まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第十三章】 健康第一

【今日のこよみ】 旧暦2013年10月12日先負  五黄土星 

         甲申 日/癸亥 月/癸巳 年 月相 11 

                    立冬 次候 地始凍(ちはじめてこおる)

 

 【今日の気象】 天気 晴れ 気温 6.2℃(今季最低) 湿度 43%

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寵辱若驚。貴大患若身。

 

何謂寵辱若驚。

 

寵爲上、辱爲下、得之若驚、失之若驚。

 

是謂寵辱若驚。

 

何謂貴大患若身。

 

吾所以有大患者、爲吾有身。

 

及吾無身、吾有何患。

 

故貴以身爲天下、若可托天下。

 

愛以身爲天下、若可寄天下。

 

 

【書き下し文】

 

寵辱(ちょうじょく)には驚くが若(ごと)し。大患(たいかん)を貴(たっと)ぶこと身の若くなればなり。

 

何をか寵辱には驚くが若しと謂(い)う。

 

寵を上と為(な)し、辱を下と為し、これを得るに驚くが若く、これを失うに驚くが若し。

 

これを寵辱には驚くが若しと謂う。

 

何をか大患を貴ぶこと身の若しと謂う。

 

われに大患有る所以(ゆえん)の者は、われに身有るが為なり。

 

われに身無きに及びては、われに何の患(わずら)い有らん。

 

故(ゆえ)に身を以(も)って天下を為(おさ)むるより貴べば、若(すなわ)ち天下を托(たく)すべし。

 

身を以って天下を為むるより愛すれば、若ち天下を寄(よ)すべし。

 

 

 

 

【私的解釈】

 

人は、他人から賞賛されたり、辱められたりするとそれに一喜一憂してしまう。これは、世の中の問題を自分の「おもゐ」に照らして考えてしまうからだ。

 

どうして人は、他人から賞賛されたり、辱められたりすると一喜一憂してしまうのだろうか?

 

賞賛されることを良いこととし、辱められることを悪いこととし、賞賛されても賞賛されなくても、辱められても辱められなくても、いちいちそれに心が振り回されてしまうからだ。

 

どうして人は、世の中の問題を自分の「おもゐ」に照らして考えるのか?

 

世の中の問題を自分の「おもゐ」に照らして考えるのは、自分が生きているからこそなのだ。

 

死んでしまえば、世の中の問題に振り回されることはない。

 

だからこそ、自分が健康であるということを、天下泰平より大事にする者に国を託すべきだ。

 

自分の心身の安定を天下泰平より留意すれば、長い期間安定して国を治めることができるのだ。

 

 

 【雑感】


人間の良心は、まわりの問題を自分のことのように考え、その解決を図ろうとするから、まわりから褒められれば嬉しいし、まわりからけなされれば悲しいのだ。人の良心は生きている限り、まわりの問題解決に取り組み続ける宿命なのだ。


この宿命にあるならば、まず第一に重要なのは己の肉体が健康であることだ。己の肉体が病めば己の良心が陰る。良心が陰れば、まわりも陰る。だから、健康を維持して、長きに渡って己の良心を発揮させれば、まわりはおのずと安定発展する。と、老子はんは、言うてはります。

政治家や経営者が「己を犠牲にしても、国のためや経営安定に身を捧げる」と宣うことはパフォーマンスに過ぎず、唾棄すべきことなんですね。