まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第二十一章】 おもゐが宿す精気

 【今日のこよみ】 旧暦2013年10月24日先負  五黄土星 

         丙申 日/癸亥 月/癸巳 年 月相 22 下弦

                    小雪 初候 虹蔵不見(にじかくれてみえず)   

 

孔徳之容、唯道是從。

道之爲物、惟恍惟惚。

恍兮惚兮、其中有物。恍兮惚兮、其中有像。

窈兮冥兮、其中有精。其精甚眞、其中有信。

自今及古、其名不去。以閲衆甫。

吾何以知衆甫之然哉、以此。

 

 

 

【書き下し文】

 

孔徳(こうとく)の容(よう)は、ただ道にこれ従う。

 

道の物たる、これ恍(こう)これ惚(こつ)。

 

恍たり惚たり、その中に物有り。恍たり惚たり、その中に像有り。

 

窈(よう)たり冥(めい)たり、その中に精有り。その精甚(はなはだ)真、その中に信有り。

 

今より古えに及ぶまで、その名は去らず。以(も)って衆甫(しゅうほ)を閲(す)ぶ。

 

吾れ何を以って衆甫の然(しか)るを知るや、これを以ってなり。

 

 

 

 

 【私的解釈】

 

真に徳を備えた人の生き様は、ひたすら道に従うばかりである。

 

道というものは、ひたすらぼんやりして捉えどころがない。

 

ぼんやりして捉えどころがないのだが、その中には何かが存在している。ぼんやりして捉えどころがないのだが、その中には浮かび上がるモノがあるのだ。

 

道は、奥深くて見えることがないのだが、精気を宿している。その精気はひたすらに純粋なモノで、信用にたるモノなのだ。

 

この精気は、太古から現在に至るまで連々と受け継がれており、だから万物の根源といえる。

 

どうして、私が道が万物の根源であると知っているのかと言えば、この精気の流れを観察しているからなのだ。

 

 

 

 

 

【雑感】

 

 

朝からずっと考えていた。

 


久石讓Joe Hisaishi 800人大合唱天空之城HD - YouTube

 

この合唱が放つ見えないチカラについて。

 

 

この合唱の経緯については詳しく知らないが、各人がこの歌の歌詞の「おもゐ」を自分なりに解釈してこの本番に臨んでいることだろう。実際に天空の城ラピュタの映画を見直した人もいるだろう。当然、各人の「おもゐ」の濃淡や方向については差異があると思う。しかし、この動画での800人が歌い始める『さぁ、出かけよう~』からの威力のすさまじさは、こんな濃淡や差異を飲み込んで、さらに大きなエネルギーを放出しているかのようだ。

 

 

この動画を見ても分かるように、「おもゐ」を共振させると、とてつもないエネルギーが生じるのは確実のようである。

 

 

この世界では、様々な「おもゐ」が錯綜している。そして部分、部分で小規模な共振を起こして、流行やら世相やらを反映しているのだろう。

 

 

権力者はもちろん、この「おもゐ」の威力を知っている。だから、この威力を掌中に収める為にあの手この手の方法を陰で策略しているのだと思う。

 

 

自分が発する「おもゐ」のチカラを再確認した方が良いのかも知れない。