まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第十章】 神秘なる徳

【今日のこよみ】 旧暦2013年10月10日先勝  五黄土星 

         壬午 日/癸亥 月/癸巳 年 月相 8 

                    立冬 次候 地始凍(ちはじめてこおる) 

 

載營魄抱一、能無離乎。

 

專氣致柔、能孾兒乎。

 

滌除玄覽、能無疵乎。

 

愛民治國、能無以智乎。

 

天門開闔、能爲雌乎。

 

明白四達、能無以爲乎。

 

生之畜之、生而不有、爲而不恃、長而不宰。

 

是謂玄徳。

 

 

【書き下し文】

 

営魄(えいはく)を載(やす)んじ一(はじめ)を抱(だ)きて、能(よ)く離るること無からんか。

 

気を専(もっぱら)にし柔(じゅう)を致し、能く嬰児(えいじ)ならんか。

 

玄覧(げんらん)を滌除(てきじょ)して、能く疵(きず)無からんか。

 

民を愛し国を治めて、能く以って知らるること無からんか。

 

天門開闔(てんもんかいこう)して、能く雌(し)たらんか。

 

明白四達(めいはくしたつ)して、能く以って為すこと無からんか。

 

これを生じこれを畜(やしな)い、生ずるも而(しか)も有せず、為して而も恃(たの)まず、長たるも而も宰(さい)せず。

 

これを玄徳(げんとく)と謂う。

 

 

 

 

【私的解釈】

 

どうしても実現させたい「おもゐ」を抱きながらも、その執着する心を離し冷静に生活できているか。

 

精神を集中させながらも心身を自由にし、赤ちゃんのような純粋な「おもゐ」を抱いて生活できているか。

 

自分の「おもゐ」を欺いて生活していないか。

 

見返りを求めて人に接していないか。

 

運命に翻弄されながらもその運命を母なる慈悲で受け入れてるか。

 

正義や正論を振りかざしたりせずに静観しているか。

 

自分が生み出し大切に守り育て、花咲かせた「おもゐ」を独占せず、自慢せず、取り仕切ろうとしないことが出来ているか。

 

これらを実践することで「神秘なる徳」が醸し出されるのだ。

 

 

 

【雑感】

 

この章を読んで思い出されたのが、『梁塵秘抄』のこの歌。

 

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。

【意訳】

人間は、遊ぶためこの世に生まれてきたんだよ。恋をするためにこの世に生まれてきたんだよ。だって、遊んでいる子どもたちの声が聞こえてくるだけで、自分の体がウズウズしてくるじゃない。 

 

人生、くそ真面目に生きてて楽しい?自分が楽しかったらそのままでもええんちゃう。

楽しくないんやったら楽しめばええやん。なんで、楽しまんの?

人なんかどうでもええし。

楽しい、楽しくない決めるんは自分やし。

 

 

話が変わって、

 

日本の神代からの「おもゐ」が引き継がれて来ている例。

 

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 街の中にぽつねんとある山は、大和三山の一つの耳成山(みみなしやま)。何で街の真ん中に山があるの?あまりにも不自然な地形やと地元以外の人は思うと思う。

 

この山は、万葉集

 

香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき(中大兄皇子、巻1-13)

 

とあり、神代に香具山(かぐやま)と畝傍山(うねびやま)と耳成山が恋争いをした様子をうたった歌とされている。

 

日本は、神のいる時代から山々が恋をして、お互いが争っている国であり、また、神のいる時代に恋を争ったとされる三つの山が平成の世の現在に姿を留めて現存している国なのだ。

 

この事実を省みるだけでも、日本人が神代の時代から「おもゐ」を丁寧に引き継いで来ていることが分かると思う。

 

日本は、神代の時代からの「おもゐ」が厚い層となって積み重なっている国なのです。

 

 


[万葉集] 01-0013 香具山は 畝火ををしと 耳梨と・・・ - YouTube