいけないよ」

 

「貴方は剣術はお下手だが、よく殿様と釣りにいらっしゃいましょう、アノ来月四日はたしか中川へ釣りにいらっしやるお約束がありましょう。その時殿様を舟から川の中へ突き落して殺しておしまいなさいよ」

 

「なるほどお伯父さんは水練はご存じないが、やはり船頭がいるからいけないよ」

 

「船頭を斬っておしまい遊ばせな、なんぼ貴方が剣術がお下手でも、船頭くらいは斬れましょうょ」

 

「それは斬れますとも」

 

「殿様が落ちたというので、貴方は立腹して、早く探させてはいけませんよ、いろいろ理屈を二時ばかりならべて、それから船頭に探させ、死骸を舟に揚げてから不届きな奴だと言って、船頭を斬っておしまいなさい。それから帰りみちに船宿に寄って、船頭が粗相で殿様を川へ落とし、殿様が死去されたれば、手前は言い訳がないから船頭はその場で手打ちに致したが、船頭ばかりでは相すまんぞ、亭主その方も斬ってしまうのだが、内分で済ませて遣わすにより、このことは決して口外致すなとおっしゃれば、船宿の亭主も自分の命にかかわることですから口外する気遣いはありませんや。

それから、貴方はお屋敷へお帰りになって、知らん顔でいて、お兄様に隣家では家督がないから早く養子にやってくれやってくれとおっしゃれば、ここは別に御親類もないからお頭に話を致し、貴方を御養子のお届を致しますまでは、殿様は御病気の届を致して置いて、貴方の家督相続が済みましてから、殿様の死去のお届を致せば、貴方はここの御養子様。そうすると私はいつまでも貴方のそぼにへばりついて動きません。こちらの家は貴方のお家よりも、余程大尽ですから、召し物でもお腰の物でも結構なのが沢山ありますよ」

 

「これはうまい趣向だな、考えたね」

 

「私三日三晩寝ずに考えましたよ」

 

「これは至極よろしい、うんよろしい」

 

と源次郎は欲張りと助べえとが混ざり重なり乗り気になって、両人がひそひそ語り合っているを、忠義無類の考助という草履取が、御門の男部屋に紙帳を吊って寝てみたが、何分にも暑くって寝付かれないものだから、渋団扇を持って、

 

「どうも今年のように暑いことはありゃアしない」

 

といいながら、お庭をぶらぶら歩いていると、板塀の三尺の開きがバタリバタリと風にあおられているのを見て、

 

「締りをしておいたのにどうして開いたのだろう。おや庭下駄が並べてあるぞ。誰か来たな。隣りの次男坊めがお國さんと様子がおかしいから、ことによったら密通しているのかも知れん」

 

と抜き足さし足でそっとまわり、くつ脱ぎ石へ手を支えて座敷の様子をうかがうと、自分の命を捨てても奉公致そうと思っている殿様を殺すという相談に、考助は大いに怒り、歳はまだ二十一でございますが、負けない気性だから、怒りの余り思わずカッと鼻を鳴らす。

 

「お國さん誰か来たようですよ」

 

「貴方はほんに臆病でいらっしゃるよ、誰も参りは致しません」

 

と耳を立てて聞けば人が居る様子ですから

 

「誰でぇ、そこの居るのは」

 

「へい、考助でございます」

 

「本当にまア呆れますよ、夜中奥向きの庭口へ入り込んで済みますかぇ」

 

「暑くって暑くって仕様がございませんから涼みに参りました」

 

「今晩は殿様はお泊り番だよ」

 

「毎月二十一日のお泊り番は知っています」

 

「殿様のお泊り番を知っていながらなぜ門番をしない。御門番は御門さえ堅く守っていればいいのに、暑いからといって女だけが居る庭先へ来て済みますか」

 

「へぃ、御門番だからといって御門ばかり守っておりません、へぃ。庭も奥も守ります、へぃ。ほうぼうを守るのが役でございます。御門番だからと申して奥へどろぼうが入り、殿様とチャンチャンと切り合っているに門ばかり見てはいられません」

 

「新参者のくせに、殿様のお気に入りだものだから、この節では増長して大層羽振りがいいことだね。奥向きを守るのは私の役だ。部屋へ帰って寝てお仕舞い」

 

「そうですか、貴方が奥向きのお守りをして、このように三尺戸を開けて置いてよろしゅうございますか。庭口の戸が開いていると犬が入ってきます。何でも犬畜生めの恩も義理も知らん奴が、殿様の大事にしていらっしゃるものをむしゃむしゃ食っていますから、私は夜通しここに張り番をしています。ここに下駄が脱いでありますから、誰か人間が入ったに違いはありません」

 

「そうさ、さっきお隣の源さまがいらっしゃったのサ」

 

「へぇ、源様が何御用でいらっしゃいました」

 

「何の御用でもよいじゃアないか。草草履の身の上で。お前は御門さえ守っていればよいのだよ」

 

「毎月二十一日はお殿様のお泊り番の事は、お隣の御次男様もよく御存じでいらっしゃいますに、殿様のお留守のところへお出でになって、御用が足りるとはこりゃあ変でございますなぁ」

 

「何が変だぇ、殿様に御用があるのではない」

 

「殿様に御用ではなく、あなたに秘密の御用でしょう」

 

「おやおや、お前はそんなことを言って私を疑るねぇ」

 

