【老子道徳経 第二十章】 孤独だからこそ分かるコト
【今日のこよみ】 旧暦2013年10月19日仏滅 五黄土星
辛卯 日/癸亥 月/癸巳 年 月相 17
立冬 末候 金盞香(きんせんかさく)
【今日の気象】 天気 晴れ 気温 9.3℃ 湿度 53%
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絶學無憂。唯之與阿、相去幾何。善之與惡、相去何若。
人之所畏、不可不畏、荒兮其未央哉。
衆人煕煕、如享太牢、如春登臺。我獨怕兮其未兆、如孾兒之未孩。
儽儽兮若無所歸。衆人皆有餘、而我獨若遺。
我愚人之心也哉、沌沌兮。俗人昭昭、我獨昏昏。俗人察察、我獨悶悶。澹兮其若海、飂兮若無止。
衆人皆有以、而我獨頑似鄙。
我獨異於人、而貴食母。
【書き下し文】
学を絶てば憂いなし。唯(い)と阿(あ)と相い去ること幾何(いくばく)ぞ。善と悪と相去ること何若(いかん)ぞ。
人の畏(おそ)るる所は、畏れざるべからざるも、荒(こう)としてそれ未だ央(つ)きざるかな。
衆人は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、春に台(うてな)に登るが如し。
我れは独り怕(はく)としてそれ未だ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如し。儽儽(るいるい)として帰(き)する所なきが如し。
衆人はみな余り有るに、而(しか)るに我れは独り遺(うしな)えるが如し。
我れは愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり。俗人は昭昭(しょうしょう)たり、我れは独り昏昏(こんこん)たり。
俗人は察察(さつさつ)たり、我れは独り悶悶(もんもん)たり。澹(たん)としてそれ海の如く、飂(りゅう)として止(とど)まるなきが如し。
衆人はみな以(もち)うる有り、而るに我れは独り頑(かたくな)にして鄙(ひ)なり。
我れは独り人に異なり、而して母に食(やしな)わるるを貴(たっと)ぶ。
【私的解釈】
学ぶことを止めれば気楽だろう。「はい」と答えるのと「うん」と答えるのとそんなのどちらでもいいことだろう。世の中の「善」と「悪」に大きな違いはあるのだろうか。
人が怖がることは私も怖いが、怖いといって逃げていては本当のモノを見ることは出来ない。
世の中の人々は生きることを歓び楽しんでいる。まるで宴を楽しんでいるかのようであり、桜の見える高台で花見をしているかのようだ。
そんな中で私だけが孤独に部屋に引きこもり、生きる希望を見いだせない。まるで笑うことを知らない子供のようだ。まるでやつれ果てて、帰る家がなく途方に暮れているようだ。
世の中の人々が当たり前のように持っているモノを私は失ってしまったようだ。
もう、愚か者の極地のようで、心はささくれ立っている。世の中の人々の心はきらきらと輝いているが、私の心だけがドロドロとしている。
世の中の人々は活き活きと生活しているが、私だけが悶々とした生活を送っている。まるであてどなく大海を漂っているかのように私だけが翻弄されている。まるで流れの中の淀みのように私だけが停滞している。
世の中の人々は役に立つ仕事を持つが、私だけが頑なに自分の殻に閉じこもっている。
でも、こんな私だけれども世の中の人々と違うところがひとつだけある。私は自分が世の中の母性に生かされていることに気づいており、このことに日々感謝しているということである。
【雑感】
仁という言葉がある。いつくしみや思い遣りのことと辞書にある。
この章で、老子は、絶望に暮れる人々に、自分の体験を語ることにより、この仁を発揮してくれているのだと思う。
そら、長い人生、自分の歩んでいる道がこれでいいのか迷うこともあるやろ。どうでもええことでヤーヤー言われてむかつくこともあるやろ。理不尽な目に遭うこともあると思うわ。
なんもかも放っぽりだして、逃げ出したいと思うこともそらあるわな。
けどな、あてがな自分で経験して身にしみたから言うけどな、
今、直面している問題から実際に逃げてもな、同じような問題にまた必ず直面するねんて。
これが宇宙の法則っちゅうやつや。
あてもな、一時期、人生に絶望して、自暴自棄になって家に引きこもったことがあるんやて。もう、心が荒んでどうしょうもなかったわ。考える時間はヤマほどあったから、あーやこーやと色々考えてたわ。で、ある日気付いたんやわ。
あては生かされているんやて。
そしたらな、生かされていることに対する感謝の気持ちがふつふつと湧き出してきてな。そんで、この感謝の気持ちが心に満ちるにしたがって、前向きに物事を考えることができるようになって行ったんや。これは、実践しとるもんしか分からんねんけどな、感謝することからことから生まれる力は強大なんやで。
これな、わてのしょうもない体験談やから。
あんたもこうしな!というてるわけとはちゃうからな。
こういうんは、強制してもしゃあないことやし。
老子は、説教じみたことを言わない。教えの強制もしない。ただ、自分のおもゐを述べるだけ。
これが老子の思う仁なのだろう。