まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

文天祥『正氣の歌』

【今日のこよみ】旧暦2014年 1月 19日先勝  四緑木星

         庚申 日/丁卯 月/甲午 年 月相 18.2 

         立春 末候 魚上氷(うおこおりをはいずる) 

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 3.3℃ 湿度 56% (大阪 5:00時点)

 

天地有正氣 雜然賦流形 下則為河嶽 上則為日星 

 

於人曰浩然 沛乎塞蒼冥

 

皇路當清夷 含和吐明庭 時窮節乃見 一一垂丹青

 

在齊太史簡 在晉董狐筆 在秦張良椎 在漢蘇武節

 

為嚴將軍頭 為嵆侍中血 為張睢陽齒 為顏常山舌

 

或為遼東帽 清操厲氷雪 或為出師表 鬼神泣壯烈 或為渡江楫 慷慨呑胡羯 或為撃賊笏 逆豎頭破裂

 

是氣所磅礴 凛烈萬古存 當其貫日月 生死安足論 地維賴以立 天柱賴以尊 三綱實系命 道義為之根

 

嗟予遭陽九 隷也實不力 楚囚纓其冠 傳車送窮北 鼎鑊甘如飴 求之不可得 

 

陰房闃鬼火 春院閟天黑 牛麒同一皂 鷄棲鳳凰食 

 

一朝蒙霧露 分作溝中瘠 如此再寒暑 百沴自辟易 

 

嗟哉沮洳場 為我安樂國 豈有他繆巧 

 

陰陽不能賊 顧此耿耿在 仰視浮雲白 

 

悠悠我心悲 蒼天曷有窮 

 

哲人日已遠 典刑在夙昔 風檐展書読 古道照顏色

 

 

 

【書き下し文】

 

天地に正氣有り 雜然として流形を賦す 下っては則ち河嶽と為り 上っては則ち日星(じっせい)と為る 

 

人に於いては浩然(こうぜん)と曰う 沛乎(はいこ)として蒼冥(そうめい)に塞(み)つ 

皇路清夷(せいい)に當たれば 和を含んで明庭に吐く 時窮すれば節、乃ち見れ 一一丹青(たんせい)に垂れる 

 

齊に在っては太史の簡(*1) 晉に在っては董狐の筆(*2) 秦に在っては張良の椎(つい)(*3) 漢に在っては蘇武の節(*4)

 

嚴將軍の頭(*5)と為り 嵆侍中の血(*6)と為る 張雎陽(すいよう)の齒(*7)と為り 顏常山の舌(*8)と為る 或いは遼東の帽(*9)と為り

 

清操(じょうそう)、氷雪よりも厲(はげ)し 或いは出師表と為り 鬼神も壯烈に泣く 或いは江を渡る楫(かじ)と為り 慷慨(こうがい)、胡羯(こかつ)を呑む 或いは賊を撃つ笏(しゃく)と為り 逆豎(ぎゃくじゅ)の頭は破裂す

 

是れ、氣の磅礴(ほうはく)する所 凛烈(りんれつ)として萬古に存す 其の日月を貫くに當たりては 生死、安(いず)くんぞ論ずるに足らん 地維(ちい)、賴りて以って立ち天柱、賴りて以って尊し 三綱は實に命に系り 道義、之を根と為す

 

嗟(さ)あ、予は陽九に遭い 隷は實に不力也り 楚囚、其冠を纓(むす)び 傳(でん)車、窮北に送らる 鼎鑊(ていかく)、甘きこと飴の如き 之、求むるに得べからず 

 

陰房に鬼火は闃(しず)かに 春の院は天に閟(と)ざして黑(こく)し 牛と麒(き)は一皂(いちそう)を同にし 鷄棲(けいせい)で鳳凰は食らう

 

一朝、霧露を蒙らば 溝中の瘠(せき)と作らんを分(ぶん)とす 再び寒暑、如くの此し 百沴(ひゃくれい)、自ら辟易す

 

嗟哉(さあ)、沮洳(しょじょ)の場も 我が安樂の國と為らん 豈に繆(びゅう)巧有らんや

 

陰陽も賊するあたわず 顧てこの耿耿(こうこう)在り 仰ぎ視て浮雲白ければなり 

 

悠悠として我が心は悲しむ 蒼天、曷(なん)ぞ窮み有らん 

 

哲人、日に己に遠く 典刑は夙昔(しゅくせき)に在り 風檐(ふうえん)に書を展(ひろ)げて読めば 古の道、顏色を照らす

 

 

 

【私的解釈】

 

この世界にはおもゐが満ちている。混沌としていながらも龍の如く勢いよく流れており、このおもゐが地に降っては山脈や峡谷に降り注ぎ、天に遡っては太陽や星に放射している。

 

このおもゐが人に降り注ぐことで、人は活力を満たす。こういうおもゐが大いに天地に満ちている。

 

大いなる道が清らかで平和であれば、和やかで勢いを増したこのおもゐが国全体に降り注ぐ。動乱の時代となれば時代を区切る様が現象となって現れ、このおもゐが残すことなく歴史書に記される。

 

斉の太史の生き様、晋の董狐の生き様、秦の張良の生き様、漢の蘇武の生き様、これらを通して世相が発揮したおもゐが今の時代に降り注いでいる。

 