「何も疑るはしませんのに。疑ると思うのがよほどおかしい。夜中に女ばかりのところへ男が入り込むのを、どうもおかしいと思ってもよかろうかと思います」

 

「お前はまアとんでもないことを言って、お隣の源さまにすまないよ、あんまりじゃないか、お前だって私の心を知っているじゃあないかい」

 

と、両人の争っているのを聞いていた源太郎は、人の妾でも奪うという位な奴ですからなかなか抜け目がございません。そしてそのころは、若殿と草履取とではご身分が雲泥の違いであります。源次郎がずずっと出て来て、

 

「これこれ考助何を申す、ここへ出ろ」

 

「へぃ何か御用で」

 

「手前今承れば、何かお國殿とおれと何か訳でもありそうに言うが、おれも養子に行く出世前の大切な身だ。もっとも一旦放蕩して勘当され、大塚の親類共へ預けられたから、左様思うも無理もないようだが、左様なことを言いかけられては捨て置きならんぞ」

 

「御大切の身の上を御存じなれば何故夜中に女一人の所へおいでなされました。あなた様が御自分に疵をお付けなさる様なものでございます。あなただって男女七歳にして席を同じゅうせず、瓜田にくつをいれず、李下に冠を正さず位の事はわきまえておりましょう」

 

「だまれだまれ、左様な無礼な事を申して。もし用があったらどう致す。イヤサァ、御主人がお留守でも用の足りる仔細があったらどうする積りだぁ」

 

「殿様がお留守で御用の足りるはずはありません。へぃもしありましたらご存分になさいまし」

 

「しからば是を見ぃい」

 

と投げ出す片紙の書面。考助は手に取り上げて読み下すに、

 

一筆申入候 

過日御約束致置候中川漁船行の儀は来月四日と致度就ては釣道具大半破損致し居候

間夜分にても御閑の節御入来之上右釣道具御繕い直し被下候様奉願上候

飯島平左衛門

 

源次郎殿

 

と考助がよくよく見れば全く主人の筆跡だから、これはと思うと、

 

「どうだ手前は文盲ではあるまい。夜分にてもよいから来て釣り道具を直して呉れろとの頼みの状だ。今夜は暑くて寝られないから、釣り道具を直しに参った。しかるに手前から疑念をかけられ、悪名をつけられ、はなはだ迷惑致す。貴様はいかが致す積りか」

 

「左様な御無理をおっしゃっては誠に困ります。この書付さえ無ければ喧嘩は私が勝だけれども、書付が出たから私の方が負けに成ったのですが、どっちが悪いかとくと貴方の胸に聞いてご覧遊ばせ。私はこちら様の家来でございます。無闇に斬っては済みますまい」

 

「うぬのような汚れた奴を斬るかえ。打ち殺してしまうわ。何か棒はありませんか」

 

「これを」

 

とお國が重藤の弓の折れを取り出して、源次郎に渡す。

 

「貴方様、左様な御無理な事をして、私のようなひ弱い身体に疵でも出来ましては御奉公が勤まりません」

 

「ええぃ、手前疑るならば表向きに言えよ。何を証拠に左様なことを申す。そのくらいならなぜお國殿と枕を並べているとことへ踏み込まん。拙者は御主人から頼まれたから参ったのだぞ、この下郎め」

 

と言いながらはたと打つ。

 

「痛とうございます。貴方左様な事を仰っても、とくと胸に聞いてご覧遊ばせ。ひ弱な草履取をお打ちなすッて」

 

「うるさい、黙れ」

 

といいざまヒュンヒュンと続け打ちに十二三も打ちのめせば、考助はヒィヒィと叫びながら、ころころと転げまわり、さも恨めしげに源次郎の顔をにらむところを、バシッと考助の月代(さかやき)際を打ち割ったゆえ黒血がタラタラと流れる。

 

「もっと懲らしめないと。又疑ぐられますよ」

 

と言うを聞き入れず、源次郎はこれを潮に裸足にて根府川石の飛び石を伝いて帰りました。

 

「お前が悪いから打たれたのだよ。お隣の御二男様にとんでもないことを言って済まないよ。お前ここに居られちゃあ迷惑だから出ていっておくれ」

 

と言いながら、痛みに苦しむ考助の腰をトンと突いて、庭へ突き落すはずみに、根府川石にまた痛く膝を打ち、アッと言って倒れると、お國は雨戸をピシャリと閉めて奥へ入る。あとに考助はくやしき声を震わせて、

 

「畜生め畜生め、犬畜生め、自分たちの悪いことをよそにして私をひどい目にあわせる、殿様がお帰りになれば申し上げてしまおうか。いやいやもしこの事を表向きに殿様に申し上げれば、きっとあの両人と突き合わせになる。向こうには証拠の手紙があり、こちらには聞いたばかりのことだからどう言っても証拠になるまい。ことには向こうは二男の勢い、こちらは悲しいかな草履取の軽い身分だから、お隣づからの義理で私は暇になるに違いない。私がいなければ殿様は殺されるに違いない。これはいっその事源次郎お國の両人を槍で突き殺して、自分も腹を切ってしまおう」

 

と、忠義無二の考助が覚悟を定めましたが、さてさてこの後はどうなりますか。

 

 

 

黄泉比良坂(よもつひらさか)を舞う淡い風 之編につづく