【老子道徳経 第二十七章】 智慧者の極意
丁未 日/丁卯 月/甲午 年 月相 5.2
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善行無轍迹。
善言無瑕讁。
善數不用籌策。
善閉無關楗、而不可開。
善結無繩約、而不可解。
是以聖人、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。
是謂襲明。故善人者、不善人之師。不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要妙。
【書き下し文】
善く行くものは轍迹(てっせき)なし。
善く言うものは瑕謫(かたく)なし。
善く数うるものは籌索(ちゅうさく)を用いず。
善く閉ずるものは関楗(かんけん)なくして、而(しか)も開くべからず。
善く結ぶものは縄約(じょうやく)なくして、而も解くべからず。
ここをもって聖人は、常に善く人を救う、故(ゆえ)に人を棄つることなし。常に善く物を救う、故に物を棄つることなし。
これを明(めい)に襲(よ)ると謂(い)う。故に善人は不善人(ふぜんにん)の師、不善人は善人の資なり。その師を貴ばず、その資を愛せざれば、智ありと雖(いえど)も大いに迷う。これを要妙(ようみょう)と謂う。
【私的解釈】
真の善い行いというものは、その行いがされたこと自体が分からないものだ。
真の善い言葉というものは、相手を傷つけることがない。
真の優れた計算というものは、算盤を用いない。
真の優れた防犯というものは、泥棒に入ろうという気を起こさせない。
真の約束というものは、縛るものがなくても破ろうという気を起こさせない。
このようなことを熟知する聖人は、いつも人を救っており、人を見捨てることがない。また、いつも物を活用しており、物を棄てることがない。
これを「明らかな智にしたがう」という。善人は不善人の師となり、不善人は善人の反面教師となる。お手本を尊敬せず、反省材料を愛さなければ、知恵者であっても路頭に迷うものだ。これが世の法則なのだ。
【雑感】
太陽の光は八分ちょっとで地球に届く。このことは、日の出を見ていると、太陽の輝きが増していくところから感覚的に理解できる。つまり、私達は太陽のリアルタイムの現象を地球で見ることは出来ず、八分遅れの現象を地球で見ていることとなる。
夜空に瞬く星なんて何十年、何百年、何千年前に放たれた光が入り乱れたものを今現在肉眼で見ていることとなる。
私がこれらの光を目にすることで、八分遅れの太陽の光や何十年、何百年、何千年前の星の光が今、目の前で光っている現象へと変わる。
私の目の前で起こっている現象を掘り下げてみるとおもしろい。