古から流れ来るおもゐが、嚴將軍の頭、嵆侍中の血 、雎陽を守備していた張巡の歯、常山を守備していた顔杲卿の舌、或いは遼東の管寧の帽子に造化されて、今を生きる我々に訴えかけてくる。

 

彼らのおもゐは氷や雪よりも凛として厳しく、時には蜀の諸葛亮が魏へ北伐を行う際に奉った時の檄文となり、鬼神でさえもこのおもゐの前では激しく涙する。また、時には東晋の将軍祖逖(そてき)が後趙への遠征で長江を渡る際に「後趙を倒さない内は再び長江を渡らない」と宣言した舟の舵となり、このおもゐが羯の勢いを飲み込んでしまう。また、時には唐の朱泚(しゅせい)が反乱を起こした際に、段秀実が説得に行き、朱泚の気持ちが変わらないと見ると持っていた笏(しゃく)で、朱泚の頭を叩き割った時の笏となって、このおもゐが反逆者の頭を破裂させる。

 

これらの史実から勢いよくおもゐが噴出され、激しく我々の心を打ち、永遠に引き継がれる。おもゐは日月という時の壁さえも貫き通り、このおもゐの前では人間の生死など論ずるに値しない。大地はおもゐが満ちることで存在し、天はおもゐが満ちることで敬わられる。君臣・親子・夫婦の人倫の三つの大綱は、このおもゐにより絆を強くし、道義にはこのおもゐがつまっている。

 

ああ何たることだ。国が滅ぼうとしているのに私は何も出来ずにいる。捕虜となっても私はこの国の家臣である。護送車に乗せられて北に移送された。釜ゆでに処せられて簡単に死ぬという甘い望みは、叶わないみたいだ。

 

今私がいる牢屋は陰湿で鬼火が出る。天井は低く真っ暗である。他の囚人と麒麟である私が同じ餌箱を共有し、鶏小屋で他の囚人に混じって鳳凰である私が飼われている。

 

この牢屋の悪い空気や冷たい露にさらされてしまえば、普通なら簡単に死んでしまうだろう。でも、この牢屋に入って夏と冬が二回過ぎたが、私に病魔や悪鬼は寄ってこない。

 

ああ、何たることだ。ぬかるんで陰湿なこんな場所も私には楽園となってしまう。この場所が楽園となることなど私は望んではいないのに。

 

陰陽の氣が私を損なうことが出来ないのは何故なのかを考えてみた。出た答えは、私の心に明るく輝くおもゐがあるからだということだ。空を仰ぎ見て目に入る真っ白な隆隆たる雲のように、私のおもゐの勢いが強烈だから陰陽の氣などあっという間に飲み込んでしまう。

 

私の心の中に広がる果てしない空を前にして私は悲しみにくれる。この広がる青い空には果てがあるのだろうか。

 

哲人がいた時代は既にはるか昔だが、人間の生き様の模範はそこにある。風が心地よい軒先で古の哲人が書いた書物を広げて読めば、古からのおもゐが集まり流れ来る道が私の暗い顔を照らしてくれるのだ。

 

 

 

【注】

太史の簡(*1)・・・ 春秋時代で宰相の崔杼がその君主を殺した際に太史(記録係)が「崔杼、その君を弑す。」と書いて、怒った崔杼に殺された。しかし太史の弟が同じ事を書き、また殺され、更にその弟が同じ事を書いたに至って崔杼も記述を止めさせる事をあきらめた。 

 

董狐の筆(*2)・・・春秋時代の宰相・趙盾は甥が君主を殺した際に、その甥を誅しなかったので趙盾が君主を殺したと書かれた。

 

張良の椎(つい)(*3)・・・ 始皇帝張良が鉄鎚を投げて暗殺しようとした。

 

蘇武の節(*4)・・・前漢蘇武匈奴に使者として赴いた時に囚われ、十数年囚われたままだったが、決して使者の証である符節を離そうとはしなかった。

 

嚴將軍の頭(*5)・・・後漢末期、劉備劉璋の勢力圏へ侵攻したときに、劉備の部下張飛の軍に囚われた劉璋の部下厳顔は、張飛が「何故すぐに降伏しなかったのだ!」と言ったのに対して「我らには頭を絶たれる将軍はいても頭を垂れる将軍はいないのだ。」と答えた。

 

嵆侍中の血(*6)・・・西晋嵆紹(けいしょう、役職が侍中。嵆は禾編に犬を書いてその下に山)は八王の乱の際に恵帝を庇って矢に射られて死に、その血が恵帝の服にかかった。恵帝が無事な所まで逃げた後で、家臣が恵帝の服を洗おうとしたところ「此れは嵆侍中の血だ。洗わないように。」と言った。

 

張雎陽の齒(*7)・・・安史の乱の際に雎陽を守っていた張巡は激しく歯噛みしながら防衛戦を戦ったために歯がほとんど砕けたと言う。

 

顏常山の舌(*8)・・・安史の乱の際に常山を守っていた顔杲卿(がんこうけい)は安禄山に捕まった後、臣従を求められたが、逆に安禄山を罵ったので舌を抜かれて殺された。

 

遼東の帽(*9)・・・三国時代の管寧(かんねい)は戦乱を避けて遼東へ移り住み、の顕職に就く事を要請されても受けずに清貧に甘んじた。粗末な黒い帽子をいつも被っていた。