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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第二十九章】 諸行無常

【今日のこよみ】旧暦2014年 1月 18日赤口  四緑木星

         巳未 日/丁卯 月/甲午 年 月相 17.2 

         立春 末候 魚氷に上がる(うおこおりにあがる) 

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 1.4℃ 湿度 61% (大阪 6:00時点)

 

 

將欲取天下而爲之、吾見其不得已。

 

天下神器、不可爲也、不可執也。爲者敗之、執者失之。

 

凡物或行或随、或歔或吹、或強或羸、或培或隳。

 

是以聖人去甚、去奢、去泰。

 

 

 

【書き下し文】

 

将(まさ)に天下を取らんと欲してこれを為(な)すは、吾れその得ざるを見るのみ。

 

天下は神器、為すべからず、執(と)るべからず。為す者はこれを敗り、執る者はこれを失う。

 

凡(およ)そ物、或(ある)いは行き或いは随(したが)い、或いは歔(きょ)し或いは吹(ふ)き、或いは強く或いは羸(よわ)く、或いは培い或いは隳(こぼ)つ。

 

ここを以(も)って聖人は、甚(じん)を去り、奢(しゃ)を去り、泰(たい)を去る。

 

 

 

 

【私的解釈】

 

人間が天下を自分のものにしようと争っているが、私には無駄なことをしているとしか思えない。

 

世の中というものは、人間の力が及ばないトコロであり、人間が世の中を手に入れようとしたり、支配しようとするべきではない。手に入れようとすると失敗し、支配しようとすると多くのモノを失うことになるのだ。

 

この世の中の仕組みは、先頭に立てば従う者が現れ、勢いが弱まれば勢いが強い者が現れ、力が強ければ力が弱い者が当然に居り、何かを創ればこれを壊す者が現れるものなのだ。

 

だからこそ聖人は、極端を避け、贅沢を避け、慢心を捨て去るのだ。

 

 

 

【雑感】

 

人生とは堂々巡りを延々と繰り返すものである。

 

小さな頃まわりに指摘された自分が持つ嫌な欠点は、大人になっても克服することが出来ずに私についてまわり、時折顔を出し、同じ過ちを引き起こす。

 

また、人生では、乗り越えるべき壁が目の前に現れた時にこの壁から逃げ出しても、必ず同じ状況に再び陥り、右往左往することとなる。

 

これが人間の性(さが)なのかもしれない。

 

私が持つ嫌な欠点は、代々克服できずに引き継がれて来たものなのだ。前の世代で克服することの出来た欠点は、克服する方法が知恵として引き継がれて来ており、既に欠点では無くなっている。

 

家系レベルでこの欠点克服が延々と行われており、多くの人間が持つ欠点を黙々と克服してきた家系には欠点に対処する多くの暗黙知の知恵が引き継がれて、欠点の克服からことごとく逃げてきた家系との差が今を生きている世代に反射しているのかもしれない。

 

となれば、私は自分の欠点に光を当てざるを得ない。欠点から逃げ出すということは、次の世代に負担を先送りにしていることとなり、先代が苦心して編み出した知恵による繁栄の貪りに他ならない。

 

このように考えると、生きるということは自分の嫌な欠点をひとつひとつ消して行く地道な作業なのかも知れない。この生きるという過程で他人が介在することはないというのが真理のようだ。「あいつのせいで失敗した」「あいつのせいで人生滅茶苦茶だ」と思うこと自体が負担を先送りにしている行為なのだ。

 

この地道な作業を楽しい作業に変えるのも人間だからこそ可能なことなのだ。

 

「嫌なことを楽しくする方法を考えること」は、楽しいことなのだから。