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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第三十章】 戦争の愚

 【今日のこよみ】旧暦2014年 1月 21日先負  四緑木星

         壬戌 日/丁卯 月/甲午 年 月相 20.2

         雨水 初候 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)  

 

 【今日の気象】 天気 曇り 気温 2.3℃ 湿度 55% (大阪 5:00時点)

 

以道佐人主者、不以兵強天下。

 

其事好還。師之所處、荊棘生焉、大軍之後、必有凶年。

 

善者果而已。不以取強。果而勿矜、果而勿伐、果而勿驕、果而不得已。

 

是謂果而勿強。 

 

物壯則老。是謂不道、不道早已。

 

 

【書き下し文】

 

道を以(も)って人主(じんしゅ)を佐(たす)くる者は、兵を以って天下に強いず。

 

その事は還るを好む。師の処(お)る所は、荊棘(けいきょく)焉(ここ)に生じ、大軍の後は、必ず凶年(きょうねん)あり。

 

善くする者は果たして已(や)む。以って強いるを取らず。果たして矜(ほこ)ることなく、果たして伐(ほこ)ることなく、果たして驕(おご)ることなく、果たして已むを得ずとす。

 

これを果たして強いるなしと謂(い)う。

 

物は壮(さかん)なればすなわち老ゆ。これを不道と謂う。不道は早く已む。

 

 

 

 

 

【私的解釈】

 

道によって君主を補佐する者は、武力によって世の中を支配しない。

 

武力とは諸刃の剣なのだ。軍師が居る所から荒れ地が拡がり、戦争の後は必ず凶作となり世の中が飢える。

 

優れた者は、目的を達成すれば即、武力の行使を止める。勢いにまかせて侵略することはない。勝利しても誇ることなく、手柄を自慢することもなく、慢心することもなく、やむを得ずの武力の行使とする。

 

これを、「目的果たして蹂躙なし」という。

 

物事の勢いが強ければ、いつかは必ず衰える。これを「道から外れる」という。道から外れれば直ぐに衰えてしまうのだ。

 

 

 

【雑感】

 

今日もこの本を取り上げたい。 

仏教人生読本 (中公文庫BIBLIO)

仏教人生読本 (中公文庫BIBLIO)

 

 この本の五十二課に成功について記されている。

 

人から、成功と見られて自分ではそれほどと感じない成功があります。 また、人から失敗と見られて、自分では成功と思っている成功があります。また、人も自分もともに許す成功があります。

 

人が成功と思ってくれるのを、いくら自分は不満足だとて、にべもない顔をしているのは、あまりに人間味がありません。愛想にも多少は悦んでいいでしょう。自分に真に成功した確信あらば、あまり人の批評は気にならないものです。

 

しかし、すべてを超越して真の成功の定まるのは、それだけの価値ねうちのものが、それだけの価値を現したときです。これ以上のときでも、以下のときでもありません。

 

私たちがここに五十銭銀貨を使うとします。その五十銭を五十銭相当に使い得たとき、私たちはただ満足を感じます。しかし、その以下に使ったとき、あるいはその以上として使ったとき、何だかねばった気持ちが心に残ります。

 

「五十銭を五十銭以下に使ったときは、惜しい、つまらぬことをしたというのでねばった気持ちもしよう。だが、五十銭を五十銭以上に使ったとき、愉快で得をした気持ちはするだろうが、何もねばるものはあるまい」。こう言われる人もありましょう。

 

だが、やっぱり心の奥にはかすかな圧迫があって、その五十銭行使を実力でなく、投機使する気持ちを湧かすのであります。もしそう意識しないとしても潜在意識において。

 

 本当の満足は、自分の実力を実力だけ出し切れたところにあります。

 

それ以上でも、それ以下でもありません。そのとき私たちは、ただ敬虔で真空な心持ちに充されます。心が八方へ浸み通るような真空な気持ちです。こういう場合には、案外、出来た仕事の成績は気にならないものです。その成績が人に認められて成功しようが、人に認められずして失敗しようが。牝鶏めんどりが卵を生んだあとの気持ち。まあ、そんなことも言えましょう。

 

ものが実力以上に出来過ぎたとき、さあ、この期をはずさず人に見せて喝采を博したい。こうも焦慮あせります。ものが実力以下に出来たとき、さあ不安で堪らない。何とか人によく見て取って貰って、この自分の気持ちを取りなしたい。やっぱり焦慮ります。

 

実力を養っては、実力だけずつ充分に表現して行く。その実力は大であれ、小であれ、その人の力一杯だけを表現して行く。ここに人間にとって最も充実した人生があります。実はそれだけで辛苦努力のむくいは酬われているのです。

 

あとは雨降らば降れ、風吹かば吹けです。だが、そうなると却って形の上の成功も案外伴って来るものです。誰でしたか成功を地上の自分の影に譬えた人がありました。

 

「影を踏もうと追い駆ければ駆けるほど踏めない。しかし静かに立っていれば却って影は身近くある」。この諺で、「静かに立っている」ということは何もしないでただ黙って立っていることではありませんでしょう。

 

刻々、実力の養成とその適切な表現、これを繰り返しつつ静かに立っていることでしょう。

 

私たちには、十重とえ八十重はたえいんえんの紐が結びつけられていまして、成功を目標にして努力しても、案外早く酬いられる人もあり、随分遅く酬いられる人もあります。これを運命と言っておりまして、中には生存中酬いられずじまいの人も往々見るのであります。いわゆる不遇の人です。真に気の毒と思います。

 

故に成功を目標にして努力することは、現象的には投機性を帯びたように見えやすいのです。そのつもりでかからねばなりません。しかし、自分の価値ねうちの行使を目的として、刻々に努力したならば、その場その場に心に酬いられて来て狂いがありません。いつも静かな感謝と満足に充たされるのであります。


こんなことを言うのは、何も成功を必死に望んでいる人々をくさらせようとするための嫌味でも皮肉でも、また、道学じみた教訓でもありません。

 

お望みの方は、将来の成功のために努力なさるのは、一向差支えないことであります。そして、もし成功された後、これらの言葉を顧みられたら、またひとしお感慨深いものがあるだろうと思います。

岡本かの子 仏教人生読本第五二課 成功

 

今日のソチ・オリンピックの女子フィギュアスケートで日本女子陣が実力通りの力を発揮出来なかったのを見て、ここに書かれていることが思い浮かんだので、ここに記録しときます